第31話 美愛ニヤァ― ACT  6

「諦めたくないんだよ」

麻衣のその言葉が耳に残った。


楽だと思った。何もかも諦めると……。

だから諦めようと努力した。行動した。でも、残ったのは寂しさと悲しみ。

傍に誰かが居ないと私は……ううん、多分麻衣も同じだと思う。……雄太さんも。


居場所がなくなって、自由を求め、自分を捨てて、諦めた。

自分の存在を失くしたかった。それが自由だと思っていた。その自由は本当に私が得たいものだったのか。気づいた時にはもう私は自分を無くしていた。

一夜の住まいを探し、さ迷い、すがり。作り笑顔をしながら憎悪を内に秘めさせた。男に媚びを売り、抱かれ……私は抱いてやった。


帰るところがない。帰るところを作ろうともしなかった。野良猫でさえ帰る場所があるのに、私は野良猫よりも劣っていた。勝とうなんて思ってもいなかったけど。

そんな私が何かを求めようとし始めた。それは何だろう……ただ単に自分が居る。居てもいい場所だけじゃない。もっと温かい何かを求め始めている。


手に入れても。こんな私でも手に入れてもいいのだろうか。

もがけばもがくほど、罪悪感が先走る。だから、まだこの気持ちは表に出してはいけないんだ。

――――――もしかしたら、絶対に表に出してはいけない……想いなのかもしれない。


麻衣の髪の毛が頬に触れる。サラサラとした感触が心地いい。甘い薫りと共に、ふんわりと洟に触れるこの香り。

雄太さんからも伝わる似た香りが、何故か胸をドキドキさせた。

麻衣から香ったからだろうか、何の薫りだろうと一瞬思ったけど、すぐにわかった。これは煙草の香りだ。


嫌じゃない。嫌な人から香った時は気持ちが滅入るけど、雄太さんから薫るこの香りは嫌じゃない。むしろ彼の匂いだと思う。


でも、何故麻衣からも煙草の匂いが……、移り香? もしかして麻衣のお母さんが煙草を吸っているんだろうか? でも制服姿の麻衣からするのは……。

「ねぇ麻衣、もしかして煙草吸ってる?」

麻衣は私を抱いたまま耳元で囁くように

「やっぱり匂う?」

「少しだけ」

「嫌?」

「……ううん、麻衣のだったら嫌じゃないかも」

「そっかぁ、でも匂い移っちゃうね」そう言って私の躰から離れた。

そしてポケットからピンク色の薄いケースを取り出した。


「美愛と出会う前に一本吸っちゃったから。ごめんね」

《*未成年者の喫煙は法律で禁止されています。あくまでもストーリー上の演出ですのでご注意ください。》


「ええッと、制服姿で吸ったの? 補導されちゃうよ!」

「そうだね」とだけしか麻衣は答えなかった。でも煙草やお酒って、そもそもこんな私たちみたいな高校生なんかに売ってなんかくれない。それなのにどうして麻衣は煙草を持ち歩いているんだろう。私が知っている麻衣はそんなことをする様な子じゃなかったと思っていたんだけど。


「どうして煙草なんか」

「…………どうしてだろうね。お母さんの吸っている煙草、何となく眺めていたら、吸い始めていたよ」

「怒られないの?」

「別にぃ、この煙草もお母さんの分けてもらっているし、家の中だと普通に吸っているからね」


お母さんから分けてもらっている? 私は吸わないし、廻りに煙草を吸う人がいなかったのもあるんだけど。麻衣のお母さんは黙認しているって言う事なの?


「あ、ちなみに部屋の中は禁煙だからね。もし、吸うんだったらベランダで吸って……ここの人もそうしているから」

「そうなんだ。分かった。でもここでは吸わないよ」

にっこりと麻衣は笑った。でもその瞳はどことなく色あせた様に見えた。


何故だろう麻衣と話をするごとに、だんだんと麻衣の姿が色あせて見えてくる。

中学の時の麻衣と今の麻衣。私の目の前には一人しかいなんだけど、二人の彼女の姿がかさなって見えてくる。そして、中学の時の麻衣の姿が消えていくような感じがした。

この感覚何となく私と同じなのかなぁ。て、思えた。

もう、お嬢様なんて呼ばれることなんかない、今の私の様に。


「ねぇ美愛と同居している人やっぱり男の人でしょ。当然年上で、結構年齢も離れていたりして」

別に探る様子もなく、ごく当たり前の様に麻衣は訊いてきた。

「―――――うん。会社員の男の人。多分10歳位離れているはず」


「ふぅ―ん。そっかぁ、で、”やったの”?」


「えっ! ”やったって”、ただのルームシェアの家主さんだから」

「その家主さんの食事の世話もしてるなんて、なんか変じゃない? 同棲? それとも飼われていたりして。はははは」冗談にしてはちょっと酷いんじゃない。私がここにいる。居られるようにしてくれた雄太さんに失礼だよ。

「わ、私達そんな関係じゃないんだから」

「何ムキになっているの? もしかして美愛ってまだ処女だった?」

処女……。ここは嘘でも頷くべきだろうか。だが私の顔は意に反し横に振っていた。


「へぇ―、意外……。付き合っている彼氏でもいんの?」

「彼氏、そんな人なんかいないよ」

「別れたの?」


そう言えば元々私は、恋愛の経験がなかったんだ。中学の時はみんなお嬢様としての私を取り巻いていただけだった。当然男子も私に近づこうとする人はいなかった。片思いで好きな人もあの頃はいなかったし、そもそも異性にもあまり興味というか、私自身気にする事さえなかったんだから。

それを思えば今の私は何だろう。……けがれたただの女。かもしれない。


「……付き合った人なんかいない」

「なのにセックスはしたことあるんだ」

うっ! なんて言えばいいんだろう。2ヶ月間私は夜をしのぐためこの体と引き換えにしていたなんて言えない。


下を俯き黙り込む私に麻衣は「言いたくなければ別にいいんだけど」と呟いた。

「ま、セックスなら私もしてるけどね」

あ、また。そんなことを平然と言う麻衣の姿が、透き通るように薄く感じた。


麻衣、やっぱりあなたは…………。


私と同じ……なんだ。



――――そして、この後彼女から訊かされたけがれは私より酷かった。

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