第14話捨てておけない

 幼き巾着切り、士郎の住む家は三島宿から少し離れたところの、町人長屋の一角にあった。隣家と比べて若干手入れのされていないが、建物の強度自体はそう変わらない。


 士郎は雷次郎たちを連れてくることに抵抗は無いようだった。それは雷次郎が手土産として、和菓子などを買ってきたことが理由だ。士郎に食べさせるためでもあったが、彼の姉の警戒心を解くためでもあった。いきなり押しかけて士郎に暴力を振るうのをやめろと言っても聞く気は持たない。当然、和菓子程度で直るとも思っていないが、心をほぐすのは大事だとも雷次郎は考えていた。


 しかし道中、士郎に姉のことを訊ねたが「優しいよ」としか言わなかった。暴力を振るっているようには思えない言動だった。雷次郎は士郎が誤魔化しているようにも思えなかった。ということは別の誰かが士郎に痣ができるまで殴ったことになる。


「お姉ちゃん。ただいま」


 雷次郎があれこれ考えている間に、士郎は長屋の扉を開けた。

 後ろで不満そうな光や凜、そして厄介事に巻き込まれたという顔をしている雪秀を気にせず、遅れて雷次郎も中に入った。


 家の中に灯りは無かった。もう夕暮れを過ぎて暗くなっているというのに。

 士郎に雷次郎が訊ねようとすると「おかえり……士郎……」と弱々しい声が奥から聞こえた。


「お姉ちゃん。身体の調子どう?」

「今日はいいかもね……」

「なんかね、そこのお侍さんたちが姉ちゃんに用だって」


 薄暗いのに目が慣れてきた雷次郎は、ようやく士郎の姉を見ることができた。

 十代前半。酷く痩せている。せんべい布団に包まって、苦しそうな顔で士郎に笑いかけている。

 顔色は判然としないが、どうやら病のようだと雷次郎は判断した。


「邪魔するぜ」

「あ、あの。あなた方は……?」

「話す前に、灯りを点けてくれ……って油はあるのか?」


 士郎の姉は恥ずかしそうに「無いです……」と答えた。

 雷次郎は「すぐに買ってきてくれ」と雪秀に頼んだ。


「これで買える分だけな」

「分かりました。凜、行こう」

「……かしこまりました」


 おそらく一か月分ぐらいある油の代金を雷次郎から受け取った雪秀は、凜を伴って油を買いに行った。

 それから雷次郎は光に「しばらくここで待っていよう」と告げた。


「少し考えなくちゃな」

「……急いでいるって分かっているの?」

「十二分にな。でもほっとけねえだろ」

「本当に、おせっかいなのね」


 光は呆れていたが、同時に士郎とその姉がどうしてこんな貧乏な暮らしをしているのか、気になっていた。



◆◇◆◇



 雪秀と凜が買ってきた油で、ようやく雷次郎は士郎の姉の顔を見ることができた。

 整った顔をしているが、頬がこけている。栄養が十分であれば美人であるのに、もったいないな雷次郎は思った。

 雷次郎はなるべく優しく「お前さんの名は?」と士郎の姉に訊ねた。


「えっと……すみれ、と申します」

「すみれか。そんで、士郎がやっていること、知っているのか?」


 すみれは「士郎のやっていること?」と不思議そうに聞き返した。

 雷次郎は雪秀と顔を見合わせた。何も知らないらしいと判断したのだ。


「この子は……こちらの女性の財布を盗ろうとしました。いわゆる、巾着切りですね」


 雪秀が士郎のしでかしたことを話すと、すみれは悲しそうな顔で「どうしてそんなことしたの?」と士郎に訊ねた。


「盗みなんてしちゃあ駄目なのよ」

「でも、そうしないとお姉ちゃんが……」

「私のことは、どうでもいいの。それより、謝ったの?」

「ううん……」

「きちんとごめんなさいしなさい」


 士郎はしばらく黙って、それから光に向かって「ごめんなさい」と謝った。

 すみれも布団から出て正座して「申し訳ございませんでした」と謝罪する。


「どうか、士郎を許してやってください」

「べ、別にいいわよ。盗んだって言っても、取り返せたから……」

「ありがとうございます……」


 雷次郎は「お前さんの両親は?」とすみれに訊ねた。

 すみれは「病で亡くなりました」と短く答えた。


「以来、弟と二人で……ごほごほ!」

「お姉ちゃん、大丈夫? 薬……もう無いね……」


 士郎がすみれの背中をさする。

 すると今まで黙っていた凜が「肺の病だな」と呟いた。


「だが重病というほどではない。食事を摂って薬を飲めば治る」

「よく分かったな」

「仕事上、医術の心得も必要なんだ」


