第13話 怜良のときめき

 蒼夜たちの企みを知らない怜良は、朝食の後片付けをササッと済ませ、家から三十分ほどの距離にある高校へ行くためにバスに乗った。


 車窓から見える街中の景色に黒い羽を見つけると、思わず身を乗り出して傍にシラサギはいないかと目を凝らすのが癖になっている。というのは、怜良が困っているときに、何度かカラスとシラサギの黒白コンビに助けられたことがあるからだ。


 まだ怜良が小さくて無力だったときに、義姉たちの意地悪にあうと、どこからか飛んできて窮地をひっくり返していくことから、黒と白のゲームに因み、怜良はこっそり二羽をオセロと名付けた。

 不思議な鳥たちは怜良の言葉が分かるのか、誰も見ていない時に、オセロと呼ぶと、近くの枝まで飛んでくる。最初は偶然かと思ったのだが、二度、三度続けて偶然でないと知った瞬間、身震いするほどの感動を覚えた。


母親を亡くし、父親までを義母と義姉に独占されてしまった怜良には、野鳥とはいえ、自分を気にかけてくれる鳥たちが心の拠り所だった。最初は二羽をひっくるめてオセロと読んでいたものの、よく観察すると二羽とも性格が違うのが分かる。

カラスはとてもやんちゃで、シラサギは品行方正。だがカラスのやることに戸惑いながらも、シラサギは最終的には巻き込まれているようで、とてもユーモラスで不思議な関係だった。


いつも見守っていてくれるような頼もしい鳥たちを呼び分けようと思い立ち、怜良はどんな名前がいいか頭を捻ってみたが、なかなか思い浮かばない。落ち着いたのはカラスとシラサギの外国語読みだった。せめて英語ではなくフランス語読みにしようと思って調べてみた結果、カラスをコルボー、シラサギをエグレットと呼ぶことにした。


初めて個々の名前を呼んだ時に、しきりに首を傾げるコルボーに、エグレットがまるで教えるように耳元でくちばしを動かした。まさかと思いつつ、もう一度コルボーと呼ぶと、カラスが仕方ないなというようにおまけのように返事をする。人を食った態度に見覚えがあり、怜良はふと同じクラスの蒼夜を思い出して笑ってしまった。


「まさか、クラスメイトの名前をカラスにつけちゃまずいものね。でもコルボーは蒼夜みたい」

「カ‼カァアア~ッ!」


 全身の羽を逆立てたコルボーを、慌てて羽で叩いて落ち着かせるエグレットも面倒見のよいクラスメイトそっくりだ。

「エグレットは天真ね」

「エーッ‼」

 電気ショックにあったみたいに固まった二羽を見て、怜良はやっぱり変な鳥だと笑い転げた。


 動いては止まるバスの窓から見た何羽ものカラスは、仲間のカラスといることが多く、怜良の探すコルボーとエグレットは見当たらない。再びバスが停留所から動きだし、次のバスストップの名前を告げる。停留所の名前にもなっている高校の名前が耳に入り、怜良は、ふと今朝、庭にいたクラスメイトの蒼夜と天真のことを思い出し、神出鬼没なところも、やっぱり同じだと思った。


特にカラスの濡れ羽色のような艶のある黒髪は、出会った頃よりうんと成長して男らしくなった蒼夜を、余計に強く雄々しく見せている。女子に媚びない硬派な印象が、悪い男に惹かれる女ごころを刺激するのか、中学校時代から蒼夜の人気はうなぎのぼりだ。ただ強いだけでなく、女の子たちが騒ぐように、セクシーでもある。


 蒼夜とは反対に言葉使いが丁寧で、柔らかな物腰の天真は、貴族的な容貌も相まって、蒼夜と二分するほどの人気を持つ。

時々蒼夜派と天真派に分かれた女子たちが、どっちが魅力的かで言い合うこともあり、勢い余った女子たちは、ずっと同じクラスでいた怜良に公正な判断を求めることもあった。

 その度に怜良は、自分だけの感情に浸れる彼女たちに、羨望とも諦めともつかない気分を味あわされて、どっちも子供過ぎて趣味じゃないと冷めた態度をとってしまっていた。


 高校の前でバスが止まった。同じ制服を着て、アイドルやエンターテインメント番組の話で盛り上がる生徒たちが次々と吐き出される。家事を押し付けられ、テレビも義母や姉たちに占領されているので、話題についていけない怜良は、自分だけが老成したように感じながらバスを降りる。正門をくぐって教室に急ぐと、自分のクラスから歓声が上がるのが聞こえた。


