自句自解
この作品の目標:労働で疲れている人たちを苦笑いさす
テーマ:労働、疲労、麻痺、希死念慮
小道具:通勤電車、酒、おつまみ、冷え、精神科の薬
俳句は始めたばかりです。私が「こういうつもりで書いた」だけで、きっと伝わらない部分も多くあったと思います。一切の非は私にあると思って気楽にお読みください。
死にたいと叫ぶ両手にアオリイカ
季語:イカ(烏賊) 三夏
タイトルを爆速で回収しました。作中主体の両手がヌメヌメです。
あいつらあまりにもすぐ腐りません? 内陸に住んでるせいですか?
祖父や父が旅行の土産にイカを持ち帰ってきたときの母の絶望顔、全部放り出してすぐに捌き始めるときの顔が忘れられず、私にとってイカは強制労働の象徴です。
読者にとってはめちゃくちゃな取り合わせでしょうか。おもしろみを感じ、続きが気になっていただけたら幸いです。
季語:五月晴 仲夏
『一握の砂』は石川啄木の歌集です。ものすごく乱暴に言うとワーキングプアと死にたさがテーマになっています。しかし石川啄木が実は超絶キャリアの持ち主で、金遣いが荒いだけというのは有名な話。現代のワープアが読むと腹立ってくるぞ。
歌集の中で一握りの砂は、誰かが泣きながら差し出してきたり、涙をしみこませたりと、どこか思いやりの象徴のような役目をしています。人間おいつめられると砂みたいに柔らかくてこぼれやすい思いやりって受け取れなくなりませんか。
啄木がムカついて歌集を投げ捨てたと読んでも、思いやりを受け取れず投げ捨てたと読んでもOKです。それですっきりした気持ちを五月晴れと読んでも、思いとは裏腹に梅雨間に晴れやがってと読んでもOKです。
季語:五月闇 仲夏
梅雨時の暗さ重さと地下鉄の閉塞感を重ねました。大江戸線は東京都内の地下鉄で、主要路線の中では比較的新しい方です。しかし暗いしうっせぇ。私は大嫌いです。(そもそも電車が嫌い)
通勤用の路線としても有名で、大雨で水没して会社いけなくなってくれないかなと思った人はきっと多いでしょう。でも比較的新しい方なのでそんなことはおきない。よけい気持ちが鬱蒼とすることでしょう。
「溺れてほしかった大江戸線」という感想いただけて笑ってしまいました。
だれにでも起こりうる死のイクラ丼
季語:イクラ(はららご) 仲秋
Twitterで読んだ話に「なるべく殺さず食べられるよう大きな動物をみんなで分け合うのを是とする宗教の人が日本のタラコや数の子に出会うと大きな悲しみを背負う」というのがありました。着想はここからです。元ネタがTwitterなせいかTwitterで最もウケていたのがこちらの句でした。
コロナ禍でたくさんの人が失業しています。自分もしました。運命に捕まったのが偶然にも自分の会社という鮭で、非もなく丸ごとイクラ丼にされたりするご時世。早く終わるとよいのですが。
驚いたことにこれを電車移動のストレスに耐えかねた大規模電車事故の夢想と捉えた方もいらっしゃいました。いい読み手にあたると作品は新たな側面を見せますね。
手のひらにピーナツの山やがて夜
季語:ピーナツ(落花生) 晩秋
呑みすぎの句に見えた心の綺麗な人は以下読み飛ばして次の句に進んでください。
ピーナッツは空洞が大きく見た目より中身が小さいです。そのことから、頭からっぽの意で悪口に使われたこともありました。
真偽は闇の中ですが「某社が経営悪化で社員を三割まで削ったところ、できない人のフォローという仕事がなくなり業務効率が大幅に改善した」というネットロアがあります。自分の社会人生活を思い返してみても、いつもフォローで手がいっぱいです。管理職なら尚更でしょう。あっという間に夜になります。同じ疲れをご存知のかたのための句です。
季語:寝酒 三冬
心の綺麗な人は読み飛ばせとか言いつつ次がこれでごめんな。
精神科はまず患者を寝かそうとします。寝ないと治るものも治らない。睡眠薬をくれます。俳句連作で作中主体を一貫させるかどうかは余白の範囲内ですが、もし一句めと一緒であればそりゃあ睡眠薬ももらっているだろうと言う感じです。
