第20話府中宿

「いやだいやだ! なんで私がこんな下郎と――」

「人のことを下郎って呼ぶんじゃねえ」


 駿府城の城下町の目抜き通り。

 旅人風の装いをした、駄々をこねる勝康の脳天に、雷次郎の拳骨が下る。

 悶絶している徳川家の若君を半ば無視して「とりあえず、府中宿で泊まりましょう」と雪秀は皆に言った。


「もうすぐ日が暮れます。夜はできるだけ休みましょう」

「先は長いしな。安倍川遊郭で遊びたかったが仕方ねえ」


 雷次郎が背伸びしながら雪秀の案に賛成した。

 光は「安倍川遊郭ってなに?」と凜に訊ねた。


「駿府の城下町にある遊郭のことだ。日の本でも屈指の歓楽街でもある」

「ふうん。雷次郎もそんなところに行くのね」


 ジト目で雷次郎を見つめる光に「結構楽しいぜ」と悪びれることなく答える日の本一の遊び人。


「煌びやかな提灯と美味い料理。そして綺麗な女。最高だ」

「……私はあまり好みませんけどね」


 固いことを言う雪秀に苦言を呈したのは意外にも凜だった。

 光よりも暗い目で「……興味がないということは」と呟く。


「本当に衆道の……」

「頼む、凜。信じてくれ。私は女人が好きだ!」


 真柄家のやりとりを横目で見つつ、やっと痛みが無くなった勝康に「一応言っておくが」と雷次郎は念を押す。


「お前さんは浜松城まで俺たちと一緒に行動する。異存があろうがこれは決定したことなんだ。わがまま言うんじゃあない」

「な、なんで、父上が、そんなことを……」

「性根を叩き直すためだよ。決まってるんだろ」

「だいたい、貴様は何者なのだ! 父上とどういう関係なんだ!」


 光が聞いているのを分かった上で、雷次郎は「日の本一の遊び人だよ」と誤魔化した。


「遊び人風情が、父上と知り合いなわけ、ないだろう!」

「ところがどっこい、知り合いなんだな。それに俺が何者であっても、父親の命令には逆らえないだろう?」


 勝康はぐぬぬと返答に困ってしまった。今までわがまま放題にやれていたのは、父の信康の威光があったからだ。それを十分に分かっているからこそ、否定ができない。


「…………」

「ほんの数日の我慢だ……あ、そうだ。旅の最中、お前さんの身分は明かさないほうがいい。人質にされるかもしれないからな」


 勝康は困惑して「人質? この私が?」と訊ね返す。

 今まで安全に生活していたから、自分の価値を中途半端にしか分かっていないらしい。

 自分の偉さは他人に振りまくものであり、他人に利用されるものとは思っていない。


「だから偽名を使う――勝太だ」

「……庶民の名前ではないか」

「ああ。可愛がっている銀太って子供がいてな。そいつからとった」


 勝康は「あまり格好良くないな」と文句を言ったが、渋々認めた。

 その後、凜から解放された雪秀が「もうすぐ着きます……」と力なく言う。


「神代という宿です。あまり上等な宿ではありませんが……」

「ああ、あそこか。こじんまりしているしけた宿の」


 勝康の言葉に「お前さん、意外と知っているんだな」と驚いた。


「どうして知っているんだ?」

「毎日、城下町で遊んでいるからな。自然と覚えてしまう」


 勝康は雪秀を睨んで「もっと良い宿があるだろう」と怒った。


「申し訳ございません。この辺りはよく知らなくて……」

「この私が泊まるに相応しい宿ぐらい探せ」

「かしこまりました。次回からそうします」


 勝康はなんだこの雪秀という男、私に従順だなと気を良くした。

 この四人の中で度しやすいのはこいつだなと独特の嗅覚で見抜いた勝康。雷次郎への鬱憤を晴らそうと、続けて文句を言う。


「よりによって神代を選ぶとは。ま、貴様の小さい身体には十分だがな」


 勝康は意外と不運かもしれないわねと光は雪秀から離れながら思った。

 絶対に触れてはいけない禁忌を無自覚に踏み抜いてしまう運の悪さを持ち合わせている。それは雷次郎との出会いから分かり切っていたことだった。


「――ぁあ? てめえ、今なんつった?」

「……へっ?」



◆◇◆◇



「……申し訳ございません。徳川家の若君に、酷いことを」

「うーん、少し直す努力をしたほうがいいな。その、かっとなる癖は」


 雪秀の怒りをなんとか収めた雷次郎。

 勝康は身体をがたがた震えて、何度も「ごめんなさい」を繰り返して、しゃがみこんでいる。

