第7話 フー

 彼女が出て行く前に何とか声をかける口実がないか、瞬時に判断した。俺は慌てて後を追い、食べ残しやトレーを片づけつつ、わざとぶつかった。謝ったときには、お互いに肩にいるものに気づいた。もちろん俺は今知ったような顔を繕ってみせた。


「あなたのそれ・・・・・・」


 少女ははつらつとした同じ年ぐらいで金髪のポニーテールが腰まで届いている。目はほっそりして少しきついが、それが知的な感じをかもしだしている。化粧をうっすらしているがギャルではないし俺の敵対する学生でもない。


「こいつはカム」


 彼女が遠慮気味におずおずとカムに触れた。案外大人しいタイプかもしれないと思った。少女の指先がずぶずぶとカムにのめり込む。一方の俺も彼女のミカエリに触れる許可を待った。


「あたしのとちょっと違うみたい。この子はフー。風船みたいでしょ」


 突然彼女は打ち解けたように快活に話し出した。俺の手を取るが早いか、フーというミカエリに俺の腕を突っ込む。驚いたことに、フーは温もりがあった。温泉に浸かったような癒しが全身をくゆらした。


 これまで抱いてきた苦痛という歴史が瞬時に消し飛んだ気がした。いけない、このままでは快楽に呑まれて立ったまま眠り落ちそうだ。


 彼女が俺の緩んだ顔を見てあははと笑った。恥ずかしくなって我に返って手を引き抜く。


 自己紹介より先に互いのミカエリを紹介し合うなんて不思議だ。肝心の自己紹介はミカエリよりも手短だった。悪七のことも紹介しよう。


「あ、そうだ。俺の友達も紹介するよ。今そこに」


 振り向いたら悪七の姿がどこにも見当たらなかった。どこに行ったんだろう。ぎこちなくなって頭をかいていると少女が時計をちらちら目に止めているのが見えた。


「今時間ってある?」


「ごめんなさい。これからキャサリンと勉強。ってキャサリン知らないよね。留学生なの。日本語の勉強見てあげるんだ。フーの通訳つきでね」


 俺は唖然として、フーを見つめた。この風船型ミカエリは額に毛が一本のほかは、手も足もなく、目は眠ったように開いているのか分からない。第一印象からしてあまり利口ではなさそうなのだが。俺のカムだって「おなか」しかしゃべらないのだ。


「そんなことに使ってるのか?」


「使うって? この子はペットみたいなものだけど、一緒に働いてくれるの。あなたは今までどういう風にカムちゃんに接してきたの?」


 ますますどぎまぎして、俺は腕の傷が見えないか気にして腕を後ろに回した。見たところ半そでTシャツにつなぎといった姿の少女には、傷痕がどこにも見当たらなかった。どういう使い方をしたらそうなるのだろう。もう一度時計に目を落とした彼女は早口に謝った。「もう行かないと」


「あのさ、今度でいいから。ミカエリのこともっと詳しく聞かせてくれよ」


 ミカエリと言っても少女にはピンとこないのは当前だった。口を滑らせたことを後悔しながら慌てて言い足した。


「明日は? またこの店で」


「そうね。あたしもカムちゃんのこと知りたいし。じゃあ夕方四時は大丈夫?」


 彼女は早足で店から出た。ミカエリの貼りついた後ろ姿を見送るのは変な感じだった。しばらく立ちつくしていて新たに入店してきた客に押されて我に返った。もう正午近くなっている。席に戻るとそこに悪七が優雅にアイスティーをすすっている姿が目についた。


「お前どこ行ってたんだよ」

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