8-7「泉」

 一行が戸惑っていると、デクスは声に出して笑いだした。


「ハハハ! 戸惑うのは分かるが、この泉こそが「門」なのだ。この中に飛び込めば、すぐに天空の祭壇へと移動する仕組みになっている」

「で、でもよ」


 サムは、おずおずとデクスに問いかける。


「俺、泳げないんだ。オークだし」

「大丈夫だ。泳ぐ必要はない。何もせずとも、天空の祭壇へ移動できる」


 サムは、そう言われても、と困るしかなかった。

 目の前の泉は、どこからどう見ても泉で、とてもどこかへ通じる「門」の様には思えなかった。


「では、私が手本を見せよう。簡単なことだ、飛び込むだけで良い」


 どうやら言葉だけでは伝わらないと思ったらしく、デクスはそう言うと、泉の中に飛び込んでいった。

 そして、泉の中に消えた彼は、どんなに待っても浮かび上がってこなかった。


「……ここで、今さら迷っていても仕方ないわ! 」


 そう言って、一行の中で最初に泉の中に飛び込んだのは、ティアだった。

 デクス自身が先に飛び込んで見せた以上、何かの罠だとか、騙(だま)されているとか、変に疑う様なことはないだろうし、とにかくやってみようと思ったのだろう。


 ティアに続いて、ラーミナ、リーン、ルナが飛び込んでいき、そして、少女たちは誰1人として、泉から浮かび上がってくることは無かった。


 後には、サムと、その背中に背負われているバーンだけが残された。

 サムは、他のみんなが消えていった泉を見おろしながら、額に冷や汗を浮かべ、ゴクリ、と唾を飲み込む。


(お、俺だけが、いつまでもビビってるわけにはいかねぇぜ)


 バーンを少しでも早く治療して休ませなければならないし、他の少女たちがみんな飛び込んで行った以上、自分だけが躊躇(ちゅうちょ)しているわけにはいかなかった。


 覚悟を固めたサムは、泉の縁(ふち)に立ち、固く目を閉じると、ぴょん、とジャンプして、脚の方からざぶんと泉の中へと飛び込んだ。


 サムのつま先が泉の水面に触れた瞬間、サムの身体を、強烈な何かが思い切り引っ張った。

 サムは悲鳴をあげる間もなく泉の中へと引き込まれ、思わず、無我夢中で手足をジタバタとさせてしまう。


 溺(おぼ)れる、そう思ったのもつかの間だった。

 サムの脚は何の前触れもなく固い地面に触れ、水の中で手足を必死にジタバタさせていたつもりのサムは、そのままドスンと尻もちをついてしまう。


 サムはそのまま仰向けに倒れそうになり、背中にはバーンがいることを思い出して慌てて両手をついて身体を支えた。

もう少しでバーンを押しつぶしてしまうところだった。


 とにかく、自分が水の中にいないということを認識したサムは、恐る恐る目を開き、それから、驚いて双眸(そうぼう)を見開いた。


 そこには、白亜の宮殿があった。


 サムは円形のアーチに囲まれた建物の中央部にいて、サムの頭上には、泉の水面(みなも)とそっくりな、鏡の様に見える光がゆらゆらと揺らめいている。

 正面のアーチの向こうには、サムがいる建物と同じ様に白亜の大理石で作られた壮麗(そうれい)な建築物の数々があり、豊かな自然に包まれながら、豊かな陽光を浴びてキラキラと輝いている。


 左右に築かれた建物も、丁寧に装飾が施され、建物の構造も見栄えがする様に工夫されていて美しく荘厳だったが、特に目を引いたのは、真正面にある建物だった。

 段々畑の様に作られている、幾重にも連なっている庭園の向こうにそびえ立つその建物は、空の向こうまで届くのではと思えるほど背の高い塔をいくつも持ち、その建物自身が光り輝いている様に見える。


 それらの建造物は、恐らくは数千年間もの間、ずっとこの場所にあり続けたのに違いなかった。

 庭園はエルフたちが管理しているらしくよく整えられていたが、天空の祭壇の隅々にまで手を入れ続けることはしていない様で、植樹された木々はどれも見たこともないほどの大木に成長していたし、建物の外壁にはツタ植物などが生い茂り、白亜のキャンパスに緑の彩(いろどり)を描いている。

 その豊かな自然の中では、どこからか旅をしてきて住み着いた鳥たちが、楽しそうに暮らしていた。


 サムは、その壮麗)そうれい)な光景に息をのむのと同時に、変だな、と感じていた。

 自分たちはついさっきまで、夜の森の中にいたはずなのだ。

 それなのに、エルフたちの住む場所、かつて神々の宮殿として使われ、今はその神々を祭るための場所となっている「天空の祭壇」では、昼間なのだ。


「ずいぶん、遅かったわね」


 サムが驚き、戸惑っていると、先に泉を潜り抜けて天空の祭壇へとたどり着いていたティアが、なんだか勝ち誇ったようにそう言ってきた。

 どうやら、少し前にサムがティアを子ども扱いしたことをまだ根に持っている様子だった。


「ようこそ、天空の祭壇へ」


 そう言いながらサムに手を差し出してくれたのは、デクスだ。

 サムは彼にありがとうとお礼は言ったものの、長身だが細身のエルフにオークである自分を起こすのは酷だろうと思って、サムは自分自身の手と足で立ちあがった。


 それから、サムがここはどうして昼なのかをたずねると、デクスは「そう思うのは当然だろう」とうなずき、その場所が、「門」である泉がある場所からは遠く離れた場所にあるのだということを教えてくれた。


 サムにはよく分からないことだったが、サムたちが住んでいるこの世界は丸い球形をした星であり、太陽の周りをくるくると自転しながら回っているため、ある場所が昼なら、別の場所では夜になる、ということらしい。

 その説明でサムに分かったのは、とにかく、天空の祭壇は自分たちが想像したこともないような場所にある、ということだけだった。


 ここまで長い旅で、多くの苦労の末にここまでたどり着いたサムだったが、感動とかそういうものはほとんど感じることができなかった。

 今はただ、驚かされるばかりだった。

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