第40話:公爵家のミレイユ嬢

 ジルがジェムを作り始めて、一週間が経過する頃。アーニャの中で肉あんかけチャーハンが空前のブームとなり、昼ごはんが固定されてしまった。


 毎日同じものを食べ続けると普通は飽きてくるはずだが、ルーナとアーニャの性格上、飽きがくることはない。夜ごはんも毎日オムライスを食べているため、好きなものは毎食でも食べていられるタイプなんだろう。


 ただ、それに付き合わされているジルとエリスは、完全に飽きているわけであって……。


「おいしいのはわかるんだけど、毎日は重いのよね」


 昼ごはんを食べた後、珍しくエリスはアーニャの家から離れ、貴族街のカフェに足を運んでいた。お腹を右手でさすり、胃もたれを起こした状態で来る場所ではないのだけれど。


 カフェの中に足を踏み入れると、青い制服に白のエプロンを付けた店員さんが、エリスを出迎えてくれる。


「どうぞ、こちらへ」


 顔を覚えられていたらしく、エリスはすぐにテラス席へ案内されていく。


(それもそうよね。こういう贅沢なお店は、錬金術ギルドの受付担当が来るような場所じゃないもの)


 貴族街のカフェというのは、庶民が来れるような場所ではない。間違って入って頼んでしまったが最後、紅茶を一杯頼むだけでも最高級の茶葉が用意されているため、明日からは節約生活が待っているほど、高値が設定されている。


 そんな場所にエリスが毎月訪れているのは、とある令嬢にお会いするためであり、テラス席の日陰で優雅に紅茶を飲む女性が、その方になる。


 青い髪を後ろでまとめ、フリルのついた白いドレスを着こなす、お淑やかな女性。


 エリスが近づいていくと、貴族令嬢は会釈をして、前の席に座るように手を出してくれた。


「失礼します、ミレイユ様」


 貴族の作法などわからないエリスだが、錬金術ギルドの受付として、ある程度のマナーは教えられている。そのため、周りから見ても違和感がない程度には、お淑やかなに振る舞うことができていた。


 エリスが椅子に腰を下ろすと、案内してくれた店員さんがメニューを差し出してくれる。


「本日はアップルパイをおすすめしておりますが、いかがなさいますか?」


「では、そちらのアップルパイを一つ。あと、レモンティーもお願いします」


「かしこまりました」


 店員さんが軽く会釈をして、ゆっくりと店内に戻っていく。


「珍しいですね。レモンティー以外も頼まれるとは思いませんでした」


「公爵家のミレイユ様を前にして、一人で食事をするのは恐縮ですが、たまにはご馳走になろうかと思いまして」


 昼ごはんの肉あんかけチャーハンを減らして、元からカフェで食べる予定でした、とは言えないエリスである。


「そうですか。遠慮なさらず、お召し上がりください」


 まだ頼んだばかりで食べられないですけどね、と思っていても、エリスは口に出さない。そして、必要以上に会話もしない。


(貴族の相手って、苦手なのよね。全然慣れないんだもん。あー、アップルパイは手で持って食べたいけど、フォークとナイフを使わないとダメだろうなー。もしギルドに報告されたら、お先が真っ暗になるよ)


 窮屈な貴族との会合に、ちょっぴり、反抗したくなるエリスだった。


 ***


 運ばれてきたアップルパイをエリスがフォークとナイフで食べ始めると、ミレイユが小さな箱を机に置き、スライドさせるように差し出してきた。


「いつもと同じものになります」


 アップルパイを口に入れたばかりの時に渡されても! と思いつつ、焦ることなく優雅に咀嚼したエリスは、箱の中身を確認せずに、ミレイユの方に押し返した。


「もう結構です。弟は元気になりましたので」


 エリスのような庶民が個人的に貴族と関わることなど、基本的にはあり得ない。ただ、公爵家襲撃事件に巻き込まれたジルの治療費をもらうため、エリスは毎月、直接ミレイユに会ってお金を受け取っていたのだ。


「回復なされたのですね。それはよかったです」


 感情が全然こもってないですけどね、と思いつつも、やっぱり口には出さない。


 人情を大切にして感情的に話す庶民とは違い、一つの言葉で多額の金が動きかねない貴族は、淡々と話し合いを進めることが多い。落ち着いた物腰のミレイユは、他の貴族と比べても感情がわかりにくかった。


