第25話 デッドロック
バッチーン!
肉を打つ派手な音と、呻き声が暗闇に響く。ベッドからもんどりうって床に落ちたのは、怜良ではなくガヴァンだった。
怜良の頬をファサっと何かが掠め、床に転がる男の上に黒い影が飛び乗った。
「俺の怜良に手を出すな。このくず野郎!」
鈍い音が何度もして、その度にガヴァンが呻く声が聞こえる。
怖くなった怜良が耳をふさごうとしたとき、一陣の風が吹き、蒼夜を止める声がした。
「その辺でやめないと、ガヴァンを殺してしまいますよ。そいつを縛ってさっさと逃げましょう」
「ああ、そうしよう」
怜良は脱出するために寝巻から普段着に着替えていたので、さっきまで着ていたローブのサッシュを蒼夜に手渡した。蒼夜がガヴァンの腕を後ろに回して何十にも回してからしっかりと結ぶ。
ちょっとやそっとでは解けないことを確認して、三人はバルコニーに歩いていった。
「相変わらず、天使は甘ちゃんだな」
ガヴァンの身体から、闇を揺るがすような不吉な声がする。床に転がる巨体から煙が立ち上るように、真っ黒い影が現れた。
「悪鬼め!今度こそ息の根を止めてやる」
叫んだ蒼夜に向かって、悪鬼の真っ赤な目から炎が噴射された。すんでのところで蒼夜が躱し、悪鬼に蹴りを入れる。ぐにゃりと影が歪んだが、その分クッションが効いて、悪鬼はさしてダメージを与えない。それどころか、悪鬼の放った火がベッドを覆う天蓋に燃え移り、刺繍を施した美しい布がメラメラと音を立てて燃え落ちていった。
「天真、怜良を避難させてくれ」
「分かった。あとで戻ってくる。蒼夜は悪鬼の炎に焼かれないように気を付けて」
「ああ、俺一人なら十分かわせる」
怜良を他の部屋に避難させるために二人が扉に向かったとき、天井から噴き出したスプリンクラーの水に足止めされた。クラッシックな部屋ではあるが、近代的な装置はあるらしく、炎に反応してスプリンクラーが稼働したうえ、けたたましいサイレンまでが鳴り響く。
廊下から沢山の足音が、この部屋めがけてやってくるのが聞こえた。
「まずい。近衛兵だ。天真バルコニーに‥‥‥」
語尾がバタンと乱暴に開かれたドアの音にかき消され、銃を構えた近衛兵がなだれこんできた。悪鬼はすかさずガヴァンの身体に入り込み、近衛兵に向かって叫んだ。
「悪魔だ!悪魔が私の花嫁を襲いに来た。捕まえろ」
近衛兵の目が、一斉に真っ黒な翼を持つ蒼夜に向けられ、部屋に殺気が満ちた。
「違うわ!襲ったのは、ガヴァンの方よ。悪魔は助けてくれたのよ。だから乱暴しないで!その皇太子は悪鬼に憑りつかれているわ。言うことを聞いてはダメ」
「ああ、何たることだ。わが花嫁はすっかり悪魔の術にかかってしまった。この私をけだもの扱いするとは、反逆罪に値する。みなのもの、あの女ともども悪魔を捕らえよ」
銃を構えた近衛兵たちが横に並んで幾重にも列をつくり、前に歩を進める。彼らの歩に合わせて蒼夜たちは後退し、バルコニーに追いつめられた
「天真。怜良を連れて飛んで逃げろ」
怜良が逆らう間もなく、天真に後ろから腰を抱きかかえられて空に浮く。それを狙って銃が火を噴いた。蒼夜が角から放った電磁波が瞬時に網のように広がり、弾を食い止める。
天真はその隙に怜良を連れて空高く舞い上がった。だが、白い羽は夜目にもはっきり目立つ。
宮殿の外を見張っていた衛兵たちも、サイレンと銃の音を耳にして、バルコニーの下に集まり、銃を構えて、隊長の指示を待っている。下から撃たれれば、怜良が真っ先に標的になるのが目に見えて分かり、蒼夜は咄嗟に空を飛んで怜良の前に飛び出した。
「撃て!」
蒼夜が気を放ち、電磁波のバリアを張る。だが怜良と天真を護るために張ったバリアの隙をくぐり、一発の弾丸が蒼夜の羽を貫いた。
ぐらりと揺れながら、傷ついた羽を動かし蒼夜が飛ぶ。目指したのは大聖堂の秘密の部屋だった。
「天真、俺がキューピットと捕らわれの天使を助けに行く。怜良を連れて弾の届かない高さまで逃げろ」
蒼夜は天真たちを護るように高度を上げたが、途中で止まり、上空から鋭角にステンドグラスの窓へ飛び込んでいった。
ガッシャ―ン!
