頬を打つ雨で目が覚めた。瞼を上げても、闇は晴れない。日が暮れているらしい。

 波の打ち寄せる音が耳に入る。起き上がると、頬から濡れた砂が剥がれ落ちた。どうやら余は打ち上げられたようである。

 雷鳴が轟き、稲光が空を走った。雨が、一層勢いを増した。

 それにしても、ここはどこなのだろうか。周りを見回しても、降り頻る雨と夜のせいで何も見えない。とりあえずは歩き出す。暗中模索しながら、誰か知り合いにでも会いはせぬかと期待する。

 海から湿った風が吹きつける。雨が余の横面を張る。

 再び空が光った。余は咄嗟に、島の中心がある方へ目を向けた。だが、そこにあるはずの影は見られなかった。無骨な三角形の火山は、影も形もなくなっていた。

 夢かと思い、頬を抓る。痛い。夢ではないようだ。では、ついさっきまで噴煙を上げていた山はどこへ消えてしまったのか。まさか、大爆発を起こして木っ端微塵に吹き飛んでしまったのか。だとすると、島全体が無事では済むまい。阿鼻叫喚の惨状が広がっていてもおかしくない。しかし見渡す限り、島は来る嵐に備えてか、ひっそりと静まり返っている。雨と風と時折響く雷鳴以外には、虫の音一つ聞こえてこない。

 島に異変が起きたわけではないとすると、答えは一つに絞られる。

 余が違う島へ来たのではないか。

 なるほど、そう考えると火山がないことにも合点がいく。知り合いに巡り合わぬことにも納得できる。

 だが、納得したからといって、今の状況がどうなるというわけでもない。ここがどこで、元いた島がどこにあるかを、余は知る必要がある。特に帰らなければならない理由もないが、やはり自分の枕は恋しいものである。

 この島には、なだらかな山が二つある。余の島にあったものに比べれば丘みたいなものだが、それでも余の身の丈以上の高さはある。

 雨に叩かれながら、余は斜面を登り出す。足下がぬかるんで、踏み込む度にいくらか沈む。木々の枝が軽い音を立てて折れていく。転ばぬよう足元ばかりに注意を払っていたら、あっという間に頂上へ出てしまった。風雨に晒されながら辺りを見回すが、めぼしいものは何一つ見当たらない。そもそも、暗くて視界がよく利かない。

 稲光が走る。無論、余の姿も照らされたことだろう。余と同じような図体を持った仲間が見つけてくれることを期待しながら、見知らぬ島の散策を再開する。

 その一歩を踏み出した時である。

 斜面を覆う泥寧に足を取られた。しまったと思った時には既に手遅れ、余は尻を強か打ちつけると、そのまま横向きに山を転げ落ちた。傍から見れば大して高くないように見えた山も、体を張って転がり落ちればなかなかの高さがあった。

 運が良いのか悪いのか、最後は顔面を岩場にぶつけて体が止まった。勢いがあったため、固い皮に覆われた鼻でもさすがに痛みが走った。

 歯も打ってしまった。脳を揺らされたような衝撃があったから折れたかもしれない。しかし、今はそれを確かめる術がない。舌で触れると健在のようだが、以前と感触が違う。欠けたようである。

 とんだ災難ではないか。忌々しい気持ちに駆られながら、余は泥の中から身を起こす。元はといえば、親友にそそのかされたことが始まりである。彼奴の口車にまんまと乗せられたために溺れ、見ず知らずの島に流され歯を打った。面白半分で余を陥れた親友も十分恨めしかったが、腹が減っていたとはいえ彼の口車にまんまと乗せられた自分の浅はかさも悔やまれた。

 歩いていると、足元から何か聞こえてきた。唸り声のような音である。目を凝らし音の正体を見極めようと試みるが、雨が強くて分からない。すると突然、視界に光が満ちた。余は咄嗟に顔を背けた。体が大きくなってからこっち、どうも光は苦手である。

 薄目を開けると、もう光は収まっていた。いや、収まったのではない。再び余の目玉を狙わんと、雨の中を回遊している。

「目だ、目を狙え!」轟く雷鳴に混じり、声がする。「目が弱点だ!」

 余のことを言っているのだろうか。だとしたら勘違いも甚だしい。余は〈目が弱い〉のではなく、〈光に弱い〉のだ。

 別の声が入ってくる。

「それにしても何だこいつは! 化け物だ」

 蜥蜴を捕まえて〈化け物〉とは失礼な。余は一喝くれてやった。

「うわあ」という頓狂な声が上がった。かと思うと、先程まで余の顔の辺りを飛び回っていた光が地面に落ちた。空が瞬くと、こちらへ背を向け走っていく二足歩行の動物(猿のようである)の姿が二匹分確認できた。声の主も奴らだろう。

 化け物扱いしたことを謝らせてやろうと、余は猿たちの背中を追いかけた。と言っても、相手の体は余の親指ほどもない。一歩跨げばすぐである。

 腰を屈めて顔を近づけると、二匹は同時に「うひゃあ」と飛び上がった。食われると思っているのか、水たまりにはまろうが泥を被ろうがとにかく必死の体で逃げていく。初めこそ滑稽に思えたが、段々その必死さが気の毒になってきて、「大丈夫。お前らのように不味そうな動物は食わんよ」と声を掛けてやりたくなった。

「おい、それ使え!」

「効くわけねえべ、こんなもん」

 何やら問答が聞こえる。

「やってみなきゃわかんねえだろ。やらねえよりはましだ」

 渋るような唸り声が聞こえたかと思うと、二匹のうちの片方がこちらを振り向いた。稲光が辺りを照らすと、手ぶらではないことが確認できた。棒のような物をこちらに向けているようだ。

 一体何が始まるのか知らんと鼻先を向けていたら、破裂音が耳を突いた。そして間もなく、鼻の頭に針で突かれたような痛みが走った。大した痛みではない。だが、的確に痛覚を刺激するので、平気でいられるわけでもない。思いがけない痛さに、今度は余が飛び上がる番だった。

「やったぞ!」

 鼻を押さえ目に泪を浮かべる余の耳に歓喜に満ちた声が届く。更に、二回三回と破裂音が続いてくる。同時に突くような尖った痛みも走るものだから、余はこの僅かな時間ですっかり例の破裂音が嫌いになってしまった。

 余はとうとう彼らに背を向けた。

 破裂音は止むことを知らず、それどころか増えているようである。彼らの仲間が加わったらしい。

 何だか分からぬ内に化け物扱いされた挙げ句、痛みの洗礼を受けている。本当に、何という一日だろう。〈厄日〉と言うほかない。今日を厄日と言わずして、一体いつを厄日と言えようか。

 このままいても仕方がない。海は荒れているが、ここで地味な痛みに苛まれるのも耐え難い。万に一つでも元いた島に帰れる可能性があるのなら、その希望に賭けてみたい。

 余は波に向かって歩み出す。歯の一部を失っただけで、何も得るもののなかった島を後にする。

 空腹が、思い出したように襲ってきた。

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