第20話 遠雷

「よし。傷もだいぶ治ってきたかな」


 鏡に映る自分の顔を見て、ロナルルはホッと息をついた。


「あの顔で出歩くわけにはいかないけど、できれば魔術で治したくはなかったからね」


 先日の喧嘩を思い出してクスリと笑うロナルル。友人の想いを知っていての告白だ。痛みを甘受するくらいなんということもなかった。


「とはいえ、彼女に想いを寄せたのは私の方が先なのだがね」


 波打つ金髪に柔らかな面差し。そして一見儚げに見える美しさの中に灯る小さな炎のような赤い瞳。芯の強さを表しているかのようなあの瞳を兄であるラルドは気持ち悪いと評していたが、ロナルルはそうは思わなかった。


 暗く冷たい夜に温もりをくれる灯火のようなあの視線を独占したい。


 そう思い始めたのはいつの頃からだろうか? 募って行く想いは歳を重ねるごとに大きくなり、今では抑えるのが一苦労だった。


「参考までに聞いておきたいのだけど、もしも私がカレンをダルル王国へ連れ戻せと命じたらどうする?」

「ご命令とあらばすぐにでも」


 ロナルルしかいなかったはずの部屋にいつの間にか黒装束の女が立っていた。


「凄い自信だね、黒亜。相手はあのデルルウガの婚約者だよ。それとも君はこの大陸の出身じゃないから知らないのかな? デルルウガのことを」

「かつて大いなる災いが訪れし時、万を超える魔物の群れにたった数百の兵で立ち向かい、国を救った救国の英雄デルルウガ。その剣は鋼を切り裂き、その足は風よりも速く体を運び、その肌はあらゆる攻撃を弾き返す。デルルウガの名を継ぎし者、それすなわち大陸最強の剣士。存じて上げております。もう一つの顔の方も含めて」

「それでも出来ると?」

「勝つ必要はございません。私の生死を気にかける意味もありません。ご命令とあらば実行するまでです」

「ふむ。流石は音に聞こえた暗殺集団『忍』。君達を味方にできたのは幸運だったよ」


 王子という立場にあぐらを掻くラルドとは違い、ロナルルは物心ついた時から捕食者がひしめくこの世界を生き残るための術を貪欲に求め続けた。目の前に立つ女もその一つだ。世界を放浪して病のように死を振り撒く暗殺集団。彼らとの交渉に成功したのはロナルルが現在上げた成果の中でも最高のものだと自負していた。


 彼らならデルルウガに敵うだろうか? 分からない。少なくとも貴重な戦力である彼らを無為に死なせるつもりはなかった。


「カレンの件は冗談だよ。私は彼女を泣かせたくない。それに曖昧になっているだけでまだ告白の答えを聞いていないからね。ひょっとしたら彼女が自分の意思で私の元に来てくれるかもしれない」

「左様ですか」

「うん。……ちなみにだけどさ、君の見立てではどうかな? 私のところに来る可能性はどれくらいありそうだい?」

「生憎と色恋については無知なもので、お答えできかねます」

「そうなのかい? 意外だね」


 女の暗殺者なのに。という言葉をロナルルは飲み込んだ。


「御用がないのでしたら私はこれで」

「ああ。下がってくれて構わないよ」

「では……いえ、部下から連絡がありました。少々お待ちください」


 片手を耳に当てる黒亜。


(あれでどうやって遠くの部下と会話しているんだろうか)


 不思議に思いつつも、ロナルルは黒亜の会話が終わるのを待った。そしてそれはそれ程長くは掛からなかった。


「ロナルル様、処理班の方から連絡です。何者かが行方不明者の遺体の一部を持ち去ったようです」


 行方不明者。それが誰のことを指しているのかよく分かっているロナルルの瞳がスッと細くなる。


「詳しく聞こうか」


 立ちこめる暗雲。空気が重さを帯び始めた一室に、まるで嵐を告げるかのように遠雷の音が飛び込んできた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る