8-17「一変」

 一行が他のどこでもなく、パトリア王国を転移魔法の目標地点としたのは、その場所がティア、ラーミナ、ルナの生まれ故郷であり、アルドル3世たちから助力を受けられるだろうという期待があったからだった。


 加えて、一行がエルフとドワーフをたずねるために旅を始めた段階で、諸王国の中でまだ戦火を受けていないのはパトリア王国だけであり、恐らくは今でも魔王軍に支配されておらず、安全であろうということもあった。


 転移した先で、魔物たちの真っただ中という事態は避けたいことだった。

 サクリス帝国にはまだ魔物の大群が押し寄せてはいないかもしれなかったが、内乱の真っただ中であるはずだったし、諸王国の中で今でも無事だろうと思える場所は、パトリア王国しかなかった。


 一行はパトリア王国がまだ無事で、戦火の及んでいないことを願いながら転移魔法を使用したが、しかし、状況は一行の思うとおりにならなかった。


 最後に見たパトリア王国の姿は、魔王軍の侵攻に備える慌ただしさ、緊迫感こそあったものの、まだ平和な時の穏やかさ、のどかさを残していた。

 多くの人々はそれぞれの家で普段通りの生活を営み、そこには日常風景が当たり前のように存在していた。


 だが、一行が、何らかの魔法による力で弾き飛ばされ、パトリア王国の王都から少し離れた空中に転移させられた時に目にしたパトリア王国の状況は、一行の記憶にある姿から一変していた。


 一行が転移を行ったのは、パトリア王国にとっての夜に当たる時間帯だった。

 多くの人々にとって、明かりといえば松明(たいまつ)やランプなどの淡い光であることが当たり前のことだったから、パトリア王国の夜空は暗く、たくさんの星々が良く見えるはずだった。


 だが、空には、星など見えなかった。

 何故なら、地上で起こった火災によって夜空は煌々(こうこう)と照らし出されて赤く染まり、もうもうと立ち込める煙によって、空のほとんどが覆(おお)いつくされていたからだ。


 何が起こっているのかは、明らかだった。

 魔王軍が、すでにパトリア王国へ攻めかかってきているのだ。

 それも、奥深くまで、王都の周囲まで迫っている。


 一行は重力によって引っ張られ、落下しながら、炎の中でうごめく無数の魔物たちの姿をその目で確かに見ていた。

 そして、その魔物たちと戦い続ける兵士たちの姿も。


 王都パトリアの城壁はまだ、破られてはいない様だった。

 しかし、火災の明かりはその城壁の向こうからいくつも発せられており、城壁付近で必死にパトリア王国軍が魔物を撃退し続けてはいるものの、攻撃による被害は王都にも及び、今も広がり続けている様子だった。


 もうすぐ地面に叩きつけられる、という寸前で、一行の中で魔法を使える者たちがそれぞれ魔法を唱え、一行の落下する勢いを失わせて、安全な着地をすることができた。

 それから、一行は今後どう動くべきかを決めるために集合し、暗闇の中に身を隠しながら話し合った。


 一行はパトリア王国の王都へと直接転移魔法で移動し、アルドル3世たちにこれまでの旅の経緯を報告、説明し、魔王を倒すための助力を願うつもりだったのだが、転移魔法が妨害されて王都の外に到着してしまったため、その予定は狂ってしまった。

 どうやら、王都の西側に魔法の力で弾き飛ばされてしまったらしい。


 魔術師たちは皆、転移魔法に魔力の干渉があったことを察知しており、恐らくは、王都パトリアを守るために、パトリア王国軍の魔術師たちが王都の内部に直接魔物が転移してきて攻撃してくることができない様に、魔法の力で防御を固めているのだろうということだった。


 つまり、パトリア王国はまだ魔王軍に対して、頑強に抵抗し続けるだけの力を有しているということだった。

 闇夜の中、炎に照らされて無数の魔物たちが蠢(うごめ)き、パトリアの城壁を攻撃し、攻略しようとしていたが、パトリア王国軍はどうにか王都を守り抜いているのだろう。


 とにかく、一行は王都パトリアに向かい、パトリア王国軍と合流するべきだということで一致した。

 まだ戦いの決着がついておらず、パトリア王国軍が魔王軍に十分抵抗できる状況なら、一行が駆けつけて助けになれることもあるだろうし、アルドル3世たちから手助けしてもらうこともできるかもしれなかったからだ。


 王都パトリアは魔王軍による包囲下にあるようで、四方から魔物たちの軍勢による攻撃が行われている様子だったが、一行の中には幸いなことに周辺の地理に詳しい人物が3人もいた。

 一行はティア、ラーミナ、ルナの案内で、王都の周囲にひしめく魔物たちから発見されにくいルートを進み、王都に接近していった。

 魔物たちから一行の存在を知覚しにくくなる様な魔法も使ったおかげで、一行は魔物たちと戦うこともなく、目的の場所へとたどり着くことができた。


 それは、パトリア王国の王都の近くにある廃屋で、石造りの井戸がある場所だった。

 厳重に井戸を塞(ふさ)いでいた、木の板でできたやたらと頑丈な蓋(ふた)をサムがその怪力で破壊してどかすと、光の届かない井戸の奥底の暗闇が一行のことを待ち受けていた。


「さ、みんな、この中に入って。井戸だけど、この中には水は湧いてなくて、代わりに横穴があるはずだから」


 ティアはそう言うと、井戸の中へ降りるために、頑丈なロープをサムの荷物の中から取り出して、慣れた手つきで固定すると井戸の中へと垂らした。


 ティアによると、この井戸は、パトリア王国の王都の中に通じている、抜け穴だということだった。


「なぁ、ティア嬢ちゃん。本当に、抜け穴なんかあるのかよ? 」

「もちろん! だって、ここは私が小さかった頃、よくお城から抜け出すのに使っていたんだもの。ちなみに、井戸がやたら頑丈な蓋(ふた)で塞(ふさ)がれていたのは、お母様が私の脱走ルートを潰(つぶ)そうとしたせいね」


 サムは少し疑わしいような気分だったが、ティアは自信満々だった。


 そして、一行は周囲が安全であることを確認すると、次々と井戸の中へと降りていった。

 まず火のついた松明を投げ落として明かりを確保し、道案内を買って出たティアを先頭に、一行はするするとロープを伝って降りていく。

 サムも、背負っていた荷物をすべて外し、身に着けているものと、聖剣マラキアだけを持って、井戸の中へと降りていった。


 井戸の底には、確かに横穴があり、奥まで続いている様子だった。

 サムにとってはあまりにも小さな横穴だったが、荷物を外して、ずるずると這(は)いずって行けば何とか通り抜けられそうだ。


 横穴の中はジメジメとしていて、狭いし、普段なら絶対に入り込まない様な場所だったが、今はとにかく、進むしかない。

 サムは意を決すると、他の仲間に引っ張ってもらったりしながら、窮屈(きゅうくつ)な横穴を進んでいった。

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