 その傍で息を整える凜。正直、雷次郎と二人でなければ、勝康を無傷で守れなかっただろう。


「怪我も無いようだから、まあ不問だろうよ」

「雷次郎。勝太の心には大きな傷ができたと思うけど……」


 光の不安そうな言葉に「少しできたほうがあいつのためだ」と雷次郎は笑った。

 うずくまっている勝康を立たせて、雷次郎たちは宿屋へ入る。


「いらっしゃいませ……ってあなたは!?」

「おう。さっきの。こりゃあ奇遇だな」


 出迎えてくれたのは先ほど浪人たちに囲まれていて、勝康に足蹴にされた女だった。

 細身で女にしては背丈が大きい、目がくりくりしているその女は女中姿をしていた。


「あ、あの……どうして若様と一緒に?」

「複雑な事情があって、こいつと旅することになった。一泊させてもらうぜ」


 雷次郎が下駄を脱ごうとすると「とんでもないです!」と女は悲鳴を上げた。


「若君を泊めるなんて、できません!」

「なんでだ? ああ、さっき乱暴したからか。おい、お前さん。謝れ」

「な、なんで私が……」


 謝罪を拒否しようとした勝康だったが、雷次郎が『謝らないと殴る』と目で訴えているのが分かって「……すまなかった」と軽く頭を下げた。


「そうじゃねえだろ。もっと深く頭下げて『申し訳ございませんでした』って――」

「いえいえ! 十分ですから! というより、そういう理由じゃないですから!」


 女は顔を真っ青にして「私たちの宿は、高貴な方を泊めるのに相応しくないですから!」と喚いた。


「大丈夫だ。身分を隠しての旅だから。むしろそのほうがこいつのわがままも少し収まるだろう」

「そ、そんな……」

「ところでお前さんの名は?」


 雷次郎の問いに女は「小梅と申します……」と答えた。


「小梅さん。別に無理難題言うわけじゃねえ。料理も布団も普通で良いんだ。二部屋頼むぜ」

「でも……」

「頼む! このとおりだ!」


 雷次郎は手を合わせて頭を深く下げた。

 小梅はしばらく葛藤していたが、少しの間をおいて「分かりました」と了承した。


「恩人ですし、逆に断ったら若様に悪いですよね」

「ありがとうな。お前さん、良い人だ」


 無事に部屋を取れた一行は、早めに夕食を取り――勝康が事あるごとに文句を言ったので雷次郎は躾けた――風呂を済ませて就寝することにした。光と凜の部屋には風魔衆が常に控えている。雷次郎は小田原城以来、ゆっくり眠ることができた――


「起きろ。話がある」


 深夜、丑三つ時。

 血の臭いがするなと雷次郎が思った瞬間、枕元から声をかけられた。

 殺気がないことを寝ぼけながらも感じ取った雷次郎。

 ゆっくりと目を開けると、そこには以前雷次郎たちを助けた、般若の男がいた。


「……数日ぶりだな。元気そうで何よりだ」

「世間話をするつもりも、近況を話すつもりもない。さっさと起きろ」


 上体を起こしながら雪秀と勝康の様子を窺う。

 二人はすやすやと寝息を立てて深い眠りに就いていた。


「なるほど、殺気を出さず、気配を殺せば気づかれないか」

「あの二人には用はない。無論、風魔衆にも興味はない」

「それで、話ってなんだ?」

「ここでは話せない。外に出ろ」


 愛想のない命令口調に雷次郎は、こいつ忍びかもしれないなと勘づいた。

 小田原城で似たような口調の凜と会話したことも気づく要因だった。


「分かった。行こう」


 雷次郎は寝巻を整えて、刀を差して般若の男の後に続いた。

 風魔衆には興味がないと言っていたということは、こちらの事情を知り尽くしているということだ。

 大人しく従ったほうがいいと雷次郎の勘が働いた。


「どこまで行くんだ?」

「近くに名も無き神社がある。そこなら人気がない」

「何を話すかも教えてくれないのか?」


 この問いは流石に答えないだろうと雷次郎は思ったが、それを裏切るように般若の男は言った。


「光殿の使命についてだ」

「…………」

「お前は知る必要がある」


 般若の男は振り返ることなく、黙ってしまった雷次郎に告げる。


「光殿が命を賭して打開しようとしている、『百万石の陰謀』を知る必要――義務がある。そうだろう? 雨竜雷次郎秀成――」

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