第13話三島宿の巾着切り

 伊豆国の三島宿は東海道の中でも、大きな宿場町である。

 旅籠の数が五十を超え、旅人も多く利用していた。理由は箱根の山越えのためである。難所の前に一泊しようと考える者が多い。結果として旅籠が雨後の筍のごとく乱立することとなった。


 真柄家は雨竜家の許可と支援の元、三島宿を整備していた。税収が主な目的であるが、伊豆国を盛り立てるためでもある。相模国と伊豆国の二か国を治めるかの家にしてみれば、領国が栄えることによって、雨竜家に次ぐ関東の大名としての格を上げることにつながった。


 だから雪秀は自慢げに「どうですか。この賑わいは」と自慢げに雷次郎に言った。

 三島宿を整備せよと命令したのは雪秀である。元々、三島大社の門前町であったこの場所を、さらに発展させた自負が彼にはあった。


「おお。凄い人の数だな。流石、雪秀だ」

「ふふん。そうでしょう!」


 雷次郎は手放しに誉めて、雪秀はそれを素直に受け取った。

 光は小さい背丈の雪秀が優越感に浸っているのを、どことなくちぐはぐに思いながら、隣で警戒している凜に「本当に賑わっているわね」と耳打ちした。


「ちょっと危ない臭いがしないでもないけど。雪秀、どうしてあんな反応なのかしら?」

「……若殿はあの『猿の内政官』を崇拝しているのだ。だから武の腕前よりも、こうした内政の才を褒められるほうが嬉しいのだろう」


 光は『猿の内政官』のことを知っていた。というより、知らない者のほうが珍しいだろう。

 曰く、謀反人明智光秀を討ち取った大功労者。

 曰く、日の本を泰平の世に導いた平和の使者。

 曰く、将軍家の基盤を作った唯一無二の英雄。

 細やかな英雄譚を紐解けばキリがないほどの伝説の人物だ。


「まあ、雨竜雲之介の最初の家臣、真柄雪隆の息子なら憧れはすると思うけど」

「憧れ、というよりは信仰に近い……悪いことではないが、ほどほどにしてもらいたいな」


 風魔衆の頭領の凜が困った顔をすると、それと見た光はくすくす笑い出す。


「何がおかしい?」

「いや。手のかかる弟の面倒を見る姉みたいな顔していたから」

「ふ、不敬だぞ! 私などが……」

「ごめんごめん。悪かったわ」


 女の子二人がはしゃいでいる様子を雷次郎は見守っていた。そして二人の関係は良好だと判断した。


「最初はぎこちなかったけど、すっかり仲良くなったな。杞憂で良かった」

「そんなことより、聞いてくださいよ! まず私は――」

「この場でそういう話をするんじゃあない。俺以上にお前の正体が分かっちまったら、危ういことになるんだからな」


 善政を強いている真柄家だが、どこかしら反抗する者が現れてしまう。

 いや、善政を敷いているからこそ、日の当たらない場所で生きている者に恨まれるかもしれない。


 興奮冷めやらぬ雪秀をなんとか引きずりつつ「こっちの宿に行くぞ」と雷次郎は騒いでいる女二人に言う。


 目抜き通りを歩くと、人が密集していた。はぐれないようにと光は雷次郎に近づく――そのとき、小さな男の子が後ろからぶつかった。


「――ごめんなさい、お姉さん」

「あ、うん。こっちこそごめんね」


 男の子が素早くその場を立ち去ろうとしたが、その腕を雷次郎が掴む。

 そしてそのまま捻り上げる――


「い、痛い! やめてよお兄さん!」

「ちょっと! 雷次郎、あんた何を――」


 抗議の声を上げる光に対し、ひどく冷めた声音で「はあ。やっぱり盗人は無くならないものですね」と雪秀が男の子の懐を探って、何かを取り出した。


「あ、それ……」

「あなたの財布だ。まったく、不用心にもほどがある」


 雷次郎に貰った路銀が入った財布を受け取った光は呆然としていた。

 すぐ後ろにいた凜は「油断しすぎだ」と注意する。


「光以外は全員、気づいていたぞ?」

「……あなたたち異常よ」


 雷次郎は男の子の腕を持ったまま「大した腕前の巾着切りだな」と笑った。巾着切りとはスリのことである。


「坊主、お前さんの名は?」

「痛い痛い! 悪かったから放してよ! 折れちゃう!」

「痛いだけだ。それより名前は?」

「し、士郎だよう! ごめんってば!」


 雷次郎は男の子――士郎の身なりを見る。つぎはぎだらけの着物。瘦せっぽちの身体。巾着切りを悪事と思っていない、ある意味純真な顔。ふと着物の下に痣がたくさんあるのが見えた。おそらく親にやられたのだろう。