 雷次郎は感心しつつ、二人の姉弟を見た。

 ろくに食えてない環境なら病気になっても仕方がない。

 しかし、それ以外にも理由があるはずだとも考える。


「なあ。両親の遺産とかないのか?」

「……ほとんど、借金として取られてしまいました」

「借金? そいつは――」


 雷次郎が言葉を続けようとしたとき、乱暴に入り口の扉が開かれた。

 全員がそこに視線を移すと、やくざ者と思われる人相の悪い男が二人入ってきた。


「珍しく灯りがあると思ったら、客が来ているのか?」

「もてなす銭があるんなら返せって話だよなあ」


 雷次郎は「なんだお前さんたちは?」と冷静に訊ねる。


「ああん? てめえこそ誰だよ」

「俺は雷次郎だ。名乗ったからお前さんも答えるんだな」


 雷次郎という名前に、やくざ者の一人が「どこかで聞いたような……」と首を捻った。

 もう一人のやくざ者は「偉そうに言いやがって」と唾を吐き捨てた。


「俺らはこのガキどもに用があるんだよ。今日が返済する日だからな」

「その……今銭はこれだけしかなくて……」


 恐る恐る、士郎が銭を見せる。

 かなりの少額でやくざ者の額に青筋が立つ。


「このガキ……舐めてんのか!」


 唾を吐いたやくざ者が士郎の頬を叩いた。

 家の床に倒れる士郎。

 すみれが「士郎……!」と短い悲鳴を上げた。


「てめえんところの親がこしらえた借金、どんだけあると思ってんのか! ああん!?」

「ごめんなさい、ごめんなさい!」

「殴られ足りなかったのか? この――」


 続けて足蹴にしようとするやくざ者。

 それに雷次郎は「やめろ!」と怒鳴って止めた。


「お前さん、恥ずかしくないのか? 子供に暴力振るうなんて」

「はあ? 別に? なんとも思わねえよ」

「そうか。お前さん、屑だな」


 雷次郎は立ち上がった。

 やくざ者は雷次郎の背丈の高さに驚きつつ「な、なんだてめえ!」と威嚇する。


「俺たちが三島を仕切っている、三和一家のもんだって知ってんのか!」

「知らねえよ」


 雷次郎は短く答えて、ゆっくりとやくざ者に近づく――


「ああ! 思い出した!」


 そのとき、後ろで考えていたやくざ者が声をあげた。

 見る見るうちに顔色が悪くなる。


「あ、あんた! 日の本一の遊び人、雷次郎だな!」

「なんだ。知っているのか」

「ちくしょう! おい、引き上げるぞ! こいつに関わるとやべえ!」


 やくざ者がきょとんとしているもう一人のやくざ者の襟元を掴んで、急いで出て行こうとする。

 帰り際、やくざ者は捨て台詞を残した。


「いいか? 借金を返せなかったら、女郎か奴隷になるんだからな!」


 やくざ者が去って静かになった後、雷次郎は「俺の名前、ここまで轟いているんだな」と嬉しそうに言った。


「なんか、痺れるな」

「そんなこと、どうでもいいでしょう……」


 雪秀が呆れながら言って、それから「借金のことですが」とすみれに訊ねる。


「どのくらい、残っているんですか?」

「五十両です……」

「大金ですね。どうしてそんな借金を?」

「お父ちゃんとお母ちゃんの夢のためだよ」


 それに答えたのは、光と凜に殴られた怪我の手当てを受けていた士郎だった。


「この三島宿をもっと盛り上げようって。新しい商売を始めようとしたんだけど、流行り病で死んじゃったんだ」

「新しい商売?」

「うん。おいらは分からないけど、凄いことをしようとしたんだって」


 それを聞いていた雷次郎は「確か、三和一家って言っていたな」と言う。


「ちょっと行ってくる」

「はあ? あなた何を言っているの!?」

「すみれと士郎の借金をどうにかするって言ってんだ」


 それにはすみれも士郎も驚いた。

 どうしてこの人はそこまでしてくれるんだろうと疑問に思った。


「雪秀。ここを頼んだ」

「私はお留守番ですか?」

「三和一家の野郎共がここに来るかもしれないしな」

「分かりました……無茶しないでくださいね?」


 光は「ほっとけないのも分かるけど」と苦言と呈した。


「ここに留まるのは嫌よ。明日には出発するんだから」

「それは任せてくれ」


 雷次郎は自信満々に答えた。


「今夜中に、三和一家を叩き潰す。子供を追い込むような真似する奴らなんて、捨てておけねえからな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る