君との距離感(仮題)
上上下下
相傘
雨が降っていた。
運動部は室内でできることに切り替わり、耳に入るのは雑談に興じる生徒たちの声と雨音ばかり。
それを遠くに聞きながら、僕は図書室で本を読んでいた。
借りて帰るには本が濡れてしまうかもしれないし、あわよくば読み終わる頃には雨がやんでいるかもしれない、という淡い期待もあった。
まぁ、その期待は外れてしまったけれども。
読書に興じて粘った甲斐もなく、完全下校時間になっても雨は降り続いていた。
昇降口で自分の置き傘を探り当て、下駄箱で靴を履き替え、さて雨の中へと傘を開こうとして。
「あれ、秋里くん?」
背後から声をかけられた。
振りかえる。
女子がいた。
いやまぁ、そもそも女子か男子かしかないけれども。
それはともかく。
クラスメイトだった。
確か名前は……。
「
「ありゃ、私の事ご存じで?」
「名前くらいなら、なんとかね。それに、三尋木さんだって僕の名前知ってるだろ」
「まあね。クラスメイトの名前は覚えてますよ」
「僕も似たようなものだよ。全員の名前は覚えてないけど、知っとかなきゃいけない人は覚えてる」
「なるほどねー。私は『知っとかなきゃいけない人』なわけだ」
「委員長を差し置いて覚えなきゃいけないほどの人物は、うちにはいないかな」
そのことを差し引いたとしても、クラス内ヒエラルキートップという意味でも覚えておかなきゃマズい。
まぁ、本人に言っても否定されるだろうからこっちは伏せるけど。
「そっかそっか、なんにしろ覚えててくれて嬉しいよ」
三尋木さんが笑う。
「でさ、嬉しいついでにお願いがあるんだ」
「なんのついでなのさ……」
「嬉しいついでだよ。その辺は何でもいいじゃん。お願いがあるんだよ」
「雑だなぁ。……で、なんでしょう」
「ちょっと相傘をお願いしたいなーって」
ちょっとラーメン一杯、くらいのノリで傘を分け合うことを求められた。
「…………あー、マジですか」
「マジです」
「その心は、と問うてもいいですか」
「私の置き傘がなぜか姿を消していたから、と説きます」
至極明快な答えだった。
そりゃ雨の日に他人と傘を分け合う理由なんてそれしかないよな。
「いやでも、帰る方向違うかも」
「それは大丈夫。秋里くん、駅の方向でしょ?」
「そうだけど。なぜご存じで?」
「私も途中まで同じ道だからね。たまに後ろ姿を確認してたのさ」
「な、なんだってー」
「そんなわけだから、えっと、コンビニまででいいからお願いできないかな」
両手を合わせて拝まれる。
「あー、一応聞いてみるけど、お友達は?」
「この時間だからね、みんな帰っちゃった」
だからお願い、と再プッシュ。
……しかたない、か。
ここで拒否して帰ったら罪悪感も酷そうだし、話しかけられたのが運の尽きとでも思おう。
「……コンビニまででいいんだよね?」
「うん。そしたら適当に傘買って帰るから」
「わかった、いいよ」
「ほんとっ!?」
「ほんと。こんなことで嘘なんかつかないって」
「やった、ありがと!」
「ん。ほら、行こう」
そう言って、玄関に向かう。
彼女が慌てて靴を履き替える音を聞きながら、僕はゆっくりと傘を開いた。
「いやー、悪いね。傘窮屈にしちゃってさ」
あっけらかんと彼女が言う。
たしかに、たいして大きくない自分の傘だと二人で入るには少々狭い。
どのくらいかと言うと、三尋木さんが濡れないようにすると自分の肩が大きく濡れてしまう程度。
けどまぁ、予想はできてたから問題はない。
「大丈夫。それより、濡れてない?」
「うん。ありがとね」
「構わないよ。すぐそこだし」
「それでもだよ。私は濡れてないけど、秋里くんはだいぶ濡れてるみたいだし」
「想定内だよ」
「私にとっては想定外なんだよなぁ」
口をとがらせて、三尋木さんがす。
「どうしよっか、タオルは持ってるから後で渡すとして……」
「別に気にしなくていいよ」
「気にするよ! 私はこういう状況で罪悪感を覚えないような人間じゃないので! ……ってことで、ちょっと失礼」
言うやいなや、彼女が身を寄せてきた。
突然のことに僕の身体は固まった。
「……秋里くん? どうしたの?」
「…………なんでもない」
「何でもないような間の置き方じゃないんだけど」
「それはスルーの方向でお願いします」
「それは事と次第によるかなぁ……わぁ嘘、嘘、冗談! だから急に歩くペースを速めないで!」
ちょっとしたお返しがわりに彼女から離れてみると、傘からはぐれまいとひっついてきた。
