3
OKボタンを押すとウィンドウはそのまま閉じて消えた。
サイトを移動するでもなく、不穏なメッセージを表示するでもなく、パソコンが怪しげな動作を始めるでもなく、ただ消えた。
なにも起きない。
期待するような出来事はなにもなく、むしろただ当然あるべきだろう結構めんどくさい現実を想像しながらちょっとした覚悟で押したんだがなにも起きなかった。
まあこんなもんだろう。そもそも押したらなにがあるとも書いてない、本当にただのボタンだった。
だから。
「やはり押したのう」
背後で女の甘い声がしたとき、俺は振り返ることが出来なかった。
「希ったなタカシよ」
今にも歌いだしそうな女の声。
「なんで、俺の名前を知ってるんだ」
今にも叫びだしそうな俺の震え声。
「くはは、なんでもなにも堂々と戸籍に書いておるではないか」
は?戸籍?
「住民票にもアパートの契約書にも銀行口座にも免許証にも履歴書にも郵便物にもクレジットカードにもスマホにも動画サイトにも汝の名は書かれておるではないか。のう?」
いやいやそんなもの書いてあるったって、もしかしてどこかから個人情報の漏洩でもあったのか?それにしたって。
「どうやって部屋に入ったんだ」
声をかけられるまでなんの気配もなかった。いや気配なんて俺にはわからないが、それにしたって誰か入ってきたらさすがにわかるだろ。
「どうやってもなにも、汝が呼んだのではないか」
「お、俺が?」
「わしは希えと告げた。汝はそれを肯定した。ゆえにわしはここにおる」
意を決して俺は振り返る。
薄暗い部屋の中、光を映さない長い黒髪と深紅の瞳に人間とは思えない白い肌。
均整を取りつつも豊満な女の肉体が、赤い薄絹一枚纏ってそこにあった。
まるでそれは自分の席だとでも言わんばかりにベッドに腰掛けて足を組んでいる。
大ぶりな口が裂けるようにひらき、赤い舌をチラつかせた。
なんだこいつは、なんなんだこいつは。いったいどこから入ってきた。いやどうして俺の部屋へきた。なんのためにこんな小汚いところへわざわざやってきたんだ。
混乱したまま俺は立ち上がり、ふらふらと近づく。
傍に寄ると彼女からは声と同じように甘い香りがした。それは胸を焼くような甘ったるいものではなく、目を覚まし血を巡らせ活力を漲らせるような匂いだ。
俺は恐る恐る手を伸ばす。彼女はもしかしたら幻覚なのではないか。俺は孤独のあまり頭がおかしくなったのではないか。指先が掠めた瞬間なにもかもが消えさって俺はこの小さな小汚い部屋にひとりぽつんと立ち尽くしているのではないか。
むしろ俺は今こそ希っていたような気がする。
そうであってくれ、と。
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