第23話 捕らわれた怜良
あと少しで出口というところで、正面から入ってくる男を見た怜良は、思わず声をあげそうになった。
空港にいた大司教に違いない。キューピットの話ではべトレイが化けているという。不安で足がすくんだが、自分がアバヤを着ていて目だけしか出していないことを思い出し、何でもないふりを取り繕って、横を通り過ぎる。
「待ちなさい」
止まりかけた足を叱咤して、何とか前に出す。自分は観光客だ。言葉が通じなくてもおかしくはない。
「待てと言っている。日本語なら通じるか?」
日本語で問いかけられて、怜良は足を止めた。さっきの男がバッグを持って近づいてくる。
「大司教様、その女は怪しいです。私とは英語で話しました。それにこんなものを」
大司教の注意がバッグに向けられている隙に、怜良は外へと駆けだした。アバヤが脚にからみついて邪魔だ。でも止まるわけにはいかない。
「衛兵、その女を捕らえよ!」
大司教が宮殿の外に立つ近衛兵に大声で叫ぶのが聞こえた。慣れない石畳に足がとられそうになりながら怜良は必死で走った。でも、訓練を受けた兵士には敵うはずもなく、すぐに追いつかれて腕を取られ、大司教の下へと連れ戻された。
近衛兵を労い、僧からキューピットの入ったバッグを受け取ったべトレイは、怜良を連れて大聖堂の奥にある秘密のエレベーターで最上階に上がった。鋼鉄の扉の隣にあるパネルに番号を打ち込みロックを外して、怜良を中へと押し込む。
べトレイが皇太子ガヴァンに連絡を入れる間、何とか逃げられないだろうかと辺りを見回した怜良の目が、天井から床まで届くほどの大きなステンドグラスに引きつけられた。
色とりどりの光線が織りなす美しい世界に圧倒されそうになったとき、ゆらりと動く影に気いて焦点を絞る。すると、天井からつるされた金色の大きなかごの中に立つ天使と目が合った。
「あなたは誰?」
怜良が視線を外さず、エンジェルケージに近寄っていくと、天使が何かを探るようなまなざしで怜良を見つめ、口を開いた。
「私の名はプロフェット。君は?」
「怜良よ。新出怜良。ここにいる天使はあなただけなの?」
プロフェットが頷くのを見て、怜良は空港にあった翼の持ち主たちはどこへ消えたのだろうと訝しんだ。翼を失った天使は人間と同じくらいしか生きられない。この天使は最後に残った天使なのだろうか?そんなことを考えていたとき、鋼鉄の扉が開く耳障りな音が聞こえた。
「べトレイ、悪魔を捕まえたそうだな。よくやった。この女性が悪魔の持ち主か?」
「ええ。私たちが知っている女でもあります。怜良、アバヤを外せ」
首を振る怜良にガヴァンが近づき、黒い布をむしり取った。顔を見るうちにガヴァンの目が赤く染まり、黒い悪鬼の影がにじみ出る。
「お前か。悪魔を連れてきたとは、どういうことだ?蒼夜を裏切ったのか?にしても、そんな小さなバッグに入るわけがないな」
中身を見せろと命令されて、べトレイがファスナーを開く。中からキューピットが飛び出して、べトレイの前でパタパタと羽ばたいた。
べトレイの目が見開かれ、呆気にとられた表情になる。その口が丸まりキューピットと言いかけたのを遮るように、悪魔に扮したキューピットが悪鬼に訊ねた。
「悪魔に何のようがある?」
「プロフェットの予言が下りたのだ。
ー黒い翼を持つ者を捕らえよ。その者が現状を打破し、白い翼を持つ者と力を合わせて、再構築するだろうーとな」
「プロフェットの予言?」
「ああ。そうだ。我々は預言者であるプロフェットの力を借りて、富を得ていた。だがもうこの天使は長くはない。天使の国と言われながら、その実この国の支配者たちは、天使狩りをして羽を切り、プロフェットの羽と取り換えて、老いた身体に若い天使たちの活力を与えて生かしてきたのだ。悪鬼や悪魔よりも、ここの支配者たちは恐ろしい奴らだ。」
悪鬼の言葉を聞いて、怜良とキューピットが顔色を変えた。一人の天使を生かすために犠牲になった天使たちを思って怜良が身震いしたとき、頭の中に、空港の飾り天井を見あげた蒼夜の呟きが蘇った。
『まるで羽の墓標だな』
「何て酷い人たち!自分たちの欲望を満たすために、天使を殺すなんて。今に裁きを受けるわよ。それに、この国を存在させるために必要なら黒い羽は絶対に渡さない。プロフェット、あなたは自分の仲間を見殺しにして平気なの?」
