バイト先のちょっとコミュ障なお姉さんが、たまに見せる笑顔が最高にかわいい
ユーリカ
四月 実は…ネコ好き
ユウカさんに初めて出会った時、彼女は大量のネコのぬいぐるみが散乱する真ん中で、死んだ魚の目をして立っていた。
イベント会場での物販アルバイトを始めた僕は、講義が長引いたせいで初日にいきなり遅刻しそうになり、息を切らしながら多目的ホールのホワイエに駆け込んだところだった。子供向けの人気番組に出てくるネコのキャラクターグッズが、2、3個ほどひっくり返った段ボールから彼女の足元まで山を作っていた。
「おはようございま…だ、大丈夫ですか?」
黒のVネックニットにこげ茶色のワイドパンツを合わせた彼女は、ゆっくりと僕の方を見ると、柔らかく落ち着いた声で「あぁ…新しく入った人…」と言った。
「そうです。今日のシフトでご一緒する、一木ケイと申します。早速ですが、もうすぐ公演が始まっちゃうので、ぬいぐるみを片付けちゃいましょう」
手分けしてネコたちを段ボールに戻していると、彼女はおもむろに僕の方を向いて「私、内藤ユウカ…よろしく」と自己紹介した。ぱっつんロングの黒髪が、華奢な肩にさらりとかかっている。初対面の僕に対しても、ユウカさんは特に笑顔を作るでもなく、名乗り終えるとネコの収納作業を淡々と続けた。
◇
会場が開いてから公演が始まるまでの約1時間、僕は慣れない接客に緊張しながら、ぬいぐるみ他のグッズを来場した客に売っていった。子供向け番組のイベントだけに、まずは子供がカウンターに駆け寄って駄々をこね、親にグッズを買ってもらうパターンが多かった。
ちらりと隣を見ると、相変わらず無表情のユウカさんが5歳ほどに見える男の子の相手をしている。
「お姉ちゃん、これちょーだい!」
「こちらのぬいぐるみでしょうか…?1500円になります」
お金の概念がまだ無いような子供に対しても律儀に接客するユウカさんに、僕は思わず頬が緩んだ。
客があらかた場内に入り終えると、終演までしばらく休憩となる。夜公演だったので、僕は夕飯を食べに行くことにした。
「あの、ユウカさん。もしよければ、一緒にご飯行きませんか?」
誘ってみると、彼女は「じゃあ、行く…」と答えて僕に付いてきた。
近所にお気に入りのラーメン屋があったので、彼女と一緒に入り口に並ぶ。
「ラーメンで大丈夫ですか?何かお好みがあれば教えてください」
「このお店は…好き。うちの大学の近くにもあって…よく食べてる」
「ユウカさん、いま何年生ですか?僕は今月入学したばかりです」
「…4年生。いま就活中で…ちょっと大変」
店員に呼ばれたので赤い暖簾を潜り、カウンター席に並んで腰掛ける。僕は豚骨、彼女は塩を注文した。頭にバンダナを巻いた店員が威勢のいい声で注文を復唱する。
二人でラーメンを啜った後、明太子ご飯を食べながら僕たちはお互いの情報を交換した。彼女は僕の大学にほど近い女子大の文学部で日本史を専攻しており、趣味の読書を仕事にできる出版社への就職を目指していた。しかし狭き門の出版業界、いくつかの会社からお断りされてしまい、少々凹んでいるようだった。
「大丈夫ですよ。数社だめだったからって、出版社なんて他にいくらでもあります!諦めないでいれば、必ず良いご縁がありますって」
まだ実感の湧かない就職の話ではあったが、とりあえずユウカさんを励ます。
「そう…だよね。ありがとう。頑張る」
相変わらず心配そうな表情で答えてから、ユウカさんは腕時計を見て「あれ…もうこんな時間。ケイくん、戻ろう」と言って席を立った。名前で呼ばれたことにドキドキしながら、僕は彼女と夜桜の並木道を歩いて会場に戻った。
◇
終演後、ひとしきり客の対応に追われた後、空っぽになったホワイエで僕はユウカさんと売上の集計やグッズの片付けをしていた。
「一公演だけで売上こんなにいくんですね!あぁこれ全部バイト代にならないかな」
溜息交じりに言ってユウカさんを見ると、彼女はネコのぬいぐるみを一つ、名残惜しそうに手に持っていた。箱に戻すか逡巡しているように見える。
「あれ、ユウカさんネコ派ですか?僕もなんですよ、奇遇ですね」
「本物のネコ…も好きだけど、このぬいぐるみ…なんだか一緒にいて落ち着く」
ぬいぐるみを持って動かなくなったユウカさんを眺めていたら、僕は閃いた。
「それじゃあ、僕がそのぬいぐるみを買います。就活を頑張るユウカさんへの応援プレゼントです」
ユウカさんは意表を突かれたように僕の方を見た。
「ほんとに?嬉しい。ケイくん…優しいね」
そして、ふわりと明るい笑顔になったユウカさんは、僕にぬいぐるみを手渡すと恥ずかしそうに言った。
「1500円になります」
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