適当女は性悪姫を笑わせたい

烏目浩輔

第1話

 ふじさきふうの人生には、これといった谷もなければ、これといった山もなかった。


 大学を卒業してすぐに事務職に就き、三年勤めてから転職してまた三年が経つ。給料はいたって普通で、やりたいことは特になく、毎日がおおむね及第点。履歴書を書くさいに最も困るのは趣味や特技の欄だ。該当するものがなにもないため、読書や映画鑑賞といった単語に頼る。


 ようするに、風香の人生は致命的に平凡なのだ。しかし、そんな人生にも大切な思い出というものがある。


 今から十年ほど前のことだ。


         ◇

 

 当時のふうは女子高の二年生で美術部に所属していた。高校に入学して間もない頃に奈帆なほという友達ができたのだが、彼女の誘いをきっぱりと断って美術部に入部したのだ。


「私、バトミントン部に入るつもりやねん。フウちゃんも一緒に入らへん?」

「イヤや。運動系のクラブはしんどそうやもん。私は美術部にする」


 風香が通っていた高校は二年生までクラブ活動が義務づけられていた。帰宅部が叶わないとなれば、とにかくらくなクラブがいい。


「一番楽なクラブは美術部やねんて」


 一年生の間でそういう噂が立っていたが、どうやらそれは正しい情報らしかった。風香は美術部一択で入部届を提出した。


 ちなみに、奈帆と友達だったのは一年生のときまでだった。


「二年生になってクラスが変わっても友達でいよな」


 いつだったか奈帆がそんなことを言っていたが、実際にクラスが変わると完全に縁が切れた。


 友達というのはコンビニによく似ていると思う。近くにあるコンビニが便利かつ手軽であるように、身近な人間を友達にするのが便利かつ手軽だ。


 たまたま同じクラスの誰かとか、たまたま席が近くの誰かとか――。


 美術部に入部して驚いたのは部員の多さだった。五十人を超えているとは思ってもみなかった。どうやら、風香のようならくをしたいという生徒が、こぞって美術部に入部するらしいのだ。美術部はやる気のない生徒たちの溜まり場になっていた。


 理由はどうであれ、五十人以上も部員がいれば美術室だけではおさまらない。放課後になると三つの教室が美術部のために開放された。しかし、顧問の教師が美術部の実態をしっかり把握していれば、教室の解放がいかに無駄なことかがわかったはずだ。


 美術部はやる気のない生徒の溜まり場だ。ほとんどの生徒が籍を置いているだけの幽霊部員にすぎず、まともに活動している部員は十人に満たなかった。幽霊部員たちは授業が終わると、教師の目を盗んでさっさと下校する。実質十人程度の部員数であれば、美術室と三つの教室はスカスカだ。ひとつの教室にいたっては、ある生徒がひとりで使っていた。


 そう、あの教室は彼女がひとりで使っていた。

 

 彼女の名前はくろたにひめといった。彼女はいつもひとりだった。


「黒谷さんって、あれやろ、あの事件の……」

「そうやで。だから、あんまり近づかんほうがええよ」


 生徒たちはそんなことを言い合って、彼女を敬遠して近づこうとしなかった。また、今になってよくよく考えてみると、教師も生徒と同じようなものだった。一線を引いたよそよそしい態度で彼女に接していた。おそらく、ややこしい生徒が入学してきたとわずらわしく思っていたのだろう。ややこしいものを避けたいというのは、人間の本音であり本性なのかもしれない。


 風香がそんな彼女と親しくなったのは、高校二年生の十一月半ばのことだった。


 六限があった日の放課後に、風香はある教室にひとりで入った。美術部のために解放されている教室のひとつだ。約十年も前のことなので教室にいった理由はよく覚えていないが、部活に精をだすつもりでなかったのだけは確かだ。


 静かな教室には生徒がひとり。ブレザーのほっそりとした背中をこちらに向けていたが、黒谷姫だろうというのはすぐにわかった。その教室はいつも彼女がひとりで使っていた。


 彼女は美術部では希少ともいえる真面目な部員だった。教室に入ってきた風香に気づいているのかいないのか、水平のイーゼルにセットした画用紙に黙々と絵筆を走らせている。絵筆を画用紙に叩きつけるような独特の描き方だ。絵は彼女自身が邪魔になってよく見えなかったが、赤と黒の絵の具だけを使ってえがかれているようだった。


 彼女が美術部というのは一年のときから知っていた。だが、風香はそれまで彼女に一度も話しかけたことがなかった。ややこしいものにはかかわりたくない。他の生徒や教師と同じように、彼女を敬遠して避けていた。いや、面倒くさいことが嫌いな風香は、他者ひとより強く彼女を敬遠していた。ところが、なぜかそのときは話しかけてみようと思った。


 当時の風香は栗色のボブカットだったが、彼女は真っ黒なショートカットだった。彼女の背後に近づいていくと、白いうなじに青い血管が薄く浮いていた。


 風香は赤と黒の絵を見ながら彼女に話しかけた。


「なに、描いてんの?」


 すると、彼女は絵筆を止めてこちらを振り返った。しかし、眉間に深い縦皺たてじわを刻んで、いかにも不機嫌そうだ。絵筆で目を突いてくるんじゃないかと本気で不安になった。


「そんなに睨まんでもええやん……」


 彼女は睨んでくるその目で、誰? とも問いかけていた。


「同じ二年の藤咲っす。でも、皆んなは下の名前で呼ぶけどな。風香だからフウって呼ぶねん」


 すると、彼女は風香を睨みつけたまま、色も厚みも薄い唇を薄く開けた。


「じゃあ、フウ」

「うお、いきなり呼び捨て」

 

 風香が大袈裟に驚いてみせると、彼女は風香の背後を指差した。


「ドアを閉めて。冷たい風が入ってきて寒い」


 彼女が指し示す方向を見た。教室のドアがけっぱなしになっている。さっき入ってきたときに閉め忘れたらしい。


「あ、ごめん。これは失礼しました。閉めてくる」


 ドアを閉めて戻ってくると、彼女はまだこちらを見ていた。


「黒谷さんと話すのはじめてやな。そんな声をしてるってちょっと意外やわ」


 別に意外でもなんでもなかったのだが、とりあえずそんなことを言ってみた。彼女は風香の話に反応せず、怪訝な顔をして尋ねてきた。


「どうして私の名前を知ってるの?」

「私も美術部やねん。同じクラブやったら名前くらい知ってるもんやろ?」


 本当は同じ美術部だから知っているのはないが。


 あの事件の関係者である彼女を、学校内で知らない者はいないだろう。


「下の名前も知ってるで。姫やろ? 可愛い名前でええよな」


 彼女は風香の話を無視して尋ねてきた。


「ねえ、私が誰だかわかってる?」

「だから、黒谷さんやろ?」

「名前じゃなくて」


 彼女は低い声で続けた。


「私がどんな人間かってこと」


 どんな人間――連続殺人犯の娘だと言いたいのだろう。


「まあ、一応は知ってるけど……」

「じゃあ、なぜ話しかけてくるの?」

「なぜ、と言われても……ここにきたら黒谷さんがいたから、無視するのもあれやなと思って」


 風香は話しかけたことを後悔した。


(この子、なんか面倒くさそうやな……)


 顔に出ないよう努めつつ、心の中でそう毒づいた。





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