第3章19話 パンドラの火薬箱

 今日は食材の買い出しの日。


「というわけで、今はご近所の村への道中です!」


 視線を虚空へ向けて、謎の状況説明。


「……どういうわけです?」


「『というわけで』に『どういうわけで?』と返すとは。さてはピトス、俺と感性が似てるな……?」


「謎のシンパシー感じないでくださいよ……」


 話題がなくなったので謎テンションが出てきた。ピトスがげんなりしてる。なんでだろ。ワタシキオクアリマセーン。


 ……修正修正。



「ピトス、『ピトス』って知ってる?」


「話題がないからって人の名前で遊ぶのは良くないと思います」


 立て続けの妄言に流石のピトスもジト目を隠さない。


「いや、今度は冗談じゃなくて。パンドラの箱って神話があるんだけど、それに登場する『箱』がピトスpithosっていうから。なかなかある名前じゃないよなって思って」


 そもそもがかなりマイナーな名詞。偶然の一致だろうと、なんとはなしに振った話題だ。それなのに、ピトスは真剣な様子で考え込む。


「……そのお話、詳しく聞かせてもらえますか」


「あ、ああ、いいけど」



 どこか切羽詰まったようなピトスの声に気圧されながらも、俺の知るパンドラの箱の逸話を語り始める。


「——むかしむかし、それはもう大昔のお話です。


 神はこの世界に、1人の女性を向かわせました。


 彼女の名前はパンドラといいます。


 神から受け取ったつぼを抱えて、パンドラは人間の世界にやってきます。


 彼女はとてもうつくしい女性で、人間の男のひとと結婚することになりました。



 しかしある日、パンドラは好奇心に敗れて、「絶対に開けてはならない」という神の言いつけをやぶって壺のふたを開けてしまいます。


 すると、壺の中からは悲しみや病気、死や裏切り、ありとあらゆる災いが飛び出してきました。


 あせったパンドラが蓋を閉めると、壺の中には希望が残ったといいます。


 こうして人間の手元には希望が残ったのです。   」


 これが、パンドラの箱にまつわる話の顛末てんまつ

 壺の中に残った希望の解釈あたりは、逆に「希望が閉じ込められたため、人間は苦しみが増した」などさまざまに解釈の余地があって、結構好きな物語だったりする。



 語り終えた余韻に浸りながらチラ、と隣を見る。

 ピトスが小さく息を吸う。


「そう、なんですか。……知らなかったです」


 視線を下に向けたピトスの表情は、俺には読めない。しかしその声はなにかを取り繕うようで、流石に何かしらの事情があるのだろう、という程度には感じとってしまう。

 そうやって、なまじ察してしまうからこそ、声をかけにくい。



 本当に、俺はどこまでも中途半端だ。何事にも振り切れなくて、簡単に流される。言うべきことも言えなくて、我を通すことも出来はしない。


 慰めの言葉が浮かんでは、無責任だ踏み込みすぎだと消えていく。


 ——俺はそんな自分が大嫌いだ。


 そんな自責も、宙に薄れて。

 今はまだ、なにも。

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