妻に殺される日

あかりんりん

妻に殺される日

僕と妻は結婚して10年目になる。

高校3年生の夏休みから付き合い、18才で結婚したが、子供に恵まれなかった。

妻は19才の時に一度妊娠したものの、つわりがひどくて水しか飲めない日々が続いた。

さらに流産という不幸から、夫婦仲は少しずつ冷えていった。

セックスレスの定義は夫婦の性交渉が1ヶ月以上無いことと定義されているらしいが、僕達にはその10倍近い長い期間になっていた。


だが、離婚という話はお互いに出なかった。


離婚話しを切り出さなかった訳ではなく、もし、どちらかが言い出せば、とんとん拍子に話しが進むと、なぜか確信していたこともある。

ただ、離婚話しを出すきっかけが無かっただけかもしれない。


そんな冷え切った夫婦に、用意されていたようにその日は訪れた。


それは1月の新年が始まって間もない頃、日本全国で大寒波があり、珍しくこの地方にも雪が積もった。

1年を通して雪が降ることはまれにあるが、積もるまで降ったのは珍しかった。

特にここ数年は暖冬のため、雪が積もったのは本当に久しぶりだった。


積雪といえば高校3年生の時を思い出す。

2月になると、3年生は部活も引退し、卒業式の練習のため、週に1回、月曜日だけの登校となる。

そんなある月曜日、その日も珍しく雪が積もっていた。

通学するための電車が止まっていたため、朝のホームルームが1時間遅れて開始されることになった。

僕は自転車で通学できる場所に住んでいたため、すでに学校に着いており、朝のホームルームまで時間があった。

男女共学の学校であったが、みんな珍しい雪を見て子供のようにはしゃいでいた。

そして、屋上に上がる友達が複数いて、そこから雪玉を投げ落とし、中庭にいる僕達がキャッチするという遊びになった。

特に誰かがそういうルールを決めた訳では無かったが、気がつけば中庭にいる人が一人ずつ、順番に雪玉を追いかけていた。

みんな必死で雪玉を追いかけ、柔らかい新雪に飛び込んだ。

僕もみんなもケラケラ笑いながら、冷たさを感じなくなるほどその遊びをしていた。


そして、僕はつい調子に乗りすぎた。


最初は芝生の上の雪の上に飛び込んでいたが、気がつけばアスファルトの道路の上だった。雪が隠していたので気がつかなかった。

僕の右膝のズボンがやぶけてしまっていた。

だが、卒業式まであと1ヶ月だから服を縫えば良いや、その程度で考えていた。


そして、朝のホームルームが始まった時、やぶけたズボンの穴の中を見てみると、右膝が血だらけになっていた。

だが、まったく痛みを感じていなかった。

おそらく寒さで痛覚もマヒしていたのだろう。

改めて膝を見てみると血で真っ黒になった傷口があった。


担任の女性の先生にケガをしていることを伝えたら、呆れながら保健室へ行くことを勧められたので、すぐに向かった。

保健室の年配の女性の先生も呆れながら

「これは病院に行って縫ってもらった方が良いねぇ」

と言った。続けて

「今からすぐに行く?それとも今日は卒業式の練習だけだから、終わってから行く?」

と聞かれた。


僕は3年間皆勤だったこともあったし、痛みも相変わらず無かったので後者を回答し、消毒とガーゼだけ貼ってもらい卒業式の練習に参加した。

一応親にも電話を入れた。


1時間程度で卒業式の練習も終わり、すぐに親に迎えに来てもらい、整骨院へ電話をして、平日だったこともあり、すぐに診察してもらうことになった。

そして病院へ着いて改めて説明すると、すぐに診察室へ案内された。

