第5話 さよならバイバイ

「この本が読めるのかい?」

「……ほんの少し」

 

 そこは、ボルトーノの中でも特に変わった場所だった。高い崖のような地形に危なっかしい階段が作られ、上るのには大人でも息が切れる。そのほぼ頂上にある建物、通称「本屋」。

 何しろ建物の中には本しかない。数えきれないほどの、古すぎるのか異国の文字なのか、読める者などほとんどいない本の山。


 そこに似つかわしくない、黒髪の少女が訪れるようになった。歳は2桁に上がったばかりではないだろうか。少女は痩せているが、その細い目の光だけやけに鋭い。たまに来ては、何か探しているようではあったが、特になにも喋らない。ある日、1冊の本を手に取り、それをじっと見つめていた。

 「本屋」の男は、特に気にする様子もなくニコニコと少女に話しかける。


「僕は本屋だからね。タダではあげられないけど、代金はゆっくり払ってくれたらいいよ。ちゃんと読めたら、多分そこそこお金持ちになれると思う」



***



 魔術師ギルドとは、異質の魔法を使う女。

 その女が持つ銀色の円盤。

 所長の目は、それしか見えていなかった。手に取ろうと近づいていく。


 突然、どこからか光が放たれた。光の出どころは……所長の懐だ。


「!」

「魔法マニアを標榜するなら、不用意に魔方陣に踏み込むものじゃないわ!」


 その場にいた者が全員、気を取られて動きを止めてしまった。その隙に、ノルトは衛兵に抑えられていたはずの後ろ手を払う。一陣の風のように素早く銀板の元へ滑り込み、両手で掴んで素早く所長に向ける。

 光は、銀盤に吸い込まれていく。


 誰かの息を飲む音だけが聞こえた。

 静寂を打ち破ったのはノルトの声。



「ふーん、“アドラインのメダル”、ね」


 全員が動揺している中、一人冷静にノルトは続ける。

「100年以上前に子土地で活躍した大魔術師、アーク・アドライン。魔力付与者であり犯罪学研究でも名高い……あんたたちの職場の創始者じゃないの」


 ノルトとは逆に、完全に色を失った所長。光の出ている自分の懐を抑え、慌てて魔方陣から転げ出ながら衛兵に叫ぶ。

「き、君たちは席を外したまえ!」

「は? いや、しかし…」

「私がいいと言っておるのだ!」


 納得のいかない様子で、しかし逆らうこともできず振り返りながらも衛兵たちはその場を離れる。ずっと抑え込まれていたケイスはようやく解放されたが、ノルトの足元にへたり込んだままだ。


「犯罪の中でもとりわけ「スリ」に造詣が深く、彼はメダルに他人の持ち物を狙う者の動きを察知する力を付与していた、と」

「か、鑑定能力もあるのか……素晴らしい、ぜひその力について……」

「へーえ? あなたがを持ってるんだ」


 所長がびくりと体を震わせる。


「そういえば、半年前に街外れの魔法研究所で大規模な発掘調査が行われたわよねえ? アドラインが所長を務めたその遺跡で、大量の資料や道具が発見された。でも…」

 

 成金親父だいぶ顔色わるなっとるで、と滔々と語るノルトを見ながらケイスは思った。アカンこいつ、止まれへんで。


「その一部は輸送途中で行方不明。現在に至るも発見できず。彼の残したアイテムは数が少ないから、いろんなギルドが闇マーケットで血眼になって探してるわ」


 成金親父土気色や。


「で? あなたの懐にあるそれメダルは誰が付与したものだったかしら?」

「こ……これは関係ない!」

 土気色を通り越して真っ白の顔色で、所長は弱々しく抵抗を試みる。


「そうね、あたしは関係ないけど、領主様とか、闇マーケットの連中が聞いたらどう思うかしら?」

「せや、俺らは通りすがりやねんし、確かに関係あれへんよなあ」


 調子のいいバカが話に入ってきたので睨みを利かせるが、会話を打ち切れそうなので放っておいた。悔しそうな所長を前に、銀板を丁寧にしまい込む。


 この街の近くにある森の奥で得られた術は「幻影」と「鑑定」。主に知識を司るフクロウの精霊との契約だった。ボルトーノから距離は近いが、精霊との契約条件や時期がなかなか合わず、後回しになってしまっていたところだった。


 遠ざかりながらケイスがちらりと後ろを振り返ると、高そうな帽子を地面に叩きつける姿が見えた。

 その帽子、汚れ落とすの大変やで。

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