第34話 あなたの傍にいつまでも File 16

眠り続ける愛美。


もうこの子は二度と……。

目を覚ますことはないのか……。

「くそっ!」


病院の廊下の壁にもたれ、拳で壁を一発叩いた。

その拳に痛みが走る。

自然と涙が溢れて来た。

ポタリと、リノリウムの床に涙が落ちた。


そんな俺の肩にそっと手を添え「雄太」と香が呟く。

「俺、駄目な父親だな。父親失格だ。何も、何も自分の娘にしてあげることが出来ない。本当に無能な父親だ」


「そんな事ないわよ。雄太は、あなたは……私たちの為に一生懸命に頑張ってくれている。駄目なのは私の方。一番愛美の傍に居ながら、私は愛美の変化にきずかなかった。ううん、それよりも……私、自分の寂しさをあなたにぶつけていた。分かっていた。あなたの気持ちも、雄太がどれだけ私たちの事を想いながら頑張っているのか。それでも私は……」


「香、自分を責めるな。俺ならいくら責められたっていい。むしろ、優しい言葉を今この俺に投げかけられるのが物凄く辛い」


出来ることなら、この俺をとことん責めてくれ。


「辛いなぁ、雄太を責める事はもう出来ないよ。私には」


香のその一言が俺の心に大きな穴をあけた。

がっくりと力が抜けた。もう何もかも、どうでもよくなってくる。

何もかも全てを、全てを投げ出したくなってくる。

こんな思いはもう二度とごめんだ。


こんな思いを俺はまた繰り返したくはない。

そう、香と別れた時に感じた夢想間。

あの時俺はたぶん、夢を見ていたのかもしれない。

寂しさと、悲しさ、その失望感が俺に夢を見させていたのかもしれない。

その時出会った一人の女性。


彼女に出会った事で、その失望感という辛さから俺は立ち直れた。いいや、俺自身の想い上がった行動が、実は一番大切にしなければいけない人を傷付けていた。

そのことに気づかせてくれたのは……美愛。

お前だったんだな。


今、お前はどうしているんだ。

美愛……出来ることなら会いたい。


「行き詰まってしまったな」

「そうだね」

にっこりと香りがほほ笑みながら返した。

そのほほ笑みが何を意味しているのかは分からないが、香は何か、覚悟を決めているような気がした。


こういう時、女性と言うのは、母親と言うのは。

とても強いんだと思った。


「雄太。外出て少し休もうか。外の風に当たれば少しは気分が良くなるかもしれないでしょ」

「ああ、」そう答えるのが精いっぱいだった。


病院の中庭にあるベンチに俺たちは腰を落とし、触れ纏う風にその身をゆだねていた。

降り注ぐ陽の光が温かい。


ああ、心地いい。忘れかけていたこの陽の温かさの心地よさを、本当に久しぶりに思い出していた。

たぶん香も同じ事を思っているんだと思う。

その身を俺に寄せ、肩に頭を乗せたその顔は、とても安らかな顔だった。


「懐かしいなその顔」

「……何か言った。雄太」

「いや、なんでもねぇよ」

「そう、少し休もうよ」

「ああ、そうだな」

その後ゆっくりと瞼が閉じていく。

温かく柔らかな陽の光に包まれながら。


不思議な夢を見ていた。

美愛と愛美が一緒にいる。


「はぁ―、ねぇ、雄太さん。あなたまた自分で自分を苦しめちゃってるでしょ」

「ホントパパってさぁ、こういう自分のことには不器用なんよねぇ」

「あははは、そうそう、不器用だよ。もっとさぁ、肩の力抜いてもいいんだよ」


「でもさぁ、そう言う不器用なパパが私は大好きなんだぁ」

「うん、私も大好きだよ。雄太さん」

「あ―、美愛ちゃん私からパパを取らないでよ」

「ええ、でもさぁ好きなもんは好きなんだよ。これは誰にも譲れない私の気持ちなんだから。それにさ、愛美ちゃんは雄太さんとは正真正銘の親子なんだから、親子としての好き以上は駄目なんだよ!」


「もう、それなら、私パパと親子やめるぅ!!」


「それはこの私が許さないよ。愛美ちゃん。あなたは雄太さんの大切な本当に大切な娘なんだもの。それにもう一人、あなたを心から愛する人がいるじゃない。香さん。香さんを悲しませたらいけないよ」


「―――――うん、……そうだね。美愛ちゃん」




「ふぅ―ん、おっきな病院だねぇ」

ここにいるはず、私の親友が。

とてもお寝坊さんの親友を、私は起こしに行かないといけない。その為に、はるばるアメリカから彼女を起こしに、私はこの日本にやって来たのだ。


建物に入る前、中庭のベンチに座る二人の中年くらいの男女。

寄り添い、しっかりと手を握り。

この温かい陽の光を浴びながら、幸せそうに眠っている二人を目にした。


でも、本当はとても辛いんだよね。

分るよ。あなた達のその想いは……何年たっても変わらないんだって言う事を。

たった一本の線が足りないだけ。

でもね。その一本の線は、黙っていても寄り添ってはくれない。

その線を加えるも加えないも。

それはあなた達次第なんだからね。


コツコツと廊下の床をヒールが叩く音が響く。

そしてある病室の前でその音は止まる。


「ここだね。御待たせしました。……愛美ちゃん」

静かに病室のスライドドアを開け、カーテンで囲まれたそのベッドに向かった。

そっとカーテンを開けると、長い黒髪の白い肌の可愛らしい彼女が、静かに眠っていた。


その顔を見つめ、にっこりと微笑んでいるのが自分でもわかる。

「白雪姫だったらここで口づけ……なんだよなぁ」

て、言うかさぁ、私王子様じゃないんだけど!

女だし、男じゃないし、キスしたら愛美ちゃん怒るかなぁ?


でもさぁホント可愛いね。目元辺りはやっぱり雄太さんに似てるね。

ああ、でもさ、香さんの方が前面に出ているよね。


可愛いよ。

愛美ちゃん。


そっと、彼女の頭を撫でながら。


「ねぇ、愛美ちゃん。いつまで寝てるの? もう起きる時間だよ」




私は……彼女を起こしにやって来たんだ。

そうこれは約束。

指きりげんまんしたことを果たしに来たんだよ。


愛美ちゃん。

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