第33話祖父と孫

「そうか。雹も元気でいてくれているのか……」

「あの叔母さんは織田家当主の秀信様に嫁いでな。丹波織田家の中で上手に立ち回っているよ」


 二人きりの店内。

 それがとても心地よく居心地が良かった。

 祖父と孫という関係性もあるけれど、初めて話す間柄とは思えないくらい打ち解けていた。


「俺が今、まともにいられるのは有楽斎――織田長益様と言えば伝わるか? あの人のおかげなんだ」

「えっ? あの人出家したのか? 大昔は絶対にしないって言っていたのに」

「ふふふ。僧侶というより、怪しげな宣教師って言ったほうがいい」

「ああ……南蛮趣味は健在なんだね」


 話は飛び飛びになるけど、血のつながった者同士だから自然と分かり合う。

 雷次郎の話したいことを男は楽しそうに聞いている。


「弥助はどうした? まだこっちには来ていないようだけど」

「下総国の大名になった後、隠居して出家したよ。今は京であなたの寺の住職だ」

「……義理が堅いよ。まったく、僕なんかに忠義を貫かなくてもいいのに」


 雷次郎はその言葉に目を丸くする。

 男は「どうかしたかい?」と訊ねた。


「いや。本当に自分のことを『僕』って言うんだなって」

「あ。うん、そうだね……楽しくてつい出てしまった」


 ばつの悪い顔になる男に、雷次郎は「嬉しいこと言ってくれるじゃねえか」と盃を飲み干す。


「雨竜家が関東を支配しているのは知っているのは、死人から聞いたのか?」

「うん。秀吉から聞いた。あまりにも嬉しそうに言うものだから、文句が言えなかった」

「あんたは、親父には荷が重すぎると思っていたのか?」

「いや全然。だけどなるべく苦労させたくなかった。秀晴には昔から大変な思いをさせていたから」


 雷次郎は「そこんところはよく知らねえが」と前置きして空になった自分の盃に酒を注ぐ。


「親父は親父で楽しそうにやっている。別に苦労なんて思っていねえよ」

「ふふふ。ならいいけどね……」

「俺は親父とあんたの間に何があったのか分からない。武勇伝ばっか聞いていたしな」


 雷次郎は「一番確かめたかったことがあるんだが」と男に訊ねる。


「豊臣秀吉公の出世のきっかけとなった草履の逸話。あれに加担したって本当か?」

「加担ってわけじゃないよ。でも示唆は与えたかな」

「どういう意味だ?」

「昔、一人きりで生きていた頃、草履は常に履いていた。だけど政秀寺で修行していたときに冬に草履を履くと冷たいことに気づいてね。それを秀吉に話したら感心された……ただそれだけだよ」