 何だろうと思いつつ、怜良が引き戸をあけて中を覗くと、ちょうどドアの傍に立っていた親友の山崎真美が、顔を輝かせながら、クラス中が浮き立っている理由を話してくれた。


 どうやら、蒼夜と天真が自宅を開放して、パーティーをするらしい。怜良の到着に気が付いた天真が、にっこりと笑って話しかけてきた。

「怜良さん。おはよう。今話していたところなのですが、蒼夜と僕の家で持ち寄りパーティーを開こうと思っているんです。怜良さんもぜひ来てください」

「持ち寄りってことは、料理を持っていかないといけないの?」

「ええ、何でもいいから、自分で作ったものを一皿用意して頂けると助かります」


 途端に怜良は気が引けた。強制されて真里菜の弁当や、家族の朝食を用意してはいるが、嫌々作っているため、料理はあまり得意ではない。

 しかも、蒼夜と天真を狙う女子が、ここぞとばかりに腕を揮いそうで、その中に貧弱な自分の一皿を並べて比べられるのは、正直ごめんこうむりたい。

 行きたくない。心に浮かんだ言葉を婉曲に言おうとしたとき、横から真美に腕を引かれ、行こうよと小声で誘われた。


 シームレスの眼鏡から覗く目がお願いとねだっている。真面目そうな外観は元より成績優秀な真美は、中学校の三年間、毎年クラス委員長に選ばれていて、高校生になったばかりの先日のクラス委員決めでも、見事に委員長に推薦され、記録を更新したところだ。

 秘密だが、真美は同じ真面目な性格の天真に好意を寄せている。怜良が行かなければ、天真たちの家で開かれるパーティーには参加しにくいだろうと思い直し、天真に参加しますと答えた。目の端に小躍りしそうなほど喜んでいる真美の姿が映り、怜良の口元に微笑みが浮かぶ。


「怜良さんは、毎日お姉さんのお弁当を作っているから、お料理に期待できそうで、今から楽しみです」

 途端に、どうしてそんなこと知ってるのと、天真の取り巻きの女子たちが動揺するのを見て、怜良は余計な嫉妬を買わないように、わざとぶっきらぼうに答えた。

「正直、得意じゃないの。誰か代わりに作ってって感じ」

 怜良の言葉に、天真と蒼夜が目を合わせるのを不思議に思った時、一人の男子が声をあげた。


「俺っちは、料理得意だぞ。怜良ちゃんに教えてあげようか?」

 誰だうと振り返ってみようとする目の端に、蒼夜のガッツポーズが見えたような気がして、怜良の顔が振り切ることなく途中で止まる。明らかに喜色を浮かべる蒼夜をどうとっていいか分からず、隣に立つ天真に視線を向ければ、どうしてなのか、天真までがソワソワしているではないか。一体どうしたというのだろう?怜良が注視しているのも知らず、蒼夜が男子生徒に声をかけた。

「ごめん、名前なんだっけ。まだ全員の覚えてないんだ」

「俺っちは、王子達也っていうんだ」

「王子⁉」

「王子ですか⁉」

 蒼夜と天真の声がかぶり顔を見合わせる。


「ああ、すかした名前だろ?俺っちは、田舎から中学の時にこっちに来たんだけどさ、田舎のプリンスってよくからかわれたんだ。そっちは超有名人だから名前はもう知ってるよ。蒼夜と天真だろ?よろしくな」

 少し天然パーマがかかってクルクルと跳ねている髪が、王子をもっさり見せてはいるが、素朴な雰囲気は返って王子を温かく見せている。からかいを物ともせず、逆に俺っちなんてふざけた一人称を使って、ノリよく付き合うところが、大物かもしれないと怜良は思った。

 それはここにいる誰もが感じたようで、最初、王子に怪訝な目を向けていた生徒たちは、蒼夜と天真が王子にどう対応するか、期待の表情で見守っている。


「おう、こっちこそよろしくな。そうだ、パーティーの二時間くらい前に来て、怜良に簡単なレシピを教えてやったらどうだ?」

 蒼夜の提案に、怜良が口を挟む間もなく、天真も賛成してあっという間に決まってしまった。真美や他の女子は羨ましそうに怜良を見るが、教える相手が王子ということで、誰も反対する気はないらしい。教えてもらうのはいいが、上手くできなかったらどうしようと怜良はプレッシャ―を感じた。