睡眠薬の多くは「お酒と飲むと効き目が強く出すぎるからやめてね」と注意書きされています。それを逆手にとって薬が効かないからと酒を飲む人もいます。やめろ。さらに薬を勝手に増やす人もいます。やめろ。しかしそれでも眠れなくて、結局寝酒がただの飲酒になってしまっている作中主体を感じていただければと思います。
季語:海鼠腸 三冬
海鼠腸とはナマコの内臓を塩漬けにしたおつまみです。ちょっとグロテスクで、食欲ないときに見るとあまりいい気持ちにはなりません。
この句、最初は「海鼠腸の嫌だ嫌だでできたビル」でした。定時になり一斉に社員を吐き出すビルを遠目にみていると、内臓を吐き出すナマコのようにも見えます。しかし新鮮な内臓にしては元気がない。塩漬けなんだろうな、というところから作り始めました。最終的に定時を迎えたビルを割れた瓶に喩えることにしました。
中央線も都内の通勤列車です。巨大ハブ駅新宿を通り、その利便性からとても混み合います。だいたいの路線図でまっすぐ真横に黄色の線でのびている様が都心の腸に見えます。
しかし瓶を人間の比喩とし、自殺のメッカである中央線での人身事故ととらえ、下の常磐線と山手線で迂回して移動する様子と読んだかたもいらっしゃいました。そして酒に溺れていた作中主体が死に直面した恐れから少しずつ酒を手放していく、と。そこまで考えていませんでしたが、素晴らしい読み解きですよね。
あんこうの
季語:あんこう 三冬
常磐線も通勤列車です。都内から北関東、福島、果ては宮城県までを結びます。長距離通勤のかたが利用する列車で、特徴は乗客の飲酒率かと思います。酔っ払ってどんちゃん騒ぎという感じではなく、それぞれが座席で黙々と日本酒やストロング系を飲んでおります。何も知らずに乗るとけっこう異様で怯みますし、しばらくすると呑んでいない自分の方が異様にすら感じてきます。外は夜だし、スーツで車内が黒っぽいこともあり、深海魚を連想させます。
常磐線が突き抜ける茨城県北部の海岸沿いはあんこうが名物です。
季語:凍鶴 三冬
凍鶴、真冬の寒そうにしている鶴のことです。実際に見たことはありませんが、画像を検索したら心底寒そうに首を縮めて立っていました。満員電車の中の人みたいだなぁと思いました。(相変わらず電車がすごくきらい)
山手線は都心部をぐるぐる回る主要路線です。緩急こそあれ常にカーブなので、乗っていると遠心力を感じます。山手線を待っているとき、つり革に捕まる人たちが一斉に傾いだのを思い出して作りました。
季語:凍星 三冬
この先延々と続く凍シリーズで最初にできたのがこの句です。
祖父が先祖代々の墓に自作の短歌を刻んだ石碑を立てるという大立ち回りをしたのですが、その結句が「我を待つ星」でした。自分は天文も星座も大好きで名前をたくさん覚えていたので「いや星を私物化すんなや」と心で突っ込んだのを覚えています。祖父にとって星に名はなく、名もなき魂たちの輝きに思えたのでしょう。解釈違いというやつです。ここから着想しました。
本連作のテーマは労働の疲れや死にたさです。自死の準備として自分の旅立ちを待つ超存在を探しているのなら、私はいないと断言する。死そのものは悲しくないですが、苦しみながら死に憧れているのは悲しいことで、その苦痛を後押しするわけにはいかないです……。
季語:凍土 三冬
ストロングゼロは度数9%という濃くて安いチューハイです。常磐線の句でも少し触れましたが、疲れ果てた人が飲むもので別に美味しくはありません。(当社比)
この句をどう解釈したかで、この連作がハッピーエンドかバッドエンドか大きく別れていくように思います。
この場合の凍土が疲れ切って凍った心の比喩と捉えればバッドエンドになると思います。でも冷たいチューハイなんかじゃ溶けっこないんですよね。それでも呑んでしまうし本人にも理由が説明できないというのは、知っております。
凍土を本当に地面と解釈した場合、ハッピーエンドに傾くと思います。酒ばかり飲んでいた作中主体が断酒のために酒を捨てたと捉えることができます。
季語:凍鯉 晩冬
季重なり:こたつぶとん 三冬
夏の間は人影を見ると餌を求めて大暴れする鯉も、冬になると泥に埋まるようにじっとしています。その姿を労働で心を病んで余暇ぐったりしている人に喩えました。サイレースは睡眠導入剤です。「と」でただ物を並べるだけで動詞を入れず、それによってじっとしてる感じを出そうとしました。
