第40話 闇

「起きなさい。そろそろ出番よ」


 闇の中に響く声に男は顔を上げた。男の表情は虚ろで肌は血の気を感じさせず、まるで死体のようだった。


「あ、……うっ、あ、あ」


 死体のような男の口が何度か開閉を繰り返すが、出るのは亡者のような呻き声だけで、それが意味のある言葉になることは終ぞなかった。


「どうだ? 使えそうか」


 闇の中に別の声が響く。


「見ての通りよ。何の問題もないわ」

「死体にしか見えんがな。こんな様でロラン王子を襲わせても不審さが目立って開戦に漕ぎ着けるのは難しいぞ」

「本番では魔法をかけるから何の問題もないわ。それよりもそっちはどうなのかしら、聖女を抱き込めそう?」


 聖女。その言葉に死体のような男が一瞬だけ反応したが、その関心は三秒と続かなかった。


「難しいな。最悪敵対するシナリオも考えておいた方がいいかもしれん」

「あらあら、十年以上もの間育ててくれた親よりも会って一年も経ってない男を選ぶなんて、親子の絆というのも儚いものね」

「親子の絆が脆いのではない。男女の関係に勝る関係が存在しないだけだ」

「あら、素敵。私達好みの言葉だわ。情熱的でいて、とても冷たい言葉。それならもしも二人が邪魔になった時は殺しちゃってもいいのかしら?」

「私の計画を知ってその上で邪魔をするのならばそれも仕方あるまい」


 応える男の声には僅かな躊躇もなかった。


「素敵よ、それでこそ私の旦那様。貴方には出来るものね、自分の願いのために何もかもを捨て去ることが」

「無論だ。その為にダークエルフである貴様らと手を組んでいるのだからな。世界の敵とまで言われる貴様らと」

「あら、それだけ? もう十年以上も夫婦として過ごしているのよ? そろそろ違う感情が芽生えても良い頃ではないかしら」

「寝ぼけたことを。忘れるなよ、貴様を妻にしたのはただの利害の一致でそれ以上の意味などないことを」

「そんなこと言う割には、ふふ。夜は私に夢中じゃない。例え貴方の願いが叶ったとしてもダークエルフの柔肌を味わった後で、本当に人間の奥さんで満足できるのかしら? 楽しみだわ。ふふ。その時が本当に楽しみだわ」


 感情を損失した死体のような男でさえ思わず震えてしまう、そんな笑い声が闇を揺らした。


「……そこの人形に問題がないのなら計画は予定通りに決行する。準備を急げ」

「分かってるわ。決行はジン風祭三日目に行われる精霊行列を狙いましょう。移動している分、剣舞の時よりは警備に隙ができやすいでしょうし」

「既にそこのバカ王子がダークエルフの色香に惑わされたという噂は流してある。今は笑い話にしかなっていないが、襲撃と一緒に魔物を放てば信憑性も増すだろう」

「犠牲者が多ければ、大衆は血の報復を求めるわね」

「一度火がつけばあとはそれを煽ってやるだけでいい。当初の計画に比べれば不確定要素が多いが、上手くいけば開戦も可能だろう」

「ああ、素敵ね。とっても素敵よ。貴方もそう思うでしょ? 何かが壊れる前の一瞬の静寂。今夜はとても良い夜ね」

「勝手に盛り上がっていろ。私は私の目的さえ果たせればそれでいい」


 闇の中に靴音が響く。どうやら声の主が一人去ったようだ。


「さぁ、上手く立ち回ってね私の人形」


 死体のような男はそれが自分に向けられた言葉であることにも、もう気が付けなかった。

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妹が聖女と判明した途端に婚約破棄されましたが、妹は王子よりも私を選んだようです 名無しの夜 @Nanasi123

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