わび・さび

 翌日、俺は指定されたカラオケ屋の入り口前で待っていた。


「大丈夫だよな、服装もこれで良いんだよな」


 いつもの服装だと先輩の怒りを買うと思った俺は、あの後足早にアパレルショップに赴き、カラオケデートに向いた服装をオシャレな店員に相談して、勧められた服を揃えた。


 重ね着してるように見えるポロシャツ、落ち着いた色のスキニージーンズ、首には十字架のアクセサリーをぶら下げ、ベルトの尾錠には装飾が施されている。


 オシャレに疎い俺も、試着室の鏡に映った俺自身に驚いた。


 店員曰く、遊び心が大事だとか言って細かいところにも気を配ってくれたらしい、おかげで履いてるスニーカーともバッチリ雰囲気が合っている。


 そこでふと、あることに気付いた。


「緊張ではいって言ったけど、俺ボカロぐらいしか歌えねぇー!」


 流行りの曲なんてほとんど知らず、J-POPなんて流れても気に止めなかった。


 ボカロばかり歌ってたら、きっとあの先輩退屈になって俺を罵倒するはずだ。


 どうしよう!


「いや、それもだが俺って歌上手くねえし、音痴だったりするのかな? そこんところも確認すれば良かったっ!」


「高倉君、騒いでるけど大丈夫? 何かあったなら聞いてあげるわ」


 ハッと、伊集院先輩の声がした方に向いた。


「あ……」


「なに、そんなにじっと見て、何か変かしら」


 変じゃない、むしろ、最高に綺麗だった。


 VネックTシャツに、襟元に覗くフリルの付いたキャミソール。蕾が開花し始めたようなフレアスカート。


 元々ある儚い雰囲気に、可愛らしい服装が合わさって、まるで妖精のような神秘さと愛らしさがあり、学校で見る威厳のある知的な雰囲気はどこにもなかった。


「じゃあ、行こっか」


 俺の手首を掴んで引っ張る。力なんて入っていないのに、引っ張られた体はすんなり伊集院先輩の後を追う。


 受付の人から利用説明を受け、機材やら部屋などの指定も特にせず、バインダーを受け取り、振られた番号の個室に入る。


 ワンドリンク制なので、テーブルに置かれたメニューを二人で覗いて選んだ。その際先輩との距離感にたじろいだが、なんとかオレンジジュースを注文する。



「……オレンジジュースとコーヒーフロートをお願いします」


 年上だからといって、立て掛けてある受話器を手に取り注文する先輩。


 たった一歳しか違わないのに、どうにも先輩が遠く上の人に見えて仕方ない。


 いや、当然か。


 勉強も運動も、やらせれば全て完璧で、しかも学級委員を束ねているんだ。

 むしろ、俺みたいな底辺は泣いて喜ぶべき何だろう。


 にしても、なんで付き合ってくれたんだ。


「高倉君、その服装素敵ね。高倉君が選んだの?」


「え? まあ、ほとんど店員に勧められたものだから選んだとは言えないかな……ですね」


「無理に敬語じゃなくても良いわよ。私も高倉君のこと、武司君って呼ぶから、あなたも私のこと、衣音菜って呼んで」


 何故か呼び名まで決まった。


 伊集院……衣音菜先輩は妙にぐいぐい迫ってる気がする。


 そういえば、メニュー表を二人で見てた時も近かったけど、注文の時一度離れたよな。


 なんか、さっきより近付いてるような……。



「ねえ」


「はいっ!」


「私、可愛い?」


「えっ!?」


 それはもちろん可愛いが、この場合の可愛いってどっちだ? 服か? それとも……。


 コンコン、悩んでる時に戸がノックされ、ニコニコ笑顔を浮かべた店員が注文したドリンクを運んできてくれた。


 ナイス! 店員!