「弟に事件のことを思い出させたくはありませんし、私も思い出したくはありません。今後の支援はお断りさせていただこうと考えています」


「いえ、あなたたちの人生を狂わせてしまったことは事実です。公爵家としては、まだ対応が不十分ですから、お受け取りください」


 もう一度ミレイユは、お金の入った箱をエリスに差し出す。


「今まで治療を受けられたのは、公爵家様のおかげです。これ以上はご迷惑になると思いますし、辞退させていただきます」


 いりません、とやんわり断り、エリスはお金の入った箱をもう一度押し返す。


「遠慮しないでください。今後の生活費に当てていただいても構いません」


「いいえ、結構です。ジルも働く場所を見つけておりますので」


 高貴な身分の方々はこうやって遊ぶのか、とエリスが思ってしまうほど、お金の入った箱をズリズリと移動させ合う。何度言ってもミレイユが諦めないため、エリスのアップルパイはどんどん冷めていく。


「今まで食べられなかった分、おいしいものを食べてください」


 この面倒くさいやり取りが終われば、おいしいアップルパイを食べられますけどね! と、声を大にしてエリスは言いたいが……、相手は公爵家の令嬢。下手をしたら、錬金術ギルドをクビになりかねないため、グッと我慢をする。


「大変失礼なことだと理解しておりますが、こちらはもう、受け取れません」


 頑なに断り続けるエリスだが、ミレイユは諦めなかった。受け取ってもらうまで渡します、と言わんばかりに、お金の入った箱を差し出してくる。


「私も失礼なことをお聞きしますが、どのように治療されたのですか? 今までも数々のポーションを使用して、治療されてきましたよね。手元にある治療費だけでは、返済が難しいと思いますが」


 少しばかりエリスの胸がズキッと痛んだものの、絶対にこのお金に手を付けようとは思わなかった。


 アーニャがエリクサーの代金を請求しないから受け取らない、というわけではなく、仮に請求されたとしても、エリスは一生かけて返そうと思っている。本当にこれ以上、エリスは公爵家と関わりたくないのだ。


 今も公爵家襲撃事件の記憶が沸々と蘇り、心の奥底に閉じ込めていた怒りの感情が湧き出てきてしまう。平穏な日常が終わりを告げた、忌々しい記憶が……。


「もう終わったことですから。ご理解ください」


 苛立つように表情を引き締めたエリスを見て、さすがにミレイユの手が止まる。受け取ってもらうために私情に突っ込んだつもりだったのだが、エリスにとっては、逆効果にしかならなかった。


「では、もし何かお手伝いできることがあれば、いつでもお訪ねください。お力に慣れることがあるかもしれません」


 定型文のようなミレイユの言葉が、エリスの心をかき乱す。上辺だけを取り繕う貴族の対応に、今はもう苛立ちしか生まれない。


 両親を亡くして、二か月後のこと。具合の悪いジルを深夜まで看病をしていると、急に苦しみ始めたことがあった。公爵家の言葉を信じてエリスは訪ねたのだが、門兵に武器を向けられて追い返された経験がある。


 深夜は受け付けられなかったのか、門兵に連絡が伝わっていなかったのか、ミレイユが社交辞令を言っていただけなのかはわからない。ただ、次第にエリスは貴族を信用しなくなっていった。


「本当に、力になってくれるといいんですけどね」


 ハッと我に返ったエリスは、今まで優雅に紅茶を飲んでいたミレイユの動きが止まったことに気づき、自分の失言にいたたまれない気持ちになってしまう。


「すいません。まだ仕事がありますので、これで失礼します」


 食べかけのアップルパイにもう一度手を付けることもなく、逃げるようにエリスは席を後にした。


 まだまだ自分は子供だと思いながらも、この気持ちばかりは抑えることができない。全面的に公爵家が悪いわけではないし、治療費のおかげでジルの命を繋いだこともわかっている。


 でも、もっと公爵家がしっかりしていたら、犠牲者は出なかったのでは……そう考えてしまう。


(公爵家を恨むのは間違ってる。これ以上は考えないようにしないと、私がダメになる気がする。まだやらなきゃいけないことがあるんだから、しっかりしないと)


 ジルが呪いから解放されたとはいえ、本来エリクサーが使われるはずだったルーナは、何も変わっていない。治療薬を作り続けるアーニャも同じ生活が続いている。


(肩の荷が下りた私が二人を支えるの。アーニャさんもルーナちゃんも、エリクサーのお金なんて望んでいないから。きっと二人は……)


 エリスは振り返ることなく、駆け足でカフェから離れていく。自分に居場所をくれた二人に恩を返すため、アーニャの家へ向かって。

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