「士郎か。いい名前だな」


 雷次郎が腕を放すと、士郎は腕を振って「痛かった……」と涙目で呟いた。

 雪秀は目を切らずに「奉行所に突き出しますか?」と問う。


「この子供の被害者はかなり多いはずです」

「や、やめておくれよ! 反省しているからさ!」

「その場しのぎの言い訳にしか聞こえん。雷次郎様――」


 雪秀の言葉を待たずに雷次郎は「歳はいくつだ?」と質問した。

 士郎は小さな声で「……十才」と答えた。


「そうか。士郎、腹減っているだろう。そこの食事処で何か食べないか?」

「へっ? 食べる?」

「奢ってやるよ。ほれ、ついてこい」


 雷次郎の気まぐれに思える行動に、光と凜は混乱した。巾着切りに飯を奢るという意味が分からなかった。

 雪秀は頭を抱えて「またですか……」と呟いた。何度も同じ経験をしていたので、次の行動が手に取るように分かってしまった。


「……あの、おいら、その」

「何戸惑っているんだよ。いいから来い」


 士郎の腕を取って雷次郎は食事処へ入っていく。そして「女将、五人だ」と言って六人掛けの机に向かって、椅子に座った。その隣には士郎が座った。


「へい。何にしましょ?」

「この辺の名物ってなんだ?」

「石焼豆腐とやっぱり魚でごぜえます」

「じゃあそれらを人数分貰おう」


 後から入ってきた雪秀たちは呆れつつ、各々の席に着く。


「雷次郎、あなた何考えているの?」

「ふざけているなら殺すぞ」

「まあまあ。とりあえず、飯食おうぜ。もうすぐ夕飯時だろ?」


 光と凜の非難の目を受け流しながら、すぐに出てきた料理を士郎に勧める雷次郎。


「お腹空いているだろ? 食っていいぞ」

「……本当に食べていいの?」


 士郎の確認に、雷次郎は力強く頷いた。

 士郎は最初ゆっくりと食べ始めたが、誰も咎めないと分かると、勢いが徐々に増す。

 その様子を見て、光と凜は何も言えなくなってしまった。


「はー、美味しかった!」

「よく食ったなあ。感心感心」


 満腹になった士郎に満足した雷次郎。

 一息ついたのを見計らって、雪秀が切り出した。


「それで、その子をどうするつもりですか?」

「その子って言うな。士郎と呼んでやれ」

「……士郎をどうするつもりですか?」


 雷次郎は爪楊枝を咥えながら「考えてない」とあっさり言う。


「まずは士郎の話を聞いてからだな」

「……あなたって人は、本当にあれですね。人助けが好きですね」


 皮肉そのものだったが、雷次郎は気にせず「士郎。お前さんの家族はどこにいる?」と訊ねた。士郎は戸惑いつつ「町外れにいる……」と答えた。


「何人家族だ?」

「お姉ちゃん一人だけ。ねえ、おいらをどうするつもりなの?」

「……話し合う。お前さんの今後についてな」


 雷次郎は「おい、勘定」と店の者を呼んで支払いを済ませて、士郎に「案内しろ」と言う。

 光は「本当に何を考えているの!?」と喚いた。


「急がないといけないのに――」

「どうせここに泊まるんだ。その前にちょっと話しておく」


 雷次郎は士郎の頭の上にぽんと手を置く。


「こんな子供に巾着切りを平然とやらせる姉に、一言言ってやらないと気が済まねえ。そんでやめさせるように説得する」

「はあ!? 頭おかしいの!? なんで――」


 雪秀は「光殿。無駄だ」と短く言った。


「こういうときのこの人は止まらないんだ。諦めよう」

「あ、あなたまで――」

「決まりだな。行くとしよう」


 傍目から見れば、雷次郎の行動はおかしなものだった。

 しかし、彼の視点からすると当たり前な行ないである。


 彼の祖父と生涯を懸けて仕えた主君との出会いを思えば、困っている子供を助けるのは当然のことだった。

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