これもバッドとハッピーの二通りの解釈が可能です。
ただの睡眠薬がサイレースという処方でしかもらえない具体的な薬に変わったことを鬱状態の悪化と捉えればバッドエンド寄り。きたる春に向けて凍鯉のようにじっと待っていて、きちんと効く薬を飲んでいるならハッピーエンド寄りです。
季語:凍蝶 晩冬
季重なり:仔猫 晩春
コロナ閉所した職場では、乳児と暮らす妊婦が臨月まで働いていました。当時二十八の私よりずっと歳下でした。不景気という寒さにあてられ無事でしょうか。今どうしているか心配です。
一句に季語はひとつという基本ルールの俳句に、晩春の季語である仔猫が登場しています。なんとこれは、ミスです。
作中主体の気持ちに寄せると、他のつらい境遇のものに視線を寄せることができるようになっています。ずっと海鮮しか出てこなかったのに。これも良い兆候とも悪い兆候とも読むことができます。
季語:凍傷 晩冬
自分は体が弱く、高校も大学も中退しています。高卒は資格試験で取ったため、記述形式にもよりますが最終学歴は中卒となります。給与は学歴と職歴で決まるので、転職のたび給与が中卒水準にリセットされます。
凍傷や火傷ってちゃんと治療しないと跡が残って色がついたりテラテラになるんですよね。単位持ちこみ転入して放送大学で大卒すればよかったなぁ。いつまでも履歴書に照る傷跡です。
学歴を凍傷に喩えるおもしろみ、輝くという一般的にはいいことに使われる動詞をぶつけるおもしろみ、低学歴で就業に苦労する人への共感などを目指しました。逆に「あんなに良い大学を出たのに今こんな体たらくで」と読んでくださったかたもいました。学歴、いろんな立場の人をさまざまに呪うものですね。
ここで作中主体が転職活動に着手していると読めばハッピーエンド寄り、凍傷を諦めているならばバッド寄りになります。
季語:凍滝 晩冬
母の生家の近くには
着想はバッドエンド寄りでしたが、凍滝をビルや銅像と捉え、先輩の呼び声を社会復帰へのよすがに読んでくださるかたもいました。
ここまでの「凍」季語ラッシュで連作の雰囲気を切実で寒々としたものにできていたらいいなと思います。前半海鮮と酒のラッシュを鑑み「痛風いていていていて」と読まれているの見た時は爆笑いたしました。
地に足をつければ止まる
季語:半仙戯 三春
魂が3歳児なので六枚道場で知ったばかりの季語を使いたくなって作りました。ブランコです。(渾身のどや顔)
これひとつでは和歌で言うところのただごと歌、当たり前のことを切り取って歌ったものです。しかし労働に関する連作としてあると「地に足をつけ」が不穏を帯びてくるのが面白いかなと思って作りました。
大学時代その才能のめばえを輝かせていた人が「地に足をつけ」たとたん苦しそうな人生に変わってしまうのを何度も見ました。真面目な人生と苦しい人生が同じでないって、自力で気づくの難しいですよね。
また逆に、ブランコを悪いものの象徴、たとえば死への近づきとか感情の波と解釈して、無理な働き方やめれば止まるよと読むこともできます。酒や薬が抜けてふらふらが止まったこと、と鋭く読んでくださったかたもいました。
壊れてる場合でないぞ
季語:水圈戯 三春
魂が3歳児なので知ったばかりの季語を使いたくなって作りました。(二度目)しゃぼん玉です。(渾身のどや顔)
タイトルである「死んでる場合か」の言い換えの句になります。再起した作中主体と読めばハッピーエンドです。
逆に、しゃぼん玉はどう足掻いたって壊れます。ブラック企業って従業員に対してこの手の無茶言いますよね。結局元の社会に戻って働くバッドエンドの意で取ってくださっても嬉しいです。
【おまけ】
白牡丹だれかの吐いた紅ほのか
季語:牡丹 初夏
高浜虚子の名句「白牡丹といふといへども紅ほのか」の本歌取りつまりオマージュです。二次創作として六枚道場の規約に触れる可能性があったので削除しました。
ホワイト企業もさ……部署によっては血ぃ吐いてたりするよね……。そういう見えにくい苦労、言えない苦労をなさっている方にもこの連作を捧げます。
【余談】
私は下戸です。
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