 話を聞いた雷次郎は「子供でも思いつくことだが」と盃の酒を飲む。


「実際にやろうとは思わねえ。この件に関しては秀吉公の手柄だな」

「僕もそう思うから自分の手柄とは思っていないよ」

「じゃああんたが自分の手柄だと思うのはなんだ?」


 男は肴の煮物を食べつつ、雷次郎の問いについて考えた。

 そして思いついたように「二つあるな」と呟いた。


「一つは伊勢長島。もう一つは中国大返しのしんがりだ」

「数ある伝説の中で、その二つが手柄なのか?」

「伝説なんて大層なもんじゃないよ。ただ必死で生きてきただけだ」


 男は笑っている。

 雷次郎は優しく笑う男だなとぼんやり思った。


「伊勢長島は自分でも鮮やかに降伏させられた。ま、下間頼旦を死なせたのは残念だったけど」

「…………」

「しんがりのときは死ぬかもと思った。いや、死んでも秀吉を助けようと思っていた。結果的に雑賀衆に助けられた。本当に運が良かったよ」


 雷次郎は「あんたは本当の善人なんだな」としみじみと言った。

 自分が死なせた者のことを思っているのはその証である。


「しかし、内政官としての手柄を挙げなかったのは意外だった。あんたは効率の良い吏僚制度を作ったって教えられたが」

「それこそ言い訳になってしまうけど、僕じゃなくても思いつく人はいるさ。特別な教育を受けたわけでもないしね」

「……親父と似ていないと思ったけど、やっぱり一緒だな」


 雷次郎は少しだけ鬱陶しそうに言う。


「あんたも親父も、自分に自信が無いところが似ている。親子だな」

「あはは。良くないところが似てしまった……と言いたいところだけど、少しだけ違うかな」


 男は美味しそうに焼き魚を食べてから「僕と秀晴の違いはね」と説明し出した。


「周りの環境か、近くにいる存在かの違いだね。僕の周りには凄い人が大勢いた。秀吉、上様、秀長さんに半兵衛さん、正勝の兄さんに長政。それに長益様も器が大きかった。そんな瞬く星のような偉人に囲まれて、自分がたいしたことないって思ってしまうのは当然じゃないか? いや、言い訳に聞こえるかもしれないけど」


 雷次郎は「言い訳だけど分からなくもない」と頷いた。


「だから僕は自分にできること――内政を必死にやった。それしかできることがなかったから。結果として『猿の内政官』と呼ばれるようになった。翻って秀晴は僕に対しての劣等感が酷かった。秀晴は僕より何でもできるけど、突出したところがなかった。器用貧乏だった。だから自分が劣っていると勘違いしてしまったんだ」


 男は雷次郎の目を見た。


「だから僕と秀晴は似ているけど一緒じゃないんだ。むしろ秀晴のほうが名君になっているはずだよ。なにせ、文武両道を行く人間なんだから」

「……それは否定しねえけど」

「なんだ、お父さんのことが嫌いかい?」

「拗ねたガキじゃあるめえし、そんなことないけどさ。あの人のせいで結構苦労しているんだぜ?」


 そうは言うものの、祖父の前では子供同然な雷次郎。

 彼に対し「僕も苦労させてしまったからね」と若干寂しそうな顔をする男。


「それでも、しなくてもいい苦労じゃあなかった。人は苦労を重ねて成長するんだよ」

「そりゃあ至極真っ当なご意見だこと」

「若い頃の苦労は得難いものだよ」


 ふいに男が「そろそろ帰る時間だね」と雷次郎を促した。


「長居し過ぎたようだ。君を待っている人に申し訳なくなるね」

「俺を待っている人? 誰だいそりゃ」

「とぼけるなよ。心の中にはたくさんいるだろう?」


 雷次郎の心に浮かんできたのは、雪秀や勝康、凜と霧政、そして――光だった。

 特に光のことが気にかかる。あの娘は、大きすぎる重荷を背負わされていた。


「ま、しょうがねえ。生き返ってみんなに怒られてやるか」


 やれやれと言わんばかりに、雷次郎は立ち上がった。

 振り向くと眩い白の閃光が目に入る。


「雷次郎。もう何度もこっちに来るなよ。来るなら大往生しておくれ」

「ははっ。そいつは痺れる別れの言葉だな」


 雷次郎はにかっと笑って、最後に惜しむように、己の祖父に向かっていった。


「じゃあな。俺のお祖父さん」


 男もたおやかに微笑んで、自分の孫を送り出した。


「しばらくは会えないけど、元気でね――僕の孫」



◆◇◆◇



 雷次郎が目を開けると、己の右手を握られているのが分かった。

 目を向けると、光が必死に手を握りしめながら祈っていた。


「お前さん……ずっと居てくれたのか」


 雷次郎の言葉に、光はハッとして、それから意識が戻ったことに驚いて――


「……雷次郎が、目を覚ましたわよ!」


 大声で喚くと、どたどたと廊下からこちらに駆けてくる音がした。

 そして乱雑に襖が開いた――雪秀が息を切らして入ってくる。

 遅れて雷次郎は、己が豪勢な部屋で布団に寝かされていることに気づく。


「おー、雪秀。お前無事だったのか」


 のん気で嬉しそうな声で安堵する雷次郎に、雪秀と光は何を言っていいのか分からなくて。

 だから雪秀は近づいて、光は涙を流して――


「おかえりなさい、雷次郎様!」

「よく戻ってきて、くれたわね……」


 それぞれ出迎えの言葉を言った。

 雷次郎は先ほどまで懐かしいようで初めて会うような人と会話したなとぼんやり思いつつ、二人に対して笑顔で応じた。


「ああ。二人とも――ただいま」

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