「先輩、飲み物も来たし、そろそろ歌おうよ」


「……うん」


 あれ? なんか浮かないような……。


 しかし、悩んでも仕方ないので、中央に鎮座するカラオケ機器を手に取り、液晶パットにペン先を向けて、固まった。



 しまった! ここで選んだら俺歌わなきゃならないじゃん、いや、カラオケなのだから当然だけど、でも、もし音痴だったら先輩の機嫌を損ねてしまう。


 いつも学校の花壇に水やりをする際、鼻歌は歌っている。


 だが、それは誰もいないのが前提だからだ。


 俯き加減で隣にいる観客をチラと見やる。


「あの~、先輩は歌いたい曲とかあります? 俺、色々ありすぎて決められないんすよ~、アハハ」


 覚悟が決まらず、つい衣音菜先輩に譲ってしまった。

 情けないとは思いつつ、先輩が歌っている隙に喉の調子やらテンポの取り方を再度確認しようと決めた時、そっと、先輩が顔を近付けてきた。


「あの……先輩?」


「武司君」


 タレ目なのに、とても怖い。


 もしかして、俺は失敗したのか。背筋がゾワゾワするなか次の台詞を待っていると。


「……敬語」


「はい?」


「さっき、敬語だった。それと、学校以外は先輩って言わないこと。良い」


「はっ、はい……」


 そういえばそんな話しをしたばかりだったな。あれ? 先輩呼び禁止になってる?