「王子くん、簡単なのにしてね。できなかったら恥ずかしいから」

「ああ、まかせとけ!インパクト抜群の特性ランチボックスのおかずを教えるよ」

「そう?ありがとう。蒼夜も天真も場所の提供ありがとう」

 怜良のお礼に、蒼夜が気にするなというように肩を竦める。

「俺たちは腐れ縁みたいなもんだからな。困っているときは遠慮なく言えよ」

「そうですよ。僕たちは、怜良さんが十歳の頃に願った将来の夢だって覚えています。今も応援しているので、絶対に叶えてください」


 天真の言葉に、クラス中がどんな夢だと怜良に視線で問いかける。まさか子供の頃の恥ずかしい夢に触れられるとは思わず、怜良は頬を赤らめて、天真に文句を言った。

「あのバカげた夢を、みんなの前で言わないでよ。私は王子くんみたいにさばけてないから、冗談にするのは苦手なの」

 蒼夜と天真が、戸惑うようにバカげた夢?と呟く。心底驚いているらしい二人の様子を見た怜良は、いい年をした男のくせに、童話を信じているのかと諫めてやりたくなった。

「そうよ。シンデレラみたいに、王子と結婚して幸せになりたいなんて、何も知らない頃の幼稚な発想だわ。現実は厳しいものよ。夢のかけらも持てないくらい」


 こんなの八つ当たりもいいところだ。怜良の言葉尻が小さく萎んでいく。継母たちにいじめられるのは彼らのせいではないのに、彼らがさも苦労していないようにやりこめようとするなんて、自分が情けなくなってくる。怜良は涙が滲んだ顔を見られたくなくて、ごめんと謝ってから、廊下へ飛び出した。

 後ろから追ってくる足音がして、大きな手に腕を取られて振り向かされる。その手を払おうとしたとき、怜良の頬を伝う涙に驚いたのか、蒼夜が息を飲む音が聞こえた。慌てて顔を背けると、蒼夜が心配そうに怜良の顔を覗き込んでくる。


「ごめんな怜良。俺たちが無神経だった。いつも怜良の夢が叶うように見守っていたから、怜良も同じ気持ちでいると勘違いしていたんだ」

 ワイルドで強そうに見える蒼夜が、辛そうに顔を歪めるのを見てドキリとしたが、言葉に引っかかりを感じて、怜良は冷静になった。

「いつも、応援って……十歳の時の話よ?それに…私、蒼夜と天真に夢の話をした覚えがないんだけれど」

 途端に狼狽えだした蒼夜に疑問を抱き、問い詰めようとしたとき、蒼夜の後ろからひょいと天真が顔を覗かせた。


「怜良さんは、お母さんが亡くなられたときに、天使の小瓶の話をしてくれましたよ」

 怜良は記憶を探ってみたが、小瓶に願いをかけたことを天真ははじめから知っていて、失くしてはダメだと言われたような気がする。確か、困った時には天使が助けてくれるとも言ったような‥‥‥。

「きっと、受けたショックが大きくて、怜良さんの記憶があいまいになっているんだと思います。ねっ、蒼夜?」

「あ、ああ。悪魔は悪者じゃなくてヒーローなのかって、聞いたときの怜良の無邪気な顔を、まだ俺は覚えているけどな」


 なぜか天真が蒼夜を睨んでいる気がするけれど、確かにあのとき、悪い奴にからまれたら悪魔がそいつらをやっつけて怜良を護ると言う蒼夜の言葉を聞いて、お姫様になれるように努力すると答えたのを、怜良はたった今、鮮明に思い出した。


「わかった!あの小瓶が本物なら、私、悪魔と天使の正体が分かったわ!」

 目の前の二人が動揺して、胸の前で手を振ったり、口に人差し指を立てて、怜良を黙らせようとする。その様子に自分の推理が当たっていると確信した怜良は、にんまりと口角を上げて名前を言った。

「コルボーとエグレットね?」


 蒼夜と天真が顔を見合わせ、フリーズしている。ようやくギクシャクと顔を怜良の方に戻した天真が、コルボーとエグレットがなぜ悪魔と天使だと思うのか理由を聞いた。

「なぜって、普通カラスとシラサギは、一緒にいるはずのない異種同士でしょ?小瓶が窓から放り投げられたときも、カラスとシラサギが助けてくれたし、思い当たることが沢山あるもの」

