第3話 記憶喪失二人目
「説明しろ。どうして、花木のノートを俺が持っている? 気が付いたら……部屋にあったんだ。俺と花木とは学年は一緒だが同じクラスになったことも話したこともない。勿論、共通の友達もいない」
碧理が連れて行かれたのは、H型の本校舎から離れた旧校舎。ここは今、文化部の部室となっている場所。
そこの一室。使われていない教室に二人はいた。
掴んでいた碧理の腕を乱暴に振り払った慎吾は、痛そうに腕を擦る碧理と向き合った。目の前に、赤いB五のノートを掲げながら。
そこには下の隅に「花木碧理」と名前が書いてあった。
慎吾の言う通り、一学年十クラスある碧理の高校は、将来の進路に沿ってそれぞれ別れている。
碧理のクラスは大学進学組の四階に位置し、慎吾のクラスは就職や専門学校に分けられた二階。
行事や体育などの合同授業以外は、日常的に会うことはほとんどない。
突き付けられたノートを見ながら、碧理は声が震えないように意識しながら口を開く。
「赤谷君が何を言っているのかわからない……。私はノートをいつ失くしたのか覚えていないの。いつの間にか無くなっていたから」
固い声でそう答える碧理は嘘をついた。本当は全部知っていた。
なぜ、慎吾がノートを持っているのかを。
「……これでも同じことを言えるか?」
碧理の言葉を信用しない慎吾は、ノートのとあるページを開いて碧理に付きつける。
そこには、万年筆で書いたような青いインクの文字が見えた。
『記憶がない理由は花木碧理に聞け。そして、森里蒼太、花木碧理、赤谷慎吾、高田翠子、白川美咲。全員でまた、紺碧の洞窟へ会いに来て』
渡されたノートには、そう書かれていた。
その文字に碧理は見覚えがあった。雨の中助けてくれた、あの女性の文字だと思い出すと、碧理は泣きたくなる。
あの日、何が起こったのか知っている人がいるだけで、碧理は心が凪いた。
「おい、花木……」
感情を上手く隠すことが出来なくて涙が溢れる。
すると、目の前で怒気を含んでいた声が小さくなり慌て出す。そして、すぐにポケットからハンカチを取り出すと碧理へと差し出した。
アイロンがかけられた真っ白なハンカチは慎吾の印象とは真逆だ。こんな所も、あの時と同じだと碧理は素直に礼を言って受け取った。
校内で噂されている警察沙汰になったとか、危ないバイトをしているとか、それは根も葉も何の根拠もないただの噂だと碧理は知っている。
ガサツで乱暴で目つきが悪い外見とは違い、本当は優しくて友達思いで、それを表に出すのが苦手で虚勢を張っているだけだと言うことも。
そして何よりも、そうしているのが、慎吾の幼馴染で大好きな高田翠子のためだと言うことも……碧理は知っていた。
でも、真実は話せない。
誰も信じてくれないとわかっているから。
「男子でハンカチ持ってるなんてイケメンだね、赤谷君。でも……ごめん、言えない」
「……ハンカチは関係ないだろ。……やっぱり、何かを知っているんだな。森里蒼太も記憶がないと噂で聞いた。そして、白川美咲、引きこもりのあいつもか。一体何があった? あの夏休み、八月八日から八月十日の三日間。あの日、あそこで俺達は何をしていた?」
慎吾の問いに答えられない碧理は沈黙を貫く。
碧理自身も今の状況を整理出来ないからだ。
ノートに書かれていた文字の女性は、最初からわかっていたのだろう。碧理だけが記憶を失くさないと。
だから、こうして慎吾に貸したノートにメッセージを残した。
そこまで考えて碧理はふと思い出す。このノートには別のメッセージが書かれていたことを。
渋る慎吾からノートを奪いとる。
該当ページを探すが見つからない。リングノートではないため、千切っていたら痕跡が残る。だが、それもない。
このノートの中心のページに書かれていた文字が消えていた。
慎吾の幼馴染で大好きな、高田翠子に宛てた大切な言葉がなくなっている。
「おい、花木……」
「赤谷君はこのノートをいつ見つけたの?」
五人が最後に会ったのは、八月十日。
そして、今は十月八日。二カ月も前のこと。そのノートが何処にあって、どうやって見つかったのか、碧理は気になった。
――なぜ、今なのかと。
「一週間前だ。部屋を片づけていたら出て来た。森里と同じで、俺も三日間の記憶がない。花木、教えてくれ。学年が同じなだけで、話をしたこともないお前と俺が一緒に居たのはなぜか。そして何があったのか。なぜ、『紺碧の洞窟』を目指したのかを」
「……知っているんだ、紺碧の洞窟のこと」
「ああ、願いが叶う洞窟だろ? 都市伝説だと思っていたけど本当にあったのか? そこで俺達は何を願った?」
慎吾が言っている「紺碧の洞窟」。それを碧理達五人は目指した。それぞれの願いを叶えるために。
そしてそれは、それぞれが当初願っていた願いとは別の形となって叶った。自分の記憶と引き換えに。
「それは教えることが出来ない。だって、赤谷君も皆も忘れてしまっているから。それは、忘れた方が良い記憶なんだよ」
「花木……。じゃあ、何でお前は泣くんだよ。いつも、切なそうに森里を見ている癖に」
「――何でそれ」
慎吾の発言に、碧理が戸惑いながら後ずさる。零れていた涙は、驚きすぎて引っ込んでしまった。
「この一週間、お前を見ていた。あんなにガン見していたら、誰でも気が付くだろ?」
慎吾の言葉に、碧理は目に見えて項垂れた。
さっきもクラスで瑠衣に言われたばかりで、碧理が思っているよりも気が付いている人が多いのではと思うと、恥ずかしさで震えてくる。
「……もう、見ないようにする」
「それは好きにすれば良いけど……。それよりも明日の放課後暇か? 時間があるなら付き合え」
唐突に告げる慎吾に、碧理は首を傾げた。そして、その意味を考え顔が引き攣った。
「えっと、暇じゃない」
「嘘付け。付き合わないなら、これから毎日、昼休みの度にお前の教室に行って連れ出すぞ」
「……それ、困る」
「なら決定だ。明日の放課後、下駄箱で待ってる。絶対に来い。来なかったら、お前の家まで行くからな」
脅しのように一方的にそう告げると、慎吾は教室から出て行った。項垂れている碧理を一人残して。
しばらくすると、遠くで授業開始のチャイムが聞こえるが碧理は動けなかった。
「どうしよう。……言っても良いのかな、あの時のこと。でも、それで記憶が戻ったら森里君が……また」
蒼太のことを思うと、碧理は下手に動けない。時間が巻き戻ってしまったら後悔だけじゃすまない。あんな思いは二度としたくないから。
「……どうすれば良いのかな」
震えながら呟いた声は、誰にも聞かれることはなく消えていく。
碧理は縋るように、窓の外を見た。
そして、思い出す。
運命に導かれるように集まった、あの暑い夏の日を。
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