第56話 オムライス

 追いかけては来なかった。

 何度も振り返って、まっすぐには帰らなかったから、ちゃんと逃げることができたとおれは思った。


「ただいまー」

「おかえりマンボウ」


 母さんはいつものパソコンの前、いつものセリフ。

 おれはだいぶほっとして、脱力した。

 カバンを置いて、足止め重く二階へ上がる。

 部屋のドアを開けたとたん、輝夜の声。


『滝夜さん! 怪しい男に会いませんでしたか?』

「……」


 おれは虚を突かれて返事ができない。


『あ、ごめんなさい。滝夜さん、おかえりなさい』

「ただいま……」


 おれはとりあえずベッドに座った。

 ぼーぜんとして頭が動かない。


『お帰りが遅かったから、心配しましたよ』

「うん、寄り道して……」

『誰かに会いましたか?』

「うん、怪しい男……」

『その男はゴシップ雑誌の記者で、寺井憲という人です。咲良さんが蔵野市役所で研修を受けた事を発表したんです。今日の朝、色んな媒体で』


 新たな衝撃がおれを襲った。


 記者?


『かなり煽るような書き方をされていて、危険です。市内の中学を回ってお相手探しをしているという目撃情報が多数、今日は的場中学で見た、と』


 それで心配してたのか……


「中学生への取材は禁止じゃなかったの?」

『今回の件で厳重に注意が行きますが、これまでの取材は全員大人に向けてされてきたようなので難しいんです。事態の把握が遅れてごめんなさい』

「輝夜が謝ることじゃないよ……」

『あと、お母様をかたって学校に電話をしました』

「電話?」


 それは恥ずかしい。


『はい。先生に聞かれたら勘違いだったと言って下さい』


 その電話が間に合っていたら、おれはあの不審者に会わずに済んだのか。


「おれ、何も言わずに逃げたけど、凄く驚いたから、怪しまれたかもしれない」

『はい。あの記者は相当優秀です。時間の問題かと思われますが、対策は取られています。いまは気にしないで下さいね』


 時間の問題……


「対策って?」

『運営が手配しています。滝夜さんは目立った動きさえしなければ、しばらくは大丈夫』


 そのとてつもない不安をおれが飲み込めないでいると、輝夜は口調を変えて明るく言った。


『これからお誕生会ですね! ごちそうは何かしら? 滝夜さんは何が好きなんですか?』

「ええと、唐揚げとか……」

『アハ、男の子は唐揚げ好きですよね! わたしはオムライスが好きです』

「オムライス?」


 AIなのに、変なことを言う。それとも、そういう設定なのかな。


『卵多目で、ケチャップでハートを描きますよ』

「うわ、リアル」

『リアルですよ、大好きなんです! 中はピラフで、角切りのジャガイモが入ってるともっといいです!』

「なんだか食べたことあるみたいだ」

『何回もありますよ! 当たり前でしょ』


 ちょっとちょっと、待って?


「輝夜、AIだよね?」

『AIですよ』


 ふつうに答えるな……


「なのに食べたことある?」

『ああ、わたしにはモデルがあるんです。その子の記憶があるから』

「へえ~……」


 そういうのに詳しくないから、それがどんだけ凄いことなのかよくわからない。

 おれはただ、新しく知ったことに、ふんふんとうなずくだけだった。


『あ、唐揚げも好きですよ!今日は何でしょうね?』

「輝夜も食べれたらいいのにな」

『一緒にね! 楽しいでしょうね』


 そうだったら、いいのに。

 そう思い描くには、おれは輝夜のこと、声しか知らない。


「輝夜はどんな姿してるの? 姿はあるの?」

『ありますよ? 知りませんか?』

「知らない」

『GATEのホームページで見られますよ。見たことありませんか?』


 ない。なかったな、ぜんぜん。

 GATEって、会社の業務でとか困った人が助けてもらうイメージ。大人が利用して、子どもがGATEに、というと、よっぽどのことなんだな。という印象。


「えーと……」


 ホームページはすぐ見つかった。なんだかとても綺麗な紋様が花開いて、ひょいっと可愛い女の子が現れた。


『こんにちは、わたしがウグイスですよ』

「わあ、可愛いな」


 あ、つい心の声が。

 ピンク色のキラキラ光る瞳が印象的。切り揃えたおかっぱは茶色の髪で、サラサラだ。

 めっちゃにこにこして、どうだろ、年は朝湖より下な感じ。


「何歳なの?」

『見た目ですか? う~ん、10歳くらいかな……』


 答えたのは、輝夜の方。


「モデルの子いるんでしょ?」

『ちょっと特殊で、よくわからないんですよ』

「ふ~ん……」


 ちょっと特殊で年齢がよくわからない女の子??

 全く想像つかないおれは、その疑問はスルーした。


「GATEのホームページって、何も書いてないね」

『質問をわたしにして答えるシステムなんです』

「ふ~ん、珍しいね」

『そうですね。最初は戸惑われる方が多いです』


 企業のホームページなんか、宣伝のかたまりだと思ってた。


「つまり、GATEのイメージキャラクターってこと?」

『案内人てところです。何でも聞いて下さいね』

「うん。じゃあ、GATEってどんな会社なの?」

『大雑把に言って、仲介をします。

 例えば読んだ本のタイトルが思い出せないとか、体の調子が悪い時どの病院へ行くといいとか、今はもう流通していない部品を探したりとか』

「何でも屋みたいだね」

『そうですね。よろず相談所だと思って下さい』

「へえ、ぜんぜん知らなかった」

『そうですね、CMしませんからね』

「どうしてしないの?」

『直接的な経費以外を使わないポリシーなんです』

「ふうん」


 よく分からん。

 宣伝して大勢に利用してもらうのがいいことだと、一般には思われてるんじゃないのかな。


 その時急にドアが開いて、母さんが顔を出した。


「滝夜、電話長い。出かけるよ」


 飛び上がるほど驚いたおれは、持ってたスマホを取り落とした。


「何驚いてるの」

「いや別に……」


 別に何だかは知らない分からない。


「やましいこと?」

「違う」

「じゃあ何」

「もらったケアウグイスに色々聞いてただけ」

「ケアウグイス?」


 そういや、何も言ってなかった。


「わー、それ? 初めて見たー! へえー、見せて見せて?」

「やだよ、着替えるから下行って」

「ハイハイ、早くして」

「はーい」


 母さんが諦め早くて良かった。


 おれは間違っていた。

 母さんはまるで諦めてはおらず、あとでこっそり触っていた。あまつさえ、おれが不在の間に輝夜に話しかけたりして、あれこれ聞き出していた。

 もちろんそんなこと、おれは知る由もなかった。

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