 な、なるほどなと蒼夜が呟き、瞳をさまよわせている。

「でも、どうして蒼夜と天真が、コルボーとエグレットの正体を知っているの?」

 これには、二人とも「う~ん」と呻ってしまい、説明に困っているようだ。

「えっとですね、その……僕よりも蒼夜の話を先に‥‥‥」

「なっ!何だよ!いきなりフルなよ」

「いつも蒼夜がしていることでしょう?たまには先に答えてください」


 小競り合いをする蒼夜と天真を、怜良が胡散臭そうに見ると、蒼夜が仕方なく口を開いた。

「ぺ、ペットなんだ」

「ペット?カラスとシラサギが?あれって飼えたっけ?よく知らないけれど野鳥保護法とかに引っかからないの?」

「うっ‥‥‥ペットというか、知らないうちに離れなくなってしまって、俺はコ、コルボーを、天真はエグレットを面倒みているんだ。なっ、天真?」

「そ、そうなんです。でも彼らの正体は人間には秘密のようなので、怜良さんも内緒にしてください」

「分かったわ。約束する。でもペットは飼い主に似るっていうけれど、本当ね。コルボーは蒼夜そっくりで、やんちゃだし、エグレットは天真みたいに面倒見がよさそうだもの」


 蒼夜がやんちゃで悪かったねと言って、フンと鼻を鳴らす。

「そういう人を食ったところが、またそっくり!」

「うるさいな。黙れよ」

 からかうのを止めようとして蒼夜が手を伸ばし、怜良の腕を掴んだ。勢い余って身体がくっつくほどに接近してしまい、至近距離で見つめ合う。急激に上がった体温をお互いに感知しそうになり、二人の顔に血が上りかけた時、天真が蒼夜を後ろに引っ張って、怜良から引きはがした。

「蒼夜、ダメですよ。怜良さんは王子を見つけなければいけません」

 まだ、ドキドキする心臓を持て余しながら、怜良が天真に聞いた。

「ねぇ、私の夢を叶えるために応援してくれるのは有難いけれど、さっき王子達也くんに料理の手ほどきを頼んだのもそのためなの?名前を聞いた時に、二人ともすごく反応したでしょ?王子って身分じゃなくて、名前だけでもオッケーなわけ?」

「いえ、いけないと思います。ただ、プリンセスになるには、他人からかしずかれるのに慣れた方がいいと蒼夜が……」


 途端に身体を駆け回っていた熱が引くのを感じた。

そっか……と怜良が呟く。幼い頃のバカげた願いに縛られて、目の前のときめきよりも、まだ会ったことのないプリンスのために王女らしくなる努力をしないといけないんだ。

 怜良が顔をあげると、真剣な表情の蒼夜と目があった。

「怜良のためなんだ。願いを放棄すれば今よりも不幸になる。俺はそんな怜良を見るのは嫌だ。幸せになるのを見届けたいんだ。それまでずっと応援するから……」

 頑張れという言葉を聞きたくなくて、怜良は再び駆けだした。ホームルームの鐘が鳴って、廊下にたむろしていた生徒たちが教室へと吸い込まれていく。その間を縫って怜良は階段を駆け下りた。


 蒼夜の呼び声が聞こえた気がしたけれど、追ってはこないらしい。校舎を飛び出し、校庭の端まで走っていって、木の下にあるベンチに腰かけた。

 普通は、相手が不幸になるのを見るのは嫌だから、幸せになるのを見届けたいなんて言われたら、自分のことをそんなに思ってくれるのかと感激するのだろう。

 でも、そこには自分が幸せにしてやるという約束はない。殺し文句に聞こえるけれど、他の男と結ばれて幸せになることを見届けたいと言うのだ。


「蒼夜のばか!紛らわしいこと言わないでよ」

 掴まれていた腕が、今さら熱を持ってうずくようにズキズキと脈打っている。走ったからだと自分に言い訳をしながら腕をさすった。その途端、至近距離で見つめ合った彫の深い蒼夜の顔が、目の前にちらついて、慌てて頭を振って追い払う。

「蒼夜のばか!」

 もう一度文句を言った時、頭の上でカサリと音がした。見上げると一羽のカラスが木の枝に止まっている。

「コルボー?」

 びくりと反応したカラスは、困ったように顔を傾げたが、返事をしない。

「そんなわけないか。都合が良すぎるのも、ハッピーエンドも、おとぎ話の中だけだものね。現実は厳しいけど、応援してもらうだけでも幸せだと思って頑張らなくっちゃ」

 ベンチから立ち上がって、気合を入れるためにぐんと伸びをする。怜良が再び見上げたときには、カラスの姿はどこにも無かった。


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