第98話 失態

「────はい」


 榎戸は着信を常に無音設定しているので、周囲にはいつも急に返事をしたように聞こえる。だから全員が振り返って彼を見た。


「えっ」


 その驚きは声が小さかったにも関わらず、衝撃は大きいとその凍り付いた表情から見て取れた。

 彼はそのままスマホを持つ手を下ろした────呆然と。


「室長?」


 心配気に声をかけると、弾かれたように顔を向ける。


「あー、いや、」


 何か言わなければと、中途半端な切り出し。

 珍しい、おそらく同僚は一度も見たことのない狼狽。

 しかし榎戸は小さく頷くと頭を切り替え、言った。


「聞いてくれ。寺井の件はストップだ。今得た情報によれば、同じネタが別の記者で今日発表されることが分かった。それから別に二誌予定されている」

「────」

「完全に失敗だ」


 沈黙が支配した。


「後手に回ることになるがこれ以上悪手は打てない。切り替えていこう」

「情報の出所は? 信憑性は高いのですか?」


 真下には、にわかに信じられない。ウグイスよりも情報が早いなんて。

 しかも三誌? どうやって調べたのか。


「確度は高い。そこは心配無用だ」

「誰からの情報なんですか?」

「それは答えられない。しかし今は夏休み中だ。社会人はともかく学生には時間がきく。久我滝夜くんの予定は?」


 質問はかわされた。真下は不満だったが、確かに今はそれどころではない。


『平日はほぼ毎日部活があります。旅行にも、家族で』

「うん、危険人物の予想は?」

『参加者から5人、ネットでの該当が6人いますが、それ以外の情報はありません』

「だろうな。ネットを利用しない者もいる。現段階で可能な手段は、さっきまで話していた内容以外にないか」

「考えます」


 ネットでの書き込みを監視、警告、GPSで要注意人物の監視、対象の護衛、保護者や先生への注意勧告、強力要請など。参加者にはウグイスから、言葉掛けによる気分転換を既にはかっている。


「場合によっては警察とも連係する。俺は今から出版社へ電話する」

「注意だけではなく、罰則を付帯するべきだったのでは?」

『それは議論済みだろう。実際、事件が起きれば法的措置を取るんだ。それが罰則になるって』

「事件が起きてからじゃ遅いって言ってんだよ。未然に防がなきゃ」

『やるやつはやる。そういうやつは早めに暴発しないと蓄積する。タッキーは水際で食い止めれば何とかなる』

「その為の有段者だもんなぁ」


 楽観論が場を支配し始めた。それは榎戸の意図ではない。


「未遂でもトラウマになる。それは明らかな傷だ。事件は起こせない。無責任なことを言うな」

「……、済みません」

「真下、対象者のリストアップ、追跡に当たれ、久保と連係しろ。現場は浜屋が引き継ぐ」

「了解」

「了解じゃ」

「────分かりました」

「それから、久我滝夜くんだけとは限らない。視野を狭めるな」


 真下は歯を噛み締めて、腹を括った。


「とりあえず差し止めを通告します。連絡先は分かりますか?」

「あー」


 しまったな、という顔をした。


「どこかは分からん」

「は?」

「察しろ」

「……」


 この日本に、どこかは分からないけど記事が三件出ることを知ることができて、なおかつ榎戸に電話してくるような人間、そんなの一人しかいない。

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