32話 変人ホイホイ

 模倣、という考え方は少し古いと思う。


 現代では、情報や知識の広まりや影響は進化と捉えられており、文化を形成する為にも模倣や引用は重要だ。爆発的に拡散される動画、SNS、流行は人から人へ伝わる度に形を変えて、劣化もするし変化もする。遺伝子が如く繰り返される現象はいつしかミームと呼称され、研究の対象になり、彼女が語るような文学的観点ではなく、それはまさしく科学と言えるだろう。


 しかし倉主は影響そのものを否定し、本当の自分などというものを探しているらしい。他者に意思を伝えることが容易な現代で、ネットが普及した社会で、個人の主張が肥大化している今、何者の影響も受けないというのは殆ど不可能なことだと。


 納得しようとして拒む彼女に、どう伝える事が出来ようか。




 お父さんお母さん、それから妹よ。お爺ちゃんお婆ちゃん、叔父さん叔母さんと姪っ子やら甥っ子やらなんやかんや、ごめんなさい。俺がおっぱい揉みたいばっかりに末代まで根絶やしにされそうな勢いです──と謝ったら許して貰えるだろうか。


 5月11日、放課後。俺は頭を悩ませ肩を落としながら帰宅していた。


「あー、どーすっかなー」


 帰宅部の俺はついこの前までは、一刻も早く帰宅して記録を狙う遊びをしていたけれど、最近は夏取や倉主の件で帰りが遅くなり、こうして沈み行く夕日を眺めながら、道ゆくカップルを睨み付けながら、街を歩いているのである──因みに友人からの誘いが無いわけではなく、たまたま俺がそういう性分なだけで別に人との関わりを避けているとか、昔ちょっとトラブルがあったとかは全く無い、と明言しておく。寧ろ暇な時は俺から声を掛けることだってあるんだから、ぼっちじゃないんだから、勘違いしないでよね。


 寧ろ今日も連絡来てたし、それも──夏取から。


「……」


 さて話を戻そう。


 説得2日目はただ、『お互いの賭けるもの』を確認して終了してしまった。


 倉主は胸を、俺は家族を。そもそも彼女が不公平だと抜かして賭け事になったのだが、この条件ではあまりに不公平ではないのだろうか。もしも公平にするのであれば俺が本当に賭けるべきは──パイパイにはチンチンだろうと、これでイーブンだろうと、内心で思って心中でオブラートに包む。いやでもしかし、彼女が触りたくないのだからやっぱり賭けは成立しないか。


 まあそんなことはどうでも良い。今は一家存続の危機である。


 チンチンとかパイパイとか言ってる場合ではない──そもそも、俺は一体何をやっているんだ?元々周囲に馴染めぬ孤独な人間を、可哀想なので周囲に馴染ませる個人的な趣味の延長。高橋先生の依頼は常にそういう意識で引き受けて来た。しかし今回はどうだろう。倉主琳にはその必要が無い。聞けばクラスに普通に友達も居るらしいし、そりゃ授業をサボるのはアレだが、それくらいは誰でもやっている事だし、手を出す必要も気もない。ならばどうしてこうなった? 


 事情が違うと分かっていて、始めた筈なのに──いや──もしかしたら、事情は同じかもしれない。


 俺が提示され、頭を悩ませた『倉主を図書室から追い出す』というその前提からして、きっと間違えなのだ。彼女には明らかに問題がある。倉主は納得させて欲しいのではなく、何かを悩んでいて、それを解決して欲しいと願っている、とか?


 しかし、会話を思い返しても、敢えてそれに気付かれないよう振る舞っていた気がする。本を渡して来たのも気を逸らす為。感想ではなく、どんな影響を受けたかなどを聞いて来る辺り、彼女は恐らく俺を通して自分の問題を、自力で解決しようとしているのではないか? 事実その悩みであると思われる『自分は誰かの模倣』という問題に対しての回答を求めていて、俺の回答には納得出来ないと。なれば彼女はどうして未だに自分に拘るのだろうか。


 決まっている。


 それは納得したいから。悩んでいる現状を打破したいからだ。


 理解出来ないものを理解しようと思考することで、答えのない問題について議論をする、とは最初の会話で交わした内容。もしかすると、あれが、俺という人間に興味関心が湧いた瞬間だったのかもしれない。


 ある種の幻想を俺に抱いている可能性、いや寧ろ、自分自身や他人に対しても、か。


 しかし、やっぱりだ。


 やはり高橋先生が持って来る依頼はいつも面倒になる。1年前、始めて依頼された時から薄々感じていたけれど、理解していて飛び込んでいた部分もあるけれど、最近のは特に酷いし、重い。気分転換に少し羽を伸ばしたいが、持て余している時間もないという三重苦。


 つーかなんなんだよ全く、俺にはそういう変人とかイカれた奴を惹きつける電波でも発信してんのか。

 

 いつもは自分を受け入れてくれている街の活気が、今日だけは鬱陶しいとさえ思え、溜息が溢れる。そうして吐き出した吐息を取り戻そうにも呼吸が苦しくて、息が詰まりそうだった。


「やれやれ」


 だけどもまあ、長々と独白したお陰で随分道が開けた気がする。


 ちょうど頭の中で区切りが付いて、曇った視界が晴れていた。薄暗さしか感じなかった街並みに目をやると、街灯が明るく照らしていて、ようやく軽くなった足取りで人々の合間を縫って歩いていると、すっかり陰鬱な感情は消え去っていた。


 加えて自分の中で、倉主琳という少女が抱えている問題には夏取の多重人格同様に、ある名前を付けられるのではないかと気が付いた。思春期の、進学したばかりの不安定な時期ならば罹ってもおかしくないもの。


 彼女が発症しているのはそう、言うなれば──厨二病なのだろうと。

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