第41話:すれ違った姉妹1
カフェから帰宅するエリスが大通りを歩いている頃、アーニャの家では、ルーナとジルがいつものように雑談していた。
最近、ジルが楽しみにしているのは、アーニャとルーナの冒険の話。主に、悪い意味で数々の伝説を作ってきたアーニャの、ギリギリ犯罪になっていない危険な話ばかりだった。
「誤解した軍団長さんが姉さんに武器を向けちゃって、喧嘩を買った姉さんが城内で大暴れしたの。見張り塔が崩壊するほどの騒ぎでね、王族たちが避難を始めるほどすごかったんだよ」
アーニャの話は基本、大惨事である。まさに、破壊神という二つ名がピッタリ。
「軍団長さんって、すごい強い人だよね。アーニャお姉ちゃんは大丈夫だったの?」
数々のアーニャ伝説に触れても、ジルは絶対にアーニャを心配する。ピンチになったヒーローを応援するような気持ちなのだが、アーニャがピンチになった話は一度もなかった。
「喧嘩を売った軍団長さんを締め上げて、姉さんは頭をつかんで引きずり回してたよ。手応えがなくてイライラすると、そういうことをしちゃうんだよね」
「えーっ! アーニャお姉ちゃん、カッコイイ!」
「まあ、姉さんは手加減してたと思うんだけどね。あの時は武器も使ってなかったから」
一応補足するが、アーニャに素手で倒された軍団長が弱いわけではない。強すぎるアーニャの前では、弱者に分類されてしまうだけであって。
ちなみに、この出来事が原因で、アーニャとルーナは隣国に入国拒否されている。犯罪者でもない冒険者が入国制限をかけられたのは、歴史上初めてのことだった。
「やっぱりアーニャお姉ちゃんって、カッコよく剣で戦うの? 今ね、アーニャお姉ちゃんが使うジェムを作るお手伝いをしてるから、魔物はほとんど斬っちゃうんだろうなーって思ってたの」
「えっ? 姉さんがジェムを使うの?」
「うん、アーニャお姉ちゃんがそう言ってたよ」
ジルの言葉が数秒ほど遅れて入ってくるような感覚になり、ルーナはなかなか言葉の意味が理解できなかった。
(姉さんが……ジェムを? ソロで月光草を取りに行ってるとは聞いてたけど、姉さんほど強ければ、ジェムは必要ないはずなのに。安全策だったとしても、ポーションを余分に持っていくべきだと思う。何より、今までジェムに頼ったことなんて一度もなかった)
パーティからルーナが離脱したとはいえ、魔物に遅れを取るほどアーニャは弱くない。錬金術師として二年活動していたとしても、その実力は別格と言われている。現在も冒険者ギルドや錬金術ギルドを含め、国も一目を置くような存在なのだから。……色んな意味で。
それを考えれば、ソロで冒険者活動を続けたとしても、アーニャが戦闘でジェムを使うなんてあり得ない。大勢の魔物に囲まれようが、寝込みを襲われようが、アーニャは素手で討伐してしまうだろう。
(まさか、姉さんが何かを隠してる? そんなことができるような性格じゃないんだけど。うーん、どちらかといえば、ジルくんが誤解してる可能性の方が高いかな。姉さんが戦闘でジェムを使うなんて、考えられないよ)
頭を悩ませたルーナは、戦闘以外にジェムを使う目的があるのかもしれないと思った。
「ねえ、ジルくん。本当に姉さんが魔物と戦うためにジェムを……」
真相をジルに聞こうとした、その時だった。二度と聞きたくない音をルーナは聞き、頭の中が真っ白になってしまう。
パキッ……パキパキッ……
毛布の影響で少しこもっているが、音がするのは、間違いなくルーナの足。呪いに悩まされた二年の間に何度も聞き、その度に恐怖にさらされた、石化の音になる。
どこまで石化するのかルーナにもわからず、ゆっくりとカタツムリのように進み、少しずつ足の感覚が奪われていく。それが、ルーナの呪いの侵蝕だった。
そして、ルーナが石化するときに誰か傍にいたのは、これが初めてのこと。
