第108話 帰ってきちゃった

 気分のいい朝だった。


 もうかなり暑くて、体操服なのに歩いてるだけで汗が流れる。

 でも風はあるし、家々の影に隠れて歩き、蝉の声を聞きながら眩しさに目を細めると、夏らしくてとても良い。


 思ったよりも、すれ違う人は少なかったし、おれのことに気をとめる人はいなかった。

 これは、おれの考え過ぎだったかもしれない。

 そう思い始めた頃、武道場が見えた。


「おはようございまーす」


 いつものように、そう言いながら一歩入った。


「滝夜!」

「あれおまえ?」


 振り返った先輩が発した言葉に打たれたような気がした。


「その話はやめ……」

「見たぜ~トップニュース!」

「何で言ってくれんかったんだよ」


 口を挟む暇もなかった。

 ぱくぱくと止めようとしたら息ができず、訳も分からないまま呼吸困難になり、おれはその場から逃げ出すしかなかった。


 さっき歩いたばかりの道を半分ほど戻った辺りで我に返った。おれ、このまま帰っていいのか?

 何で帰ってきてるの? どうして戻ってきちゃったんだろう?

 ぐるぐる思いながら足は家へのルートを辿る。


 輝夜を持って来なかった。

 7月からは学校に持ってきてもいいってことになったのに、こんな時に何で……


 今さらもう一度行くなんてできない。でもただ部活行くだけのことすら不可能になってしまったのか? いつも、部活でしゃべることなんてほとんどないのに。


 先輩、なんて思ったんだろう、おれのこと。だって先輩は研修、受けてないんだ。そりゃそうだおれ達が初めてなんだから。

 たった一年早く生まれただけで参加できなかった先輩たち、どんな気持ちなんだろう?

 さっき、おれになんて言おうとしてたのかな……


 家の前に戻ってきた。その事実に足が止まる。どうしよう。

 帰ってきちゃった、そう言って笑えばいいのかな、それでササっと部屋行けば。

 でもなぜかそれができない。なんで。


 さっきまでのおれと違うのはなんだ。そのせいで入れないのか家に。

 無様に逃げて来た情けないおれは、それをごまかしたいのか。

 それとも心配しているだろう母さんと朝湖が、すぐに逃げ帰ってきたおれを見て、更に心配するのを見たくないからか。


 ────分からない。

 でも足が動かない。

 どこかへ行ってしまいたい。でも行くところなんてない。


 ────あ。

 ひとつだけあった。

 そして思い出した瞬間、過去形な場所だったことも思い出した。

 無くなってたんだ。

 どうしてか分からないけど、夢みたいに。

 まるで昔からそんな家なんかなかったみたいに。


 今師範に会ったら、おれはなんて言われるんだろう。

 叱られるのか、励まされるのか、それとも……?

 しっかりしろ、そう言われる気がする。

 腹に力を入れて、息を吸い、長く吐け。


「あら〜、どうしたの? 部活?」


 頓狂な声が投げられて、おれは脱兎のごとく帰宅した。

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