第21話百万石の陰謀
神主が普段いるのかどうかも怪しい、小さな祠しかない寂れた神社。
申し訳程度の大きさしかない鳥居にもたれる雷次郎。
対して般若の男は直立不動で腕組みをしている。
「夜が明ける前には、話し終えられるか?」
「お前が余計な口を挟まなければ終わる」
「そうかい。ならさっさと話してくれ」
雷次郎は持っていた提灯を床に置いた。
風で揺らめく炎。だけど煌々と二人を照らす。
「まず、光殿の出自を話そう」
「いきなり核心からか。お前さん、好きなもんから食べる派?」
「……光殿は、誰から見ても悲惨すぎる生まれだ」
雷次郎の軽口を無視して、般若の男は告げる。
「あの方は――伊達政宗公のご息女だ」
「……なんだと?」
雷次郎が思わず聞き返してしまったのは仕方のないことだった。
みちのくの大名の筆頭であり、随一の勢力を誇っている実力者の名が出たのだから。
かの伊達政宗は、現将軍である豊臣秀勝の許可の元、みちのくの差配を任されている。
先の大戦、つまり小田原征伐では遅参したというのに、そこまでの権限を与えられている理由は定かではない。伊達家は豊臣家の序列に数えられていないが、影響力は雨竜家に匹敵する。
「独眼竜の名前が出るとは驚きだぜ。だが、伊達家の子女の中に光という名の者はいないはずだが……」
「光殿は正室の子でも側室の子でもない。しかし妾の子でもない」
「なんだそりゃ。てことは……やんごとなきお方の子ってわけか」
雷次郎の母親も同じような立場だったので、容易に彼は想像できた。
般若の男は「口にも出せない高貴な出の女人だ」とだけ言った。
「一目惚れした政宗公が半ば奪うようにみちのくまで攫ってきたのだ」
「あのおっさんもやるなあ。そういや、光が生まれる前ぐらいに、伊達家は上洛した……」
「正室より位の高い奥方。しかも生まれたのは家督を基本的に継げない女。光殿は隠れて暮らすしかなかったのだ」
おそらく軟禁状態で生きてきたのだろう。
一歩でも外に出たら……考えるだけでもおぞましい。
「光自身は両親のこと知っているのか?」
「無論だ。政宗公とも会っている。おそらく今回の件が無ければ、ずっと大人しく暮らしていただろう」
「今回の件……『百万石の陰謀』だな」
般若の男は「次にその説明をしよう」と感情の分からない声音で言う。
雷次郎は黙って先を促した。
「伊達家はみちのくに影響力があるとはいえ、領地は六十五万石ほどだ。雨竜家や他の序列されている大名家と比べるとかなり少ない」
「そうだな。百万石には足りない。となると……惣無事令を破って戦を起こすのか?」
惣無事令とは私的な戦を禁じる命令である。
要は戦で他家を併呑すると雷次郎は想像したが、般若の男は「惜しいが違う」と首を振った。
「伊達家は――豊臣家から許可を得ていた。内密にな」
「何の許可だ?」
「日の本の北の果ての先、つまり蝦夷地を攻め取って、領地とする許可だ」
雷次郎は顔をしかめた。蝦夷地は地図に起こせないほど広いと言われている。
その広大な領地を野心家の伊達政宗が手に入れたら危ういのは火を見るよりも明らかだった。
「よくもまあ、公方様は許可なさったな」
「先ほども言ったが、伊達家は六十五万石の国力しか持っていない。蝦夷地を攻略するのに時間がかかってしまう。ただでさえ、みちのくの大名家は伊達家を排除したいと思っているのだ」
「最初っから無理だって分かっていての許可か」
「その代わりに豊臣家が伊達家から何を得たのかは知らない。おそらくは見合ったものだと思われるが」
般若の男は一呼吸置いて「その蝦夷地攻略のせいで、光殿は窮地に追い込まれた」と全てがつながる核心を言い出した。
「政宗公が蝦夷地攻略のため、本格的に出兵しようとしたとき、他の大名家から拒絶された」
「……ああ、そうか。陸路だろうが海路だろうが、他の大名家の領地を通る必要があるのか」
「そのとおりだ。将軍家から内密にいただいた許可を公にするわけにはいかない。だから目的を教えることができなかった」
