習作200116E 〈冒険者〉

 手負いの獣は、危険だと言われる。

 なぜならば、手負いの獣は、危険を避ける分別を必要としなくなるからである。

 分別が無くなった獣は、危険を省みない思い切った動きができるようになる。


 では、元から分別を備えない魔物が傷を負えば、どうなるだろうか。


 〈公証人〉がいま見ている光景が、まさにその答えだった。


 熟練の狩人、特定危険生物駆除免許を持つ〈冒険者〉、サーベル使いの英雄が振るうサーベルによって無敵のうろこを貫かれた魔物は、荒れ狂っていた。

 生き延びるためには、彼女を傷つけたサーベルから逃げだすことが正解であっただろう。

 しかし、分別のない魔物の小さな頭の中を満たしていたのは、生き延びることではなく、脳みその大きさに応じてちっぽけな誇りを傷つけたヒトへの復讐ふくしゅうだった。


 魔物は、〈冒険者〉のブーツに絡みつき、ブーツの上からその脚を締め上げた。

 脚を締め上げれば、うろこの下の肉を斬ったいまいましいサーベルの前に身をさらすことになるが、魔物は、もはや気にしていなかった。

 この脚を締め上げ、肉をひねり、骨を砕いてやれば、いまも鎌首の上で暴れまわる痛みが紛れると思ったのだ。


 実際、距離を詰めてその脚を締め上げることは、サーベルを構えた相手と戦う場合において賢明な判断でもあった。

 サーベルは、一歩か二歩の距離を開けて相対した相手を斬るための武器であって、脚に絡みつく魔物に振るう武器ではない。魔物がいる場所は、斬り捨てるにはあまりに近い場所であった。

 また、サーベルは、腕の力だけで振るう武器ではない。

 サーベルを正しく振って必殺の威力を繰り出すためには、脚、腰、背中、肩、腕、手、そしてその先にあるサーベルまでを一体の武器として振るわなければならない。

 たとえ正しく振られなくても、鋭い刃物でもあるサーベルは、ヒト相手であれば血を流すことができただろう。しかし、魔物は、ヒトではなく、刃物を通さないうろこを持つ怪物である。


 したがって、サーベルは、魔物の脅威きょういでなくなっていた。


 〈冒険者〉と自分が絶体絶命の危機にあると、〈公証人〉は、確信した。

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