第15話 少し怖いですが、ありえる話
聖書などの言葉にある。
『求めよさらば与えられん』
まぁ、これは神に祈り求めなさい。 そうすれば神は正しい信仰を与えてくださるだろうという意味らしいです。
それはいい。
人の無意識における願望。
結構叶っているのだと思います。
ただ、それの形が違っているので実感できない人が多いと思います。
人はどこかで願うのです。
そして、それが実現する。
誰かの言葉を私も覚えています。
人の脳で思い描いたことは、かならず実現すると。
時間が多く必要な時もあるけど、すぐに実現する時もある。
人は想像する動物。
想像は創造。
これは私の言葉です。
かつて、馬車のない時代。
座って移動できるものができないかと考えた人がいたはずです。
当時は笑われたでしょうな。
でも馬車が出来た。
そのうち、馬などでなく別な座って移動するものができるだろうと考えた人がいた。
汽車、車ができた。
空を飛びたい。
飛行機ができた。
そうやって頭で想像できるということは、必ずどこかで実現可能なものなのだと思います。
タイムマシンもできるでしょうね。
それがいつできるかはわからない。
人ってそういう生き物だと思います。
そして怖いのは、その望みを叶える結果として手段を選ばない。
無意識は望みを叶えるが、善悪はないというところです。
これはリアルな話ですが、とある話です。
誰だったか。
とてもかわいい娘さんが生まれました。
その人は本当に大事に大事に育てていました。
無償で愛情を注ぎ、本気で娘を可愛がって育てていました。
甘やかすのではなく立派な人間に育てていたと思います。
育てていて常に考えていた。
こんなにかわいい娘を失いたくないと。
常々思って育てていました。
ある日、その心配事がなくなったのです。
娘を心配する必要がなくなった。
何故か。
娘さんが事故で亡くなったからです。
何と残酷なことか。
あれだけ可愛がっていたのに・・・。
ここで考えられることがある。
無意識は、その人の望みを叶えたのだと。
・・・
心配事を無くしてくれたのです。
娘のことを毎日心配していた不安を取り除いてくれたのです。
無意識・・神と呼べる存在かもしれませんが、それが望みを叶えたのです。
怖すぎませんか?
どうしてそういう形で実現するのだろうかと。
ですが、結果からしてみれば、望みが叶ったということになる。
娘さんを失うことが心配だったのに、その根本の心配を取り除いてしまった。
まぁ、こじつけかもしれませんが、案外示唆に富んだ内容だなと思って、私の記憶にありました。
とはいえ、人は望むことを止められない。
どんな形になってその望みが叶うかわからない。
仕事が嫌だ嫌だと思っていると、会社がなくなるかもしれない。
自分が病気になるかもしれない。
クビになるかもしれない。
どういう形になるかわからないけど、そうやってみんなの望みが絡み合ってそれぞれの望みが現実になっている・・なんて考えると、世界も怖いですな。
信じるか信じないかは、読者次第です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます