第34話浜松城にて

「いろんな人に心配かけすぎやでえ、雷次郎くん」

「それについちゃあ汗顔の至りだな。浅井の兄さん」


 浜松城の一室。絢爛豪華というよりは質実剛健の四文字が相応しい。何故なら鎧や武道を示す掛け軸が飾られているからだ。戦国時代の名残を思わせるのだが、豪勢であることには変わりない。この浜松城の城代である石川康長が雷次郎という貴人をもてなすため、この部屋を用意したのだ。


 しかし、その雷次郎は大怪我を負っていた。

 致命傷とまでは言わないが、かなりの重傷だ。今も布団で寝ている。

 その怪我について、今、雷次郎は自身の従兄弟である浅井霧政と枕元で話し合っていた。

 それも二人きりだった。雷次郎がそう望んだためである。


「とにかく、俺はもう動けねえ。再起不能ってほどじゃねえが、旅を続けるのは無理だろう」

「そやなあ。怪我が治るまで半月か一か月ぐらいかかるやろ。俺は医者やないから分からへんけど」

「いい加減だな。ま、そういうわけで浅井の兄さんには光の護衛をしてもらいたい」


 本題を切り出すと、霧政は耳のあたりを触りながら「ええで。やったる」と快諾した。

 黒脛巾組の襲撃など意に返さないという態度だった。


「せやけど、光や雪秀の気持ちはどうすんねん。あいつら雷次郎くんが回復するまでてこでも動けへんよ」

「その説得も頼む」

「嫌や。自分でやり。なんでそないな面倒なことせなあかんねん」

「俺が言葉を尽くしても二人は納得しない。だったら浅井の兄さんが力づくで説得したほうが――」


 そこで雷次郎は疼くような痛みに襲われた。

 傷がまだ痛むようだ。

 霧政は「あーもう。怪我人なんやから、無理せんといて」と面倒そうに言う。


「俺から話はしてみる。せやけど説得できる保証はあらへん。納得せえへんかったら、雷次郎くんが直接せえや」

「あの二人、結構頑固なんだが」

「それがスジ、ちゅうもんやろ」


 霧政が真剣な目で言ってきたので、雷次郎は何も言えなかった。

 布団に寝かされている身である。身体どころか心も弱っていた。

 そんな雷次郎に「そういや、お祖父さんが夢に出てきたらしいな」と霧政が言う。


「兄さんには話してないと思ったが。あー、雪秀には話したか」

「盗み聞きしたわけやないけどな。ちと小耳に挟んでしもうたんや」

「しかし珍しいな。兄さんがお祖父さんの話題を出すなんて」


 雷次郎は少し意外そうな顔になる。

 霧政は平静にしていた。


「だって、浅井の兄さんは――お祖父さんのこと嫌いだろう」

「嫌いちゅうか……まあ嫌いでええわ。故人やし」

「話題に出すのも嫌がるほどだろう。かすみ叔母さんが愚痴っていたぜ」

「おかんには申し訳ないと思うとる」


 雷次郎は「お祖父さんと話した内容は覚えてない」と言う。


「話したような気がするってだけだ」

「ふうん。そやったか」

「せっかくだから訊いてもいいか? どうしてお祖父さんを嫌うんだ?」


 従兄弟でもなるべく触れないようにしていたことを雷次郎は意を決して訊ねた。

 死にかけたこともあり、聞いておきたいと思ったのだろう。

 霧政は「今まで言わんかったけどな」と実に嫌そうに言う。


「お祖父さんが死ぬところ見せられたんや」

「死に目に会ったってことか?」

「せや。それ以来――死ぬんが怖くなった」


 意外な告白だったが、雷次郎は何となく分かる気がした。

 自分のせいで人が死んだ経験のある雷次郎だ。だからこそ人を殺めないと決めている。

 同じように、幼少期に人の死を間近に見せられた霧政は心に衝撃を受けたのだろう。


「今はもう平気やけどな。夜中に厠行くんがこわなって、寝小便繰り返した。そん度におかんに怒られたんや」

「…………」

「馬鹿馬鹿しい理由やけどな。驚いたか?」


 雷次郎は「いいや。馬鹿にしねえよ」と寂しげに言う。

 もし自分が死んでいたら光や雪秀、そしてその場にいた勝康の心に傷を作ったと思うと、何も言えない。


「せやから死ぬんやないで」


 雷次郎の心を見透かしたように、霧政は鋭く言う。

 自分から祖父の話題を出したのは、雷次郎に自覚させるためだった。

 そんな意図をくみ取った雷次郎は「兄さんには敵わねえなあ」と笑った。

 痛みがあるがそれでも笑った。



◆◇◆◇



「雷次郎殿。具合はどうですか?」


 徳川勝康が雷次郎の部屋を訪ねてきたのは、光と雪秀、そして凜と霧政が出立する前の晩のことだった。

 光と雪秀は案外雷次郎の離脱を受け入れていて、霧政が説得すると素直に頷いた。

 雷次郎が安心して寝ているところに、勝康はやってきたのだった。

 大大名の若君らしい恰好をしている。悪ガキだった以前と違って姿勢が正しくなっている。