病院の先生も、保健室の先生と同じことを言った。

「これは、縫った方が良いねぇ」

「じゃあお願いします」

と特に何も迷わず答えた。すると先生が

「縫うと少し傷跡が残るけど大丈夫?」

と聞かれたが、膝の傷跡など気にもならないだろうと、すぐに二つ返事した。

それから膝に局部麻酔の注射を打たれ1時間程度で手術は終わった。

先生に聞くと、3針縫われたようだった。

ちなみに僕のズボンは母親が7針縫ってくれた。


僕はそんな事をふと思い出しながら微笑んでいたが、ある声が聞こえて、僕はあの冷え切った空間に戻されていた。

「ねぇ、今日は雪だから車を使わせてね」

業務連絡のような妻の言葉だった。


共働きの僕達は車を1台、原付バイクを1台所有していた。

普段の通勤では妻が徒歩と電車で、僕が車を使うが、妻が買い物などで車を使いたい場合は、僕がバイクを使用することになっていた。

僕はまぁ仕方ないと思い、バイクで通勤することにした。

さらに妻は続ける。

「あとゴメン、いつものパン屋に予約を入れてるから、帰りにお願いね」

妻は一応申し訳なさそうにそう言った。


そのパン屋は僕の会社から近くの山にある団地を少し登ったところにある。

主人が趣味で始めたらしく、不定期の開店であるがリーズナブルな値段の割に美味しいため、その団地にはそこそこ有名のようだった。

妻がそのパン屋のメロンパンが特にお気に入りで、90円という安さに加えて、天然酵母を使用して作っており、外側はカリカリとして中はフワフワという、メロンパンなら当たり前になりつつある常套句も見事にハマっている。

そして、僕達夫婦は1ヶ月に1度、月末にメロンパンと新商品など数点を決まって注文予約しているのだ。


そして、その店は妻の会社より僕の会社の方が近いところにあるため、僕が仕事帰りに受け取りに行くことも決まっていた。

これも“屋上から雪を投げてキャッチする遊び”と同様に、どちらかが決めたルールでは無かったが、いつのまにか当たり前となっていた。

別に不満も無かったし、効率的な意味でも僕が行くべきだろうと思っていた。

「分かった」

僕は反発することなく短く返事をした。

だが、こんな雪の日ぐらいキャンセルしても良いのに、とも思ったが、事前予約していることや、パン屋の主人と顔見知りとなったこともあり、断れなかった。

そしてなにより、これでまた妻と言い争いになっても面倒くさい。


僕は通勤時に雪で固まった路面でこけそうになりつつもバイクで最徐行しながら進み、通常20分かかる通勤時間が35分かかった。


仕事が終わり、夕方5時頃には辺りも薄暗くなっていたが、雪はだいぶ溶けていた。

僕は家とは反対側のパン屋へバイクを走らせた。

ほどなくして山道に入り、団地を上る時、まだまだ雪が残っていることに少し不安を覚えた。

団地を抜け、さらに山道に入った。

道路は塩化カルシウムで雪は溶けていたが、一部急な斜面もあり、さらにガードレールもほとんど無い道のため注意しながら進んだ。


ガソリンが3分の1となったバイクを走らせること約15分、やっとの思いで、パン屋に着いた時、丁度パン屋の主人と店の入口で入れ違いになった。

「あ、寒い中お疲れ様です。申し訳ありませんが薪を取ってきますので、そのままお店でお待ちください。すぐに戻りますので」

店の主人にそう言われて、僕は店内のパンを眺めつつ、新商品が出て無いことを確認していた時、パン屋の主人が戻ったので料金を支払い、パン屋の主人はいつもの笑顔を見せながら、僕はパンを受け取った。

