第2話 置き去り

「ほら、さっさと降りな」


 馬車が止まったのは隣国との境目にある森の中だった。馬を休ませるための休憩かと思っていたカレンは突然そう言われて大きく目を見開いた。


「降りて、その、どうすればいいのでしょうか?」


 カレンの至極当然なその問いに馬車の男はこれみよがしに顔をしかめて見せた。


「はぁ? 馬鹿か? アンタ、隣国に用事があるんだろ? なら隣国に向かえばいいだろうが」

「ですがここはまだ森の中です。せめて街まででいいので連れて行ってもらえませんか?」

「そんなもん知るかよ。最近は魔物が大量に出現しているって話だ。なのに護衛もなくこの森を通れとか冗談じゃねぇ。ここまで連れてきてやっただけでも感謝して欲しいくらいだね。ほら、降りた。降りた」


 兵士でないといえども相手は頑強な男だ。腕を掴まれて無理矢理引っ張られれば、か弱いカレンに抗う術はなかった。


「一応、地図だけは渡しといてやるからその通りに進めばつけると思うぜ。アンタが誰で何をやったかは知らないが、あの馬鹿王子を怒らせるなんてアホなことをしたもんだな」

「私のことを何も聞かされていないのですか?」

「知るかよ。俺は兵士が連れてきた女を隣国に届けろと言われただけだ」

「あの、私はーー」

「言わなくていいぜ。おおかた王子の子供を宿した娼婦とかだろ? そんな話は知りたくないんだよ。じゃあな。恨むなら金持ちのくせに護衛代すらろくに出さないアホ王子を恨んでくれや」


 そう言い残して馬車は去っていた。カレンはあまりのことに呆然として、しばらくその場から動けなかった。


(どうしよう。今から国に戻っても……私の居場所はないのよね)


 突然の婚約破棄をした王子もそうだが、土地と娘を秤にかけて土地を選ぶ両親。助けを求めても無駄だろう。何よりもカレン自身があの国に戻りたいとは思わなかった。ただ一つ、妹のことだけは気がかりではあったが。


「と、とにかくまずは隣国に向かわないと」


 夜の闇が支配する森の中を、カレンは月明かりを頼りに歩く。


(魔物が多くなってるって言ってたけど。だ、大丈夫よね?)


 貴族として少しばかりの魔法を嗜んでいるカレンではあるが、凶暴な魔物と戦えるなどと自惚れてはいなかった。慎重に、息を殺して正しいのかも分からない道を歩く。


 ガササ! と背後の茂みが音を立てた。


「な、何?」


 身を強張らせるカレン。音はさらに大きくなる。


 ガササ! ガササ!


 その音は明らかにカレンを目指して進んできていた。


「い、猪かしら」


 それはそれで危険なのだが魔物に比べれば随分とマシな気がした。カレンはゆっくりと後ずさる。


 ガササ! ガササ!


 音はさらに激しくなり、そしてーー


「ひっ!? そ、そんな……」


 魔物だ。頭部が二つある蛇の魔物。爬虫類独特の感情を感じさせない瞳に睨まれた途端、カレンはその場に尻餅をついた。


(こ、こんな……ど、どうすれば?)


 走って逃げる。魔法で戦う。どれを選んでも結果は同じなのだとカレンは直感した。


 蛇の魔物が独特の威嚇音を上げながら襲いかかってくる。


(プリラ。せめて貴方だけは幸せに)


 最後の瞬間、カレンの脳裏に愛する妹の姿が浮かんだ。そしてーー



 風が吹いた。



 あまりにも激しい突風。目も開けていられない程のそれが過ぎ去り、カレンが再び瞼を開くとーー


「え? プ、プリラ!? プリラなの?」


 蛇の魔物はどこにもおらず、その代わりに雪のように白い髪と銀色の瞳の少女が淡い光を纏ってそこに立っていた。


「どうしてここに?」


 いるはずのない妹の姿に目を見開くカレン。幻想のように美しい少女はそんな姉にそっと近づくとそのまま抱きついた。


「えっと……」


 妹が無口なのはいつものことだ。カレンは困惑しつつも妹の頭を撫でた。


「……ひょっとして一人できたの? お父様たちに何も言わずに?」


 プリラはコクンと一度頷く。そして銀色の瞳でカレンを見上げるとーー


「お姉様と一緒がいい」


 そう言って、姉を抱きしめる腕に力を込めた。

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