第16話:アーニャの妹、ルーナ

 市場で買ったものをキッチンに置いた後、ジルとエリスは『ルーナ』と書かれた部屋の前に足を運んでいた。


 エリスが左手の人差し指を立てると、口元に持っていき『シー』と静かにするように指示を出す。ジルが頷いた姿を見た後、ドアノブに手をかけ、ノックをせずにゆっくりと扉を開けた。


 部屋の中には、窓際の近くに置かれたベッドの上で上体を起こし、銀髪をセミロングに切り揃えた女の子がいる。下半身に薄い毛布を掛けて、窓の外をボーッと眺めていたけれど、ドアが開いたことに気づいたのか、振り向いた。


「あっ、エリスさん。今日は来てくれるのが早いんですね」


「起きてたんだね、ルーナちゃん。本当はいつもの時間に来る予定だったんだけど、アーニャさんに無理やり引っ張って来られちゃって」


 穏やかな表情で微笑むルーナの姿を見て、エリスはジルと一緒に部屋の中へ入っていく。


「もう、姉さんは我が儘なんだから。それで……その小さな子は?」


「前から話してた、弟のジルだよ。本当は連れてくるか迷ったんだけど、ルーナちゃんも元気になったら会ってみたいって言ってたし、顔を出した方がいいかなって思ったの」


 相変わらず人見知りモード全開のジルは、エリスの後ろに隠れて、ひょっこりと顔だけを出していた。物腰の柔らかいルーナに興味があるのか、しっかりと目を合わせている。


「言われてみれば、目元がエリスさんに似ていますね。こっちにおいで、ジルくん」


 知らない女の子に声をかけられたジルは、とりあえず、エリスの顔を確認するように見上げた。


「心配しなくても、ルーナちゃんは優しいよ。体を動かせないから、ちゃんと傍に行って挨拶しておいで」


 二人の顔を何度も見比べたジルは、恥ずかしそうに手をモジモジさせながら、ルーナに近づいていく。


「まだ小っちゃい男の子だね。私はルーナだよ。ジルくんは、何歳?」


「えっと、十歳、です」


「そっかー。じゃあ、私の方が七つも年上になるのかー。あっ、ちょっと動かないで。ほっぺたにホコリが付いてるから」


 そう言いながらルーナが手を伸ばし、ジルの頬についていたホコリを優しく払ってあげる。言われた通りにジッとしていたジルは、ルーナの手に怯え、ギュッと目を閉じていた。


 あまりにも力強く目を閉じたジルがおかしくて、ルーナは頬を触れる。繊細なものを傷つけることなく、優しく包み込むようにして。


 ルーナの手の温もりを感じたジルは、ドキッとして体が硬直。なかなか頬の手が離れないことに疑問を抱き、ジルはゆっくりと目を開けると、ルーナと目線が重なり合う。


「もしかして、私に緊張してたり、する? 大丈夫だよ。怒ったり叩いたりしないから……ね?」


「う、うん」


「でも、少しだけ触ってもいい? ジルくんのほっぺた、モッチモチなんだもん。赤ちゃんみたいで可愛い~」


 両頬にルーナの手が添えられると、両手でフニフニと弄ばれる。笑顔のルーナに見つめられたまま、フニフニとされ続けれれば……、恥ずかしがり屋のジルはもう、何もできなくなってしまう。


 頭の中がお花畑のようになり、ボッヘェーーーとなったジルは、完全に思考が停止した。


「いいなー、エリスさんは。こんなにも可愛い弟がいて、羨ましい」


 そう言ったルーナは、ジルの頬から手を離し、今度は頭を撫で始める。


 初めて女性の家に上がらせてもらい、異性を気にする年頃になった、ジル。優しい笑顔で見つめられ、ほっぺたをフニフニと弄ばれ、挙句の果てには、頭をナデナデされている。


 少年が恋に落ちる三連コンボを受け、寝ぼけているようなボッヘェーーーとしたジルの顔を見れば、恋に落ちたのは明らかである。手懐けられるのが、非常に早い! さっきアーニャのことが気になっていたのだが、もうスッカリ忘れている!


 早くもジルは、ルーナの虜になってしまったのだ!


 空気を入れ替えるために窓を開けたエリスは、そんな二人を見て、苦笑いを浮かべていた。


「ジルは大人しいからいいけど、ワンパクに育ってたら大変だったと思うよ。同い年くらいの子を見てたら、手に負えそうにはないから」


「それはそれで可愛いと思いますよ。一緒に外で遊べますし」


「ルーナちゃんは面倒見が良さそうだもん。泥だらけのTシャツを着た男の子を見ると、私はゾッとしちゃうよ」


「エリスさんはわかってないなー。泥遊びをした後に、顔や服に汚れが付いている姿が萌えるんですよ。そうだよね、ジルくん」


「えっ!? ぼ、僕はどっちでも……」


 本人に聞かれても、困る質問であった。ただ、スッカリ手懐けられたジルは、ルーナのことが気になって仕方がない。その結果、今から作るオムライスを食べてくれるのか、気になり始めていた。


「ルーナお姉ちゃんは、お昼ごはん食べたの?」


「えっ!? ……あ、うん。姉さんが朝作ってくれたパンを食べたばかりだよ。ジルくんたちは、まだ食べてないの?」


 弟が欲しいとは言ったものの、お姉ちゃん、と呼ばれたことにルーナは驚いていた。姉のアーニャがいることもあり、自分がそういう風に呼ばれるとは、今まで思ってもいなかったこと。自分から心の距離を詰めたとはいえ……、妙に照れくさい。


「ううん。アーニャお姉ちゃんに言われて、オムライスを作ることになってたから」


「あれ? エリスさんが作るんじゃなくて?」


 部屋の掃除をしていたエリスは、何と言えばいいのか……と、頭をポリポリとかき始める。


「ちょっと不思議な話なんだけどね、寝込んでいる間に夢で料理の勉強をしてたみたいで、私より上手になっちゃって。たまたま通りがかったアーニャさんに話したら、早めに連れてこられたって感じかな。でも、さすがに昼ごはん食べたばかりなら、オムライスを食べられ……」


「オムライスは別腹ですから、大丈夫ですよ」


「え?」

「え?」


 互いの意見を確認し合うように、エリスとルーナは向かい合う。そして、ポカーンとした顔をしたジルは、ルーナを見つめていた。


 謎の沈黙が数秒ほど過ぎると、ルーナがクスクスと笑い始める。


「やだなー、エリスさんも冗談が好きですね。普通、オムライスは別腹で食べますよ。常識じゃないですか」


「そ、そうだよね! お、オムライスは別腹だよね! ハ、ハハハ!」


「エリスお姉ちゃん、オムライスは……」


「ジル、オムライスは別腹なの! 大人になればわかるから! ほら、早く作りに行くよ。アーニャさんに怒られちゃう」


「姉さんはオムライスのことになると、周りが見えなくなっちゃうからね。ジルくん、おいしいオムライスを期待しているね」


「う、うん」


 ぎこちない笑顔を見せるエリスと一緒に、ジルはルーナの部屋を後にした。普通はオムライスが別腹なのかなーと、疑問に思いながら。

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