少し縮まった距離感のままで。
「……三尋木さん?」
「はいなんでしょう?」
「ちょっと、近くない?」
「あ、やっぱり?」
そう言いながらも離れはしない。
「近いと思うよね?」
「うん、思うね」
「じゃあ離れようよ」
「だが断る!」
「なぜ?」
「お互いに濡れる面積を減らすには一番いい手段だから。あと」
「あと?」
「ちょっとだけお礼の意味も込めてる。どう? 近くにJKがいる感じは」
「正直緊張しかないからやめてほしい」
「……正直だねー、秋里くん」
三尋木さんが白い目で僕を見てくる。
「正直は美徳だからね」
「優しい嘘っていうのもあると思うんだ」
「今の会話に傷つくような内容はなかったでしょ?」
「あったよ。私のJKっていうブランドに傷がついたよ」
「それはそのブランドごと捨て去ればいいと思う」
その言い方だといかがわしい雰囲気がするし。
「ともかく、三尋木さん。少し離れよう?」
「離れたら濡れるでしょ? むしろもう少し近づいてもいいくらいなんだけど」
「三尋木さんは濡れないように気を付けるよ」
「秋里くんが! 濡れるでしょ」
「それは最初から織り込み済みだから大丈夫」
「私の心情的に大丈夫じゃないの」
「それは諦めてくれ」
「それは難しいなぁ」
歩きながらも横目でにらみ合う僕と三尋木さん。
お互いに折れなさそうな気配を察し、ほぼ同タイミングでため息をつく。
「とりあえず、この距離をキープって結論は?」
「異議なし。秋里くんって意外と強情?」
「いや、普段話さないような人とこんな近くにいる方がおかしいと思うんだけど。それも男女で」
「そうかなぁ? 考え方が古いんじゃない?」
「古っ……いや、そんなことはない。たぶん。人それぞれってだけだと思う。たぶん」
「自信なさげだねー」
「一般論なんて分からないし」
コミュ力が高い人々の距離感なんて知るはずがない。
そもそも、僕と三尋木さんでは普段の環境からして違うのだから、意見が食い違って当然だ。
「ともかく、この距離は僕にとってかなり近いってことを理解してほしいな」
「はーい。……そんなに近いかなぁ、これ」
首をひねりながらも、とりあえずうなずいてくれる。
「まぁいいや。ところで秋月くん」
「なに?」
「いつもこの時間に帰ってるの?」
「いや、今日はたまたま。普段はもう少し早いよ」
「ふーん、そうなんだ。じゃあ、今日は運がよかったのか」
「なんで?」
「秋月くんって特に理由もなく遅く帰るようなタイプじゃないと思ってたから。部活とかも入ってないでしょ?」
「入ってないけど……何で知ってるの?」
「委員長だから?」
「委員長にそんな権限はない!」
と思う。
うん、もしこれで本当にそんな権限があったら恥ずかしいな。
「あはは、冗談だよ。部活に入ってるって話を聞かないのと、普段の秋月くんの様子からの推測かな」
「……まぁ、普通にそうだよな」
少し考えたら分かることだった。
「でも聞きたかったのはそっちじゃなくて。どうして運がいいなんて話になるのかっていう方なんだけど」
「あ、そっち? それは、秋月くんと一緒に帰れるからかな」
「は、」
「普段話すことがないからねー。一回、ゆっくり話してみたかったんだ」
「あぁ、そういう」
「うん。それに、一緒に帰れたから濡れずに済んだし」
「それはどっちかっていうと傘を取られた不幸の方が大きいんじゃないかな」
「んー、そうかな?」
「そうだよ」
「そっかぁ」
そんなことを話しているうちに、目的地が目前に迫っていた。
「それよりも、コンビニについたよ」
「あ、ほんとだ」
三尋木さんが傘から出て小走りで屋根の下に向かう。
「タオルいる?」
「いや、大丈夫。自分のがあるから」
「そっか。それじゃ、今日はありがとね」
「ん、それじゃあ」
別れを告げ、駅に向かおうとして。
「あ、そうだ。秋月くん」
「ん、なに?」
「明日も遅くなるの?」
「どうだろ。分かんない」
「そっかぁ」
その声色はなぜだか少し寂しそうに聞こえた。
だから。
「……雨が降ってたら、遅くなるかもね」
なんとなく、そう返事をした。
「そっかぁ」
帰ってきたのは同じ言葉。
けれど、さっきよりも気持ち明るくなっていた彼女の声に、今度こそ背を向けて歩き出す。
明日も雨が降ればいいと思うような、だけど降ってほしくないような、妙な気分だった。
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