「名医のおかげでなんとか回復しているよ。ありがとうな」

「いえ、私が感謝されることでは……」

「医者を手配してくれたのはお前だろう?」


 勝康は「まあそうですけど……」と恐縮していた。

 雷次郎は「どうかしたか?」と不思議そうに言う。


「……うじうじしても仕方ないと分かっています。だからはっきりと訊きますね」

「男らしいな」

「茶化さないでください。雷次郎殿は――あのとき矢を避けられたんじゃないですか?」


 雷次郎はどう答えていいものか分からなかった。

 勝康は悲しげに笑って「いいんです。本当のことを言っても」と覚悟を決めていた。


「私がいたから、避けなかったんでしょう?」

「お前さんは頭が良いと言うか、鋭いところがあるな」

「私は悪ガキだけど馬鹿じゃないんです。それにここ数日考える時間がたっぷりありましたから」


 次第に目を潤ませる勝康。

 雷次郎は「気にするな」とだけ言った。


「あなたは凄いお方だ。咄嗟に避けることもできたのに、私を庇って……自ら受けた。そんなこと、並の人間ではできやしない」

「勝康……」

「あはは。私は井の中の蛙ですね。狭い世界で粋がっていた……」


 ぽたぽたと袴の上に涙をこぼし始めた勝康。

 雷次郎は「これから世界を知ればいい」と言う。


「お前さんは若いというか、幼いからな」

「だけど、私のせいで、雷次郎殿が……」

「お前さんは悪くない。悪いのは黒脛巾組だ。子供を利用して命を狙う外道なんざ――」

「――いっそのこと、責めてくれたほうが良かった」


 勝康は泣きながら「どうしてそんなに優しいんですか」と問う。


「私だったら……悪くないと思っても、責めてしまいそうです」

「本当か? お前さんが俺と同じ立場なら責めやしないよ」

「そんなこと、分からないです」

「いいや、分かるさ。何故なら今、お前さんが泣いているのが証拠だ」


 雷次郎は優しく勝康に言う。


「以前のお前さんなら、後悔なんてしなかった。自分のために死ぬのが当然だと思っていた。だけど今、お前さんは俺のために泣いてくれる。成長したと思う」

「ら、雷次郎殿……」

「いい男になった。他人の痛みを泣ける男になったことを誇れ」


 雷次郎の穏やかな笑みを見て、ますます泣けてしまう勝康。

 これで信康さんの頼みは達成できたなと雷次郎は思った。


「私、強くなります」


 勝康は涙を拭って、雷次郎に宣言した。

 その目は子供のそれではなく、覚悟を決めた男のものだった。


「いつか、雷次郎さんのような男になって見せます。並んで歩けるように、強くなってみます!」

「……そうか。だが少し足らないな」


 雷次郎の言葉に「何が足らないんですか?」と疑問を抱く勝康。


「勝康。俺と並ぶんじゃない――超えるんだ」

「……えっ? 超える……?」

「俺を超えてみろ。お前さんのやり方で、お前さん自身が誇れることで、超えるんだ」


 雷次郎は最後に――にかっと笑った。


「お前さんなら、俺を超えられる。俺はそう信じている」


 勝康の目から、どっと涙が溢れた。

 最も尊敬している男が、自分に期待してくれている。

 そのことがとてつもなく嬉しかった。


「はい、超えてみせます……!」

「ああ、その意気だ」


 勝康の言葉に、雷次郎は満足そうに笑った。

 成長した勝康はいい男だと、彼は思った。



◆◇◆◇



 光たちが出立して半月。

 ようやく歩けるようになった雷次郎の元に、勝康が「大変です!」と駆け込んできた。

 いつもの部屋で身体をほぐしていた雷次郎は「どうかしたか?」と訊ねる。


「あの、あの男がやってきました!」

「誰がやってきたんだ?」


 勝康はごくりと唾を飲み込んで、一息に言う。


「奥州の筆頭、伊達政宗です!」

「……なんだと?」


 これには雷次郎も驚いた。

 自分たちが敵対している敵が何故――


「邪魔するぜ……あんまいい部屋じゃねえな」


 勝康を押しのけるように、その男は入ってきた。

 白装束のような真っ白い着物。竹や雀が描かれている。

 中年、それも雷次郎の父である秀晴と同じくらいの年齢だ。

 右目には眼帯をしていて、特徴的だった――


「お前さんが、伊達政宗か」


 名を聞かずとも雷次郎には分かった。

 目の前にいる男が伊達政宗だと。

 偽者でも影武者でも出せない圧倒的な覇気。

 奥州の筆頭と呼ばれる所以が――はっきりと分かる。


「今日はてめえと話しに来たんだ」


 どかりと畳の上に座る政宗。

 雷次郎が答える前に彼は言った。


「――俺と手を組まねえか?」

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