 と、どさくさ紛れに先輩呼びが禁止になったことにハテナを浮かべていると、先輩……衣音菜は俺の手からスッと機器とペンを取り、手際良く操作を進めていた。


 学校での印象が強いあまり、こういった店にはあまり来ないものと思っていたが、手際を見る分には何度か通っているのかな。


 衣音菜は機器をテーブルに置くと、モニター近くのマイクを取って歌う準備に入っていた。


 その隙に、喉を指で押したりなぞったりして少しでも良い声を出そうと躍起になっていると、天井にあるスピーカーから音が流れ始めた。


「えっ……」


 聞いたことがある導入曲だった。


 首筋に氷を当てられたような気分で振り向くと、疑問は確信に変わった。



 衣音菜が、マイクを握り直す。




『触って触れた、今日こんにち

 揺すって掃いた、昨日のよう

 待って止まって、こんにちは

 譲って止まった、君のせい


 ありふれた世界はー、忌々しくも廻る

 絵に描いた理想郷、イライラして壊した


 君がいないなら崩れるIt’s plain to see、Do whatever you want



 壊したい、壊したい、こんな世界なら

 変わりたい、変わりたい、だから一緒にいてくれるよね。


 だって、今があるのは君のせいなんだよ。

 だから、私の隣にいて、ねぇ、お願いだから』


 見た目の儚さに反して力強い声、訴えるような言葉のリズム。


 聞き慣れた間奏の合間に、衣音菜が微笑んだ。


『今日もどうだ、曇天だ

 勝手散った、明日のよう

 僕らだって、同点だ

 勝ってみたい、日を駆ける


 溢れでる想いはー、キラキラ輝いてー

 歪な望遠鏡、へらへらして笑われる


 君がいないなら崩れるIt’s plain to see、Do whatever you want


 壊したい、壊したい、こんな世界なら

 変わりたい、変わりたい、だから許してくれるよね


 だって、今があるのは君のせいなんだよ。

 だから、私の隣にいて、ねぇ、お願いだから』



 衣音菜の歌唱が静かに幕を閉じた。


 言葉が出ない。だって、そうだろ。


 一番気に入ってる曲を、こんな最高に歌い上げられたら、言葉なんて無くすよ。


「ねぇ、武司君、どうだった?」


 歌い終わって、ほんのり紅くなっている顔の先輩が、どこが幸せそうな表情で、そう尋ねてきた。


「凄かった……もう、本当に言葉に出来ないくらい、本当に最高だった」


 心から湧き出る感動の泉から救い上げたのは、そんな色気もセンスもない幼稚な言葉だった。


 けれど、それを聞いて、幸せそうにはにかむあなたはきっと満足してる。


 そう思えた。


「ねえ、なんでこの曲知ってるか、知ってる」


 俺の隣に衣音菜はふわりと座る。


「知らない」


「あなたが歌ってたの、あの花壇で」


「え……」


 思い当たる節があった。花に水やりをしてるとき、気分が良くなると歌っていた。けど、人なんていなかったはずだ、


 どこで……。


「あの花壇がある方の校舎、上に学級委員が会議に使ってる部屋があるの。二ヶ月ぐらい前から、あなたの歌、ずっと聴いてたのよ」


「えっ!?」


 盲点だった。外ばかり気にして、校舎の方まで気を張ってなかった。


 ってことは、先輩以外にも聞いた人が、ヤバい、恥ずかしい。


「最初はあまり気にしなかったけど、会議で意見がまとまらない時にね、気晴らしに聴いてたの。そこからかな、あなたを意識しだしたの。だから、手紙をもらったときは嬉しかった、でもあれ、武司君が書いたんじゃないよね、だって、僕って言わないし、所属してる委員の名前を間違えるようにも見えないし」



 衣音菜の口から次々と衝撃的な言葉が流れてくる。


 気晴らしに俺の歌を聴いてたのもそうだが、手紙を書いたのが俺じゃないことを見抜かれたことにも驚いた。


「あそこに行って、君の友達を見たとき、あー罰ゲームかってすぐ分かった。だけど、それでも嬉しかった。好きな人に告白されたから、でも、君がどう思ってるかは分からない、だって罰ゲームでしょ、嫌々告白したのかも知れない、だから、私のことが好きなのか、早く聞きたいの、ねぇ……」


 その先はない。

 衣音菜は、歌っていた時の迫力を無くし、今は、年相応のあどけない乙女の顔で、俺の返事を待っていた。


 今まで後ろめたい気持ちばかりで、付き合ってるこの状況にもビクビクしていた俺を、この人は、そんな風に見ていたのか。


 罰ゲームだった、告白して返事をもらえたらラッキーぐらいだなと軽く思っていた。


 けど、いざ返事をもらったら、機嫌ばかり気にして報復を恐れていた。


 俺は馬鹿だ。本物の馬鹿だ。


 だから……。



「先輩! 俺も、先輩のことが好きですッ!どうしようもない俺のことをちゃんと見てくれたこと、俺のために歌ってくれたこと、健気に頑張ってくれたのに、俺はずっと先輩の顔色ばかり気にしてました。だから、ごめんなさい!」


 頭を下げた椅子に座っていてだるそうに見えるのを、少しでも姿勢を良く見せるために頭をより下げる。


 手に指が触れる。



「じゃあ、手を繋ぐので、許してあげる」


 とても柔らかな笑顔がそこにあった。




 □■□■□



 二人で心ゆくまで歌っていた時、喉が乾いたのでジュースを取りに行った。


「あっ、お前ら」


「「げっ」」


「武司か、こんなところで珍しいな」



 高倉兄弟と佐合がいた。


「お前ら、なんでここに」


「別に関係ないだろ! お前は伊集院先輩とイチャイチャしてろよ」


「簡単に言うと、失恋会だ」


「ちっげぇーよ! ちがくねぇけど、ちげぇーよ」


 どっちだよ、と、高倉兄弟と佐合に突っ込みを入れたが、頭の硬い佐合と二人は言い争いを初めて聞いてくれなかった。



「武司君、遅いから来ちゃった」


「あっ、衣音菜先輩」


「「「あっ……」」」


 三人の独身者は、当然衣音菜の方へ視線を向けた。


 そして、衣音菜は、三人に頭を下げた。



「ありがとう、君たちのおかげで武司君と仲良くなれた。三人は感謝してる」


「そ、それはどうも」


「だけどね、変な罰ゲームに武司君を二度と巻き込まないでね、もし、巻き込んだら……」


 フフッ、と明かりの消えた瞳があった。


「「「ぜっ、絶対しませんっ!!」」」


 と、三人仲良くして個室へ疾走する。


 その光景を呆然と見届けると、腕に柔らかい感触がした。


「私達も、行こっか」


 幸せだし、どうでもいっか!

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