色とりどりのガラスが花びらのように宙を舞う。蒼夜が目にしたのは、驚愕のあまり変身を解いたべトレイが、恐怖の表情を貼り付けたまま、粉砕した鋭利なガラスを全身に浴びる姿だった。浴びた花びらとは別に、自らも赤い花を散らしながら床に崩れ落ちていく。
激しい痛みと薄れる意識の中で、べトレイがキューピットの姿を探した。
大きな布がかかったケージを盾にして、難を逃れたキューピットが、心配そうな顔で近づいてきた。
「どうして外に?‥‥‥そっか、キューピットは神様だったね。僕と同じで、かごの力は効かないか‥‥‥無事で良か‥‥‥」
「べトレイ?しっかして!ああ、何でこんなことに‥‥‥プロフェット、君は僕を騙したの?」
大きな羽で身体を覆って破片が刺さるのを防いだプロフェットが、横たわるべトレイを無言で見下ろしている。
プロフェットに言われるままに、べトレイをこの部屋におびき出したのはキューピットだ。変革の嵐が来る前に、べトレイに余波が行かないようにしてやろうと小声で持ち掛けられ、話に乗った。
秘密の部屋に仕掛けられているモニターに向かって、苦しむふりでかごの中を転げまわった後、大布のかかったケージの影に隠れるように言われて従った。
キューピットは、予知能力を持つプロフェットの言葉に何の疑いも抱かなかったのだ。すぐ後に、べトレイがやってきて、目の前で惨劇が起こると知っていたら、誰がおびき寄せるようなことをしただろう?恨みがましく見つめるキューピットに、プロフェットが語った。
「恋愛の神であるキューピットに、酷な通達は届かなかったのだな。ひと月前、今つけている羽の持ち主だった天使から、べトレイの刑が決まったと教えてもらった。虫けらになり、ガマガエルに食べられては、また虫に転生して、ガマガエルの餌になるという繰り返しの運命が待ち受けているらしい」
「うわっ。大好きだったガマたんに食べられるのを繰り返すなんてひどすぎる」
「そうか?仲間たちにした酷い仕打ちを考えれば、それは当然の報いだと思っていた。キューピットをエンジェルケージに閉じ込める時に、彼が逡巡するまではな。今ならまだ、彼の命は救える。このまま散らすか、餌として生き返らせるか愛の神様の手にゆだねよう」
「そんな‥‥僕はべトレイに天使に戻って欲しかったのに」
考え込んでしまったキューピットに向かって蒼夜が声をかけた。
「おい。キューピット。べトレイは悪鬼に任せて、早く逃げろ。もうすぐ追手がここにやってくる。プロフェットを連れて穴をあけた窓から飛んでいけ」
「でも、一度エンジェルケージに入ると天使は外に出られないんだよ」
「何だって!?じゃあ、かごごと運ぶしかないのか?くそっ。天真を呼び戻すか。今の俺では支えきれない」
「蒼夜、どうしたの?怪我でもしたのか?」
ペンダントトップから天真にメッセージを伝えている蒼夜に近づいたキューピットが、蒼夜の身体のあちこちを見て、羽が傷ついているのを見つけた。
「何でもない。キューピット、もしものことがあったら、怜良を頼む」
「縁起でもないことを言わないでよ。あっ、ほら天真が来た」
白い翼を持つ天真が、怜良を抱えて窓から入ってきたのを見た途端、蒼夜が天真を怒鳴りつけた。
「天真、こんな敵のど真ん中にどうして怜良を連れてきた!なぜどこかに隠してこなかった?」
「それが、陸地も空も、あっという間に手配が回って、怜良を隠すことができなかったんだ」
すまないと謝った天真が、倒れているべトレイを見て顔色を変える。蒼夜からメッセージは届いていたが、まるで犠牲になった天使たちの羽がガラスに形を変えて、裏切ったべトレイをめがけて突き刺さったような恐ろしい光景だった。
後ろから怜良が覗き込もうとしたのを蒼夜が引き留めている間に、天真はエンジェルケージにかかっていた大きな布を取り外して、べトレイにかけてやった。
蒼夜と天真が脱出プランを練り出した時、黙っていたプロフェットが口を開き、歴代の国王が他国に金銀を狙われないように、豊富な資金をセキュルティーや防衛費に回したため、この島から逃げ出すのは至難の業だということを語った。
「万事休すか……」
蒼夜の言葉がみんなの前に重くのしかかったとき、扉のロックが外される音が響いた。
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