幕間-7 月下、金盞花の舞

 午後6時28分。入り組んだ路地の奥、約束の場所には、誰もいない。

 或いは2分後、時間丁度に誰かが現れるのかもしれない。

 だがそうでは無いと、直感が告げている。


 あと1分。きっと誰も現れない。

 ある考えが浮かんだ。思いつきたくもなかった、最悪の仮説。

 ひとつひとつ、状況を整理していく。


 潮崎のスマホのロック画面を睨みつける。秒数は表示されない。


 ——6時、30分を回った。路地裏の沈黙が、最悪の仮説を証明していた。




 .                 ❇︎                 .




 全てを投げ出す気にはなれなくて。何かすべきことがなければおかしくなってしまいそうで。

 夜桜潤は動かない体に鞭を打つ。



 後で返しに戻ることを誓って自転車を盗んだ。

 いつのまにか太陽の沈んだ空をちらりと見上げて、ただただペダルを漕ぐ。

 正直、体力はすでに限界だ。20分以上もの間全力で、それも短距離走レベルに後先考えずに走っていたのだ。本当なら足腰が震えて立ち上がるのさえ一苦労するところだ。

 今、速いとは言えないまでも自転車を漕げているのはひとえに鍛冶場の馬鹿力というものだろう。脚はズキズキと痛むし、脇腹も痛い。


 彼は先程と同じ道を引き返して、元いた場所へと向かっている。俺が最初に目を覚ました場所。あの湾曲した壁の上は自然豊かな公園になっていた。見上げれば小高い丘が目に入ったのを覚えている。

 犯人は、きっとそこに居る。




 .                 ❇︎                 .




 コピー用紙に印刷された周辺地図を頼りにしながら公園に入った。丘を登る階段を前に自転車を降りる。


 そう高くない丘の上から、何やら剣呑な足音が聞こえてくる。聞こえてくる足音は一人分のそれだが、大立ち回りを演じているかのような忙しなさを孕んでいる。

 焦燥のままに階段を駆け上がると、ごくたまに剣戟けんげきの音が耳に入る。さらに速度を上げて、ようやく頂上に辿り着いた。



 ——それは、あまりにも美しいだった。


 夜の公園で、絶え間なく位置を入れ替えながら対峙する二つの人影。

 片や短剣、片や両刃の剣を手に取ったその姿は、現代日本の公園にはあまりにそぐわない。


 舞の踊り手は潮崎しおざき。足音さえ鳴らさないしなやかな動きで刃をかわす。


 足音の主は俺より幾つか年上の青年。一目見て達人とわかる剣さばきも、潮崎を前に最初から丶丶丶丶に終わる。

 剣を振る前から空振り。潮崎の回避は、青年が剣を振り始めるよりも先に為される。見切りなんてものじゃない。完璧な予測に基づいた完璧な回避。戦闘の中で全ての動作がなめらかに繋がっていく様はある種神秘的にさえ感じられる。


 ——その剣戟に見惚れていた俺は気づかない。

 青年の剣は、いくらなんでも狙いを外し過ぎている。まるで見えない何かを斬っているかの様に。



 潮崎が俺に目を向けた。

 その刹那、青年が転倒する。剣を取り落とした青年の体には、透明の細い糸が絡み付いている。

 攻撃を回避しながら潮崎は、青年を糸で縛っていたのだ。下手をすれば自分に巻きつきかねない糸を、絶えず動き回りながら操る。その技量がどれ程のものなのか、見当もつかない。




 青年を振り返りもせず、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「さて、君の推理を聞かせてもらおうか、後輩くん丶丶丶丶

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る