「もし良かったら温かいコーヒーかお茶をサービスしますよ」

主人はいつもの笑顔でそう言った。

「じゃあ、せっかくなのでコーヒーをいただきます」

僕は店内で温かいコーヒーを飲んだ。


僕は軽くお礼を言い、パンをバイクのシートの中に入れ、今度は家に向かってバイクで走り出した。


その帰り道、急な斜面にさしかかった時、バイクが横滑りし始めたので慌ててブレーキをかける。

だが、そのままバイクと共に滑った勢いは止まらず、僕は崖から落ちた。


そして、ふと目が覚めた。

目が覚めるとそこはさっきのパン屋だった。

でも、おかしな風景だった。

まるで夢のようだった。

パン屋にいるのは、パン屋の主人と僕の妻だった。

そして二人は抱き合って熱いキスをしている。

そして二人は服を脱ぎながら店の奥のへ入っていった。


僕は、なぜだか分からないがパンがたくさん置いてある店の天井から、二人を見ていた。

久しぶりに妻の乱れた姿を見たせいか、なぜか僕も興奮していた。


本当に不思議な夢だった。

あるいはそう思いたかっただけかもしれないが。


そして熱い抱擁を続けながら全裸になった二人は寝室らしき部屋に入り、大きなベッドで絡み合い、やがてパン屋の主人が果てると、二人は裸のまま抱き合って話しを始めた。


「大好きよ、ありがとうね」

「僕もだよ。でも、こんなに上手くいくとは思わなかったよ。君の考えた通りになったね」

パン屋の主人はいつもの笑顔で言う。

「いや、あなたが上手く、水を撒いてくれたお陰よ。これで保険金が入ったら、二人で一緒に暮らせるね」

妻は微笑みながらそう言った。

僕は、そうか、パン屋に向かう時には凍って無かった斜面の道が、帰り道で凍っていたのは、パン屋の主人が水を撒いていたからかと、そう確信した。

「あぁ、そうだね。ありがとう。愛しているよ」

パン屋の主人はいつもの笑顔をしながらそう言った。

「ふふっ、楽しみね。ここは田舎過ぎるから、もう少し都会に行って、あなたのパン屋がもっと大きくなるわね。あなたの夢がもうすぐ叶うね。じゃあ、あんまり遅くなって警察にでも疑われたらいけないから、そろそろ帰るね。愛しているわ」

妻はそう言って、またパン屋の主人と熱いキスをした。

「あぁ、僕もだよ。あと、さっき塩化カルシウムを撒いておいたから氷は溶けていると思うけど、気をつけて帰ってね」

パン屋の主人はまたいつもの笑顔を見せた。


僕は相変わらず二人を天井から見ていたが、移動できることが分かり、店を通り透けて山道に行った。

そしてあの斜面があった。

その崖の下に、僕のバイクと、血だらけの僕が倒れていた。

そしてその上に、うっすらと少しずつ雪が降り積もり始めていた。

僕はずっと認めたくなかったが、これが夢でなく現実であることを確信した。

そして幽霊となっているこの状況を好機だと考え、妻とパン屋の主人に復讐を誓った。


それから間もなくして妻が車でやって来た。

僕は怒りに任せて思いきり車を押した。

しかし、僕の手は車をすり抜けた。

だが、その瞬間、車が横滑りし、妻の悲鳴が聞こえると同時に車と共に崖に落ちて行った。


車は崖の途中の木々に衝突して挟まっており、シートベルトが引き裂かれ、車の窓ガラスが割れ、車から投げ出された妻は、皮肉にも僕に覆い被さるように落ちて死んでいた。


そして雪は振り続け、二人の人生と体は雪と共に少しずつ隠されていった。


それから僕は、だんだん意識が薄れていくのが分かった時、ある声が聞こえた。


何度も聞き覚えのある男の声だった。


「もしもし・・・あぁ、もう二度と会わないよ。僕が愛しているのは君だけだよ。本当だよ。娘にも誓う。これからはまた3人でやり直そう。残りの人生をかけてそう誓うよ」

その男は、何度も見たことのある笑顔でそう言った。



以上です。

読んでいただきどうもありがとうございました。

雪が降った際にたまたま妻に買い物を頼まれたことがきっかけで、この小説が書けました。

いえいえ、妻は僕を殺そうなんて思っていませんよ。

あるいは、僕はそう思いたかっただけかもしれない。

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妻に殺される日 あかりんりん @akarin9080

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