「見ないで……。見ないでっ!」
瞬間的にパニック状態に陥ったルーナは、会話していたジルを拒絶。突き飛ばすことはないけれど、どうしていいのかわからなくなったルーナの手が宙を彷徨う。
石化なんてしたくない。でもそれ以上に、自分が石になるところを見られたくはない。
寒くもないのにルーナの体が震え、プレッシャーをかけるように石化の音が耳に入る。聞きたくもない音に集中してしまい、石化の音がどんどん大きく聞こえてくる。
恐怖に押し潰されたルーナは、涙腺が決壊するように涙が溢れ出していた。
悲しみや苦しみで泣くという体の本能すら理解できず、自分の感情をコントロールできなくて、涙が出ていることにも気づいていない。ただひたすら、怖かったのだ。
どうしようもない恐怖を表すように彷徨うルーナの手を、勇気をもって、ジルは両手で優しく包み込む。
「触らないでよ!! 出ていって!!」
パシッと弾いて拒絶したルーナは、そこでようやく、ジルと目線が重なる。睨みつけるルーナを、ジルは……受け入れていた。
恐怖に縛られるルーナに、怖がるような仕草をジルは見せない。本当はいつもと違うルーナが怖いけれど、呪いの恐怖と戦っていることをジルは理解している。
ここで離れてしまったら、もう二度と会えないことも。そして、エリクサーを譲ってもらった自分は、ルーナの支えにならなければならない、そう思っている。
エリスと一緒に同じ境遇を乗り越えたジルは、アーニャとルーナの関係がずっと気になっていた。
不自然なまでにルーナと会話をしないアーニャと、呪いに怯えることなく平然と過ごすルーナ。互いに思い会う二人の姉妹は、すれ違うように心の距離が離れていると、ジルは感じていた。寝込み続けた自分と看病してくれたエリスの姿を重ね、無意識に比較していたから。
――アーニャお姉ちゃんもルーナお姉ちゃんも、本当は呪いが怖いんだ。口に出すのはもっと怖いから、普通に過ごしているように見せてるだけで。
見たこともない治療薬を作り出すというプレッシャーに押し潰されるアーニャと、いつ体が石化するかわからない呪いの恐怖に怯えるルーナ。いつしか二人は、自分の心の内を隠すことで精一杯になり、心に余裕を持てなくなっていた。
――だから、僕が支えなきゃ。二人に元気になってもらって、ちゃんと恩返しをするんだもん!
睨み付けてくるルーナに、ジルは両手を広げる。
「大丈夫だよ、ルーナお姉ちゃん。すぐに落ち着くから、ちょっとだけ、我慢しよ?」
子供なりに精一杯の言葉で呼び掛けたジルは、ゆっくりとルーナに近づく。
「来ないで!! 一人にしてよ!!」
大声を張り上げるルーナの声が聞こえていないように、ジルはベッドに片足をかけて、よじ登る。
本当に拒んでいたら、ルーナは近づいてきたジルを叩き、ベッドから突き落としていただろう。悲壮感が漂う表情を浮かべているものの、ルーナは心のどこかで、助けを求めていた。
本当は一人になるのが怖い。
もっと我が儘を言いたい。
ずっと寂しくて心細い。
様々な思いが溢れ、目の前で両手を広げるジルが、少しずつ頼もしい存在へと変わっていく。子供の頃にルーナが甘えていた、昔のアーニャの姿とジルが重なり始め……、ルーナはギュッと目をつむった。
ベッドに膝立ちをしたジルは、恐怖に怯えるルーナを優しく抱き寄せる。止まることはない涙がジルの服に染み込み、温かい体温に、少しだけルーナの気が緩む。耳に大きく聞こえていた石化の音も、どこか遠くに聞こえるような気がして、ルーナはジルの背中に手を回した。
終わらない石化の音の恐怖から、安らぎを得るために。
「ごめんね。少しだけ、このままでいさせて」
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