第109話 なんでおれのこと怒らないの

 バタン!


 閉めたドアにしばしもたれ、ハッとして靴脱ぎ散らかして部屋へ駆け上がった。


 ハァ ハァ ハァ ハァ

 …… 


『おかえりなさい、滝夜さん』

「……」


 息はすぐ収まったのに、返事できなかった。


「大丈夫ですよ、まずは落ち着きましょう」


 ゆっくりとした輝夜の声で、混乱した自分の頭をまずなんとかしようと思えた。


「輝夜を忘れた。痛恨のミス」

「アハハッ」


 笑った。

 おれの口角もつられて少し上がる。


「反射的に帰って来ちゃった」

「そういう時もありますよ」

「なんだろうって思われてない?」


 相手、先輩だし。


「大丈夫です。さっき、猪瀬さんのウグイスを通じて、説明しました」


 さすが猪瀬くん、ちゃんと持って来てた!


「試合の日は来て欲しいけど、練習は休んでも大丈夫だそうですよ」

「申し訳ないな……」


 剣道は確かにチームでするスポーツじゃないけど、練習はみんないるからできるものだから。

 稽古だって相手が必要だし、試合形式でやるなら審判役だってタイマーだって必要だ。掃除や片付けだって、みんなでやるからがんばれるのに。

 おれだけサボるのか。


「落ち着くまでですよ、ずっとじゃありません」

「……そうだな……」


 人の噂もそんなには続かない。世の中は目まぐるしく、他人のことにいつまでも付き合ってられない。

 おれだって先週の話題、ほとんど覚えてないし、こんな地味な中学生のことなんかすぐ忘れ去られる。

 そうに違いない。


「先輩、なんて言おうとしたのかな。別に逃げることなかったのに」

「ちょっとしたことでも過剰な反応をしてしまうほど、いっぱいいっぱいだったんですね。大丈夫です、先輩とはまた話せますし、逃げることが悪ではありませんよ」

「うん」


 輝夜はおれを責めない。

 輝夜はおれを許す。

 これは甘やかしとは違うのかな?

 こんなに受け止められると、逆に心配になる。


 まだサブバッグ担いでたことに気付いて、ずるりと下ろした。

 軽くなった肩に気が抜けて、ベッドにへたり込む。


「ちょっとゆっくりして下さい。落ち着いたら課題でもしましょうね」


 先生か。


 でも、母さんもきっとバタバタ帰って来ちゃったの気付いてるのに、2階に上がってきたりしなかった。

 朝湖がいるのかは分からないけど、何にしてもおれは一人にしてもらえた。

 良かった。

 もちろんだからといって課題なんかするわけもなく。

 輝夜がクスクス笑って、「課題、やらないんですか?」って言ったけども。


「ねえ輝夜、なんでおれのこと怒らないの?」


 ねっころびながら聞いてみる。


『怒って欲しいんですか?』

「いや、だっておれ、誰からもそういうこと言われないから」

『完全なる被害者ですから』

「でも被害者ぶってるみたいだから」

『アハハッ』


 輝夜は笑うと可愛い。声が。いやきっと顔も。


『じゃあ咲良さんに怒られて下さいね』

「うへぇ……!」


 確かに、納得。

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