第37話 大いなる遺産

 脱衣所でアネットが皮鎧を外すのを手伝ってあげた。

ルアームオオヤモリの唾液がヌルヌルで留め金が滑りやすくなっている。

脇の下のベルトを外そうとするんだけど、気をつけていても自分の指がアネットの体に触れてしまうのだ。

そのたびにアネットがビクッとして、僕も緊張を強いられる。

お互いが押し黙り、微妙な空気が室内を満たしていた。


「ふう、ようやく取れた。これは洗濯室でお湯洗いしなくてはダメだね。やっておくよ」

「ありがとう。私はお風呂を使わせてもらうね」


 幸いなことに僕らは冒険用の装備に着替えてから出かけている。

制服がきれいなままなので助かった。


「蛇口をひねればすぐにお湯が出てくるから」

「うん、ありがと……」

「タオルはこれを使ってね」

「うん……」


 やっぱり、塔でお風呂を使うのは緊張するみたいだ。

それはそうだよね。

ここにいるのは僕ら二人だけだ。

それなのに無防備な裸にならなければならないんだから。


「汚れた服は後で洗濯機にかけるからね。それから、鍵はちゃんとかけるように。間違いがあるといけないから……」


 レノア先輩とのことが脳裏をよぎる。

先輩はサバサバした性格だから助かっているけど、アネットだったらしばらくは落ち込んでしまうかもしれない。


「いろいろとごめんね」

「気にすることないよ。この程度のトラブルですんでよかったじゃないか」


 僕はアネットを残して脱衣所を出た。



 洗濯場で皮鎧をよく洗い、広間まで戻ってきたけど、アネットはまだバスルームに入ったままだった。

髪についた粘液が落としにくいのかもしれない。

それとも毒性の何かで苦しんでいる? 

心配になるけどバスルームに駆け込むような間違いは犯さない。

女の子のお風呂は長いと聞いたことがある。

僕はそわそわと落ち着かないまま、宿題のページを開いた。


 テキストを目で追っても内容はまったく頭に入ってこない。

部屋の中をうろついたり、テーブルの上を拭いて時間をつぶす。

そんなふうに待っていると、きれいになったアネットがようやく広間に入ってきた。

同じシャンプーを使っているはずなのに、女の子が使うと効果が増すのかな?

いつもより華やかに香っている気がする。


「もう大丈夫なの?」

「うん。ただ、門限には間に合わなかったかな……」


 窓の外はすでに暗い。


「しまった。もう少し時間に余裕を持たせるべきだったね」

「仕方がないわ。ローレライの森を散策していたら迷子になったとでも言うから」


 ここは有名な迷いの森だ。

言い訳はそれで通るかもしれない。


「でも、罰則は免れないだろう?」

「たぶん週末の外出は禁止されるでしょうね」


 僕ら学院生にとって週末の外出は最大の楽しみだ。

実家に帰れないとなると、ご両親にも門限破りの事実を知られてしまうことになるだろう。

だけど、手がないわけじゃない。


「大丈夫だよ、アネット。今からでもこっそりウンディーネに戻ることができる。寮の門をくぐらずにね」

「どういうこと?」

「もう20年も前に君のお父さんが用意しておいてくれた秘密の地下道を使うのさ」


 自分が女子に夜這いをかけるために作ったトンネルが、数十年後に娘の役立つとはラッセルも想像できなかっただろう。

本来の目的は達成されなかったけど、娘のためにはなるのだ。

努力は報われたと言ってもいいんじゃないかな?


 僕たちはラッセルの小屋へ移動した。

寝室の奥にある倉庫は先日片付けたばかりだ。

要らないものを大量に処分したら、奥の方から地下へ潜る跳ね扉が姿を現している。

処分品の中には大量のエッチな本があった。

受け付けない性癖のものもたくさんあったけど、そういうのはタオに引き取ってもらっている。

そのせいでタオの親密度がアップしてるんだよね……。

残りはアネットの目に触れない場所に移動済みだ。


「こんなところに隠し扉があっただなんて、ちっとも知らなかった」

「だろうね。僕が見つけた時には物で埋もれていたから。20年前の汚れた靴下とか、石化したパンとか、片付けるのに死ぬ思いをしたよ」


 僕の話にアネットは顔をしかめる。

倉庫内も風魔法で空気の循環をしたんだけど、黴臭かびくささはいっこうにとれていなかった。


「先を急ごう」


 僕は地下へ通じる梯子を下りた。


「道はわかるの?」

「ここ数日、夜になると一人で探検していたんだ。ウンディーネ寮への道ならもう記憶しているよ」


 地下道を僕らは全力で走る。

そして、5分もかからずにウンディーネ寮の真下へと到着した。


「この扉から上がれば地下のボイラー室へ出られるはずだよ。他人に見つからないようにね」

「うん……。いろいろあったけど、今日は楽しかったわ」


 名残を惜しむように僕らの視線が交錯する。


「それでね、よかったら、また一緒に冒険したいなって……」

「当り前だろう。放課後冒険クラブは始まったばかりだよ。次はもっと下の階層にいってみようね」

「うん!」


 アネットは笑顔で寮に帰っていった。

これで門限破りを問い詰められることもないだろう。

さて、僕も塔に帰って夕飯にしようかな。

それとも、地下道をもう少し探索するか……。

この秘密通路は広すぎて、まだそのすべてを調査したわけじゃない。

実は一つ気になっている場所があるので、今からそこへ行ってみようかと考え付いた。

それは学院の外へつながる出口である。


 ここを作ったのは規則に縛られることを嫌うラッセルだ。

当然のように外へ出られる通路も用意されている。

図面によればテモズ川の排水口が秘密の出入り口になっているようだ。

今から街へ出て、たまには外食というのも悪くない。

それに今日の探索で買い取り素材も手に入れている。

指輪の鑑定もしてもらいたいから、ドラゴンパレスへ行くのもいいだろう。

急げばまだ店は開いているかもしれない。


 僕は大急ぎで塔に戻り、宝の袋を掴んで地下道を引き返した。


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