第3話

 それから風香は彼女とあれこれ世間話をした。彼女の表情は相変わらずで、眉間に皺を寄せて不機嫌そうだった。しかし、話しかければしっかり返してきたし、話が尽きて気まずくなることもなかった。意外と彼女はおしゃべりなのかもしれない。


 また、その日のうちにお互いの呼び方も決まった。


「なあ、黒姫くろひめって呼んでもええ? 黒谷さんって呼ぶのはなんか硬いやろ? でも、姫ってのも可愛すぎてなんかちゃうねん。だから、黒姫あたりがぴったりやと思うねんで」


 黒姫というのは性悪の王女っぽい響きがある。だが、彼女は特に拒まず、「別にいいよ」と承諾した。風香の呼び名のほうは「フウ」に決まった。最初に呼び捨てされたとおりだ。


 以後、風香はちょくちょく黒姫と話をするようになった。とはいえ、クラスが違うので話すのは放課後に限られた。黒姫が絵を描いている教室に風香が足を運び、どうでもいいことをダラダラと話した。


 クラスの友達と話をするときは、華やかな笑い声がしきりに混じる。しかし、黒姫との会話にそれはない。自宅にいるときのようにダレまくりで、しかしそのだらしなさがやけに心地良かった。


 風香はもともとだらしない性格なのだから当然だった。友達と約束してどこかに出かけるのも面倒だし、他人ひとの恋バナなんか聞いても退屈なだけだ。しかし、それを表にだせば嫌われて孤立する。だから、皆と合わせるように、自分を適当に着飾っている。


 だが、黒姫といるときはそんな努力をせずに済む。ありのままの自分を曝けだし、ノーメイクの自分でいられるのだ。すっぴんでいられる関係が、心地良くないわけがなかった。


 また、ほとんど会話をしないという日もあった。そんな日、風香は黒姫が絵を描く姿を近くでぼんやり眺めた。黒姫はやはり赤と黒の絵の具だけを使って、絵筆を叩きつけるようにして絵を描いた。


「そんな描き方して画用紙がよくやぶれんもんやわ」

「また叩きつけてた?」

「叩きつけてたで。バシバシッて」


 風香は思った。黒姫はきっと怒っている。いかりの根源は父親の事件に違いない。事件を起こした父親に、自分を避ける人間に、あるいは黒姫自身に――黒姫はずっとおこり続けている。


 彼女はそのいかりを絵筆に乗せて、赤と黒の絵ばかりを生みだしていた。


 ときどきその姿がひどく痛々しく感じられることがあり、風香は一度だけ黒姫に抱きついてしまったことがあった。


 黒姫は別段驚くことなく冷静に尋ねてきた。


「急になに?」

「なんか黒姫がかわいそうやと思って……」

「もしかして同情されてる?」

「うん、同情してる……」

「フウはそういうことをはっきり言うね」


 抱きついていて顔は見えなかったが、おそらく黒姫は笑っていたと思う。


 また、黒姫とよく話すようになってから、眉間に寄せている皺の理由もわかった。


「頭痛がしてるの。お父さんが逮捕された日から毎日ね……」


 それを聞いた風香は「そうなんや……」とだけ返した。愛想のない返答だったが悪気があったわけではない。なにかをちゃんと伝えたいという気持ちはあったものの、適切と思える言葉が見つからなかったのだ。


 そんな黒姫とのダラダラとした関係は冬休みがはじまるまで続いた。そして、冬休みが明けて三学期がはじまってからも続いた。ところが――。


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