「事情を話しても通してくれないだろうのに、それはつらいな」
般若の男は「伊達政宗公はその問題を解決する方法を思いつかれた」と感情を殺した声で言う。
「しかしそれは伊達家が滅んでしまう可能性があった。いわば諸刃の剣だった」
「それはどんな方法だ?」
「単純明快な方法だ。他家の領地だから通れないのなら、自分の領地にすればいい」
「おいおい。そりゃあ無理だろ。さっきも言ったが、惣無事令で戦が――」
雷次郎の言葉を遮るように。
般若の男は静かに衝撃的なことを言った。
「十年間、他家の領地を――借り入れる」
「…………」
「蝦夷地までの最短距離を通れる領地。そして十年経ったらその領地の返還と二倍の土地を渡すこと。その条件で動こうとしたのだ」
雷次郎は「その方法なら蝦夷地まで攻め込めるが……」と考え込む。
「借りる領地の石高は?」
「三十五石だ」
「計算が合わねえじゃねえか。六十五石しかねえのに……ああ、だから滅んでしまう可能性があるって言ってんのか」
「そうだ。元々の領地と借り入れる領地。合わせて百万石。だから『百万石の陰謀』なのだ」
般若の男の話を雷次郎は鵜呑みにできなかった。
蝦夷地がそれだけの価値があるのか。
そして自分の領地を無くす可能性がある方法を選ぶのか。
「お前さんの言った方法を、伊達家が採用するとして、どうして光が追われる理由になるんだ?」
「伊達家が採用すると言ったが、それは正しくない。家中でも反対の声が上がった」
「……なるほど。光を利用したわけだ。その反対派は」
雷次郎は般若の男が悪いわけではないが、それでも睨んでしまうのは仕方のないことだった。
「流石の伊達政宗も、隠し子とはいえ、自分の娘を殺したりはしない。そう踏んだ反対派は光を言葉巧みに操ったわけか。伊達家の危機と言って」
「実際、危機なことに変わりはない。たった十年で蝦夷地を攻略できるわけがない」
「光は父を止めるために、雨竜家へと向かった……伊達家に対抗できる大名は、近くにそうはないからな。でもよ、いくら雨竜家でもさっき言った惣無事令は守らねえといけねえ」
「そうだ。だから貴様の父は豊臣家にこの件を預けたのだ」
提灯の灯りが僅かに小さくなった。
だが次第に元に戻っていく。
「じゃあ俺たちを襲った相手は伊達家が抱える忍び集団、黒脛巾組ってことだな」
「遊び人でもそのくらいは知っているのか」
「ただの遊び人じゃあねえ。日の本一の遊び人だ」
「……とにかく、全て説明した。ここからが本題だ」
般若の男は「どうして寄り道ばかりしている?」と雷次郎に問う。
「三島宿のこともそうだが、無駄な行動が多すぎる」
「事情を知らなかったからな」
「知ろうとしなかったと言え……だがどうして今となって、話を聞く気になった?」
般若の男の疑問に「お前さんが命がけで、俺と話そうとしてくれたからな」と雷次郎は答えた。
「風魔衆がいる中、俺と話すためだけに危険を冒した。そんなお前さんの覚悟と比べたら、俺の気まぐれなんてどうでもいい」
「…………」
「俺の考えだと、お前さんは伊達家の反対派の配下だ。しかし光に対して過度に思い入れがありそうだな」
般若の男は「言っている意味が分からない」とあくまでも冷静に答えた。
雷次郎は肩を竦めて「言いたくないならいいさ」と言う。
「とにかく、俺は――」
雷次郎は言いかけながら、刀を素早く抜いた。
金属同士がぶつかった高い音が辺り一面に響く。
「殺気を隠すなんて、一流以外はできっこねえな」
雷次郎は刀を構えながら警戒し始める。
闇夜から飛んできたのは――棒手裏剣。
「敵は八人だ。火薬の匂いはしない」
「教えてくれてありがとう。ついでに手伝ってくれるか?」
般若の男は黙って忍び刀を取り出した。
暗闇から襲ってくる忍びたち。
雷次郎は小さく呟いた。
「痺れるな、事情を聞いた後の、この状況は――」
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