プロフェットが静かに首を振った。
「この国の行く末に力を貸すと初代王に約束をしてしまった私には、どうすることもできない。エンジェルケージに囚われていては尚更だ。娘よ、お前には切り開く力がある。黒い翼を持つものと共に、この国の未来を変えてくれ」
悪鬼が今の言葉を聞いたかと怜良に訊ねた。
「そうだ、金の亡者の皇太子が即位するためには皇太子妃が必要だ。お前がなればいい。確か天使の小瓶だかに、王子と結婚したいと願いをかけたのだったな。ちょうどいいではないか。皇太子と今入れ替わってやる」
悪鬼の染みが消えてゆき、意識を取り戻したガヴァンの目が怜良を捕らえた。
「これは美しい少女だな。悪魔を捧げに来てくれたと聞いた。気に入ったぞ。私の妻になれ」
丸々とした手が伸びてきて頬に触れそうになり、怜良はその手を払って、後ろへととびすさった。
「いやです。私には恋人がいます。ここから出してください」
否定されることに慣れていないガヴァンの顔色が変わった。
「生意気な女だ。だがたまにはこういう活きのいい女を躾けるのも楽しいかもしれない」
「べトレイ。すぐに婚姻許可証を発行しろ。国中に知らせ明日には結婚式をあげる。怜良とか言ったな。宮殿に連れていってやろう。女たちに磨いてもらうがいい」
嫌がる怜良の腕を掴み、ガヴァンが鋼鉄の扉を開いて部屋の外へと引っ張っていく。
「止めて。放して!キュー‥‥‥悪魔くん、助けて」
閉まっていく扉の隙間から怜良がキューピットに助けを求めたが、キューピットは辛そうに首を振る。絶望した怜良の顔が閉まった扉で見えなくなった。
「さて、べトレイ。僕を覚えてる?よく遊んだよね。そんなおじさんに変身しちゃって、満足してるの?」
「お前なんか知らない。もう僕は天使じゃないし、あの頃には戻れない。それより、蒼夜をどこに隠した?あいつと天真のせいで、僕の心も行く末も真っ暗になってしまったんだ。復讐してやらなければ気が済まない」
「本当に蒼夜と天真のせい?アンジェからガマガエルのことは聞いたよ。べトレイは優しすぎるから、蒼夜にガマたんを消されて傷ついたんでしょ」
べトレイがじろりと睨みつけたが、キューピットは飄々と続けた。
「でも、生かしておいたら天真たちのクラスメイト全員が被害にあったし、悪鬼は今以上に巨大な力を蓄えて、世界を征服しちゃったかもしれないよ。べトレイが極刑にならないように僕が頼んであげるから、やり直さない?」
黙れと怒鳴った直後、べトレイが、部屋の隅に置いてある大きな布をかぶったものへと大股で歩いて行き、布を引っ張って外す。中から現れたエンジェルケージに、キューピットがまさかという表情を浮かたが、一瞬ためらいを見せたべトレイが、決心したように扉を開いた。
天使のはずのべトレイはかごの傍にいても何の影響も受けない。代わりに、飛んでいたキューピットが勢いよく吸い込まれ、べトレイはそちらを見ないようにして扉を閉めた。
「言ったろ?僕はもう天使じゃないって。かごからも相手にされやしない。魔女だか魔物だかの術がかかっているから、穢れのない天使は、扉に鍵がかかっていなくても、隙間から手も出せないし扉もあけられないそうだ」
何も言い返さないキューピットに焦れながら、それでも視線を合わせず、べトレイがくるりと背を向けた。
「さて、僕は結婚式の準備があるから、もういくよ。昔の友人の相手をしている暇はないんだ。中で大人しくしていて」
そう言い残すと、べトレイは鋼鉄の扉を開けて、秘密の部屋から出て行った。
ガチャンと扉が閉まる音を聞いて、キューピットがかごの隙間から手をのばし、閂をひょいと持ち上げて扉を開ける。その様子を見ていたプロフェットが、どのくらいぶりになるかわからない笑みを浮かべた。
「プロフェットが予言した悪魔じゃなくて悪いけど、僕も何か役に立てると思うよ」
「私は黒い翼を持つ者と言ったんだ。悪魔に限定したわけじゃない。だが、直に本物の黒い翼がやってきて、運命が彼を中心に動きだす」
そう言うと、プロフェットは瞼を閉じて微動だにしなくなった。
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