伝えたい -3
それからもうずっとずっと。
体中を自分の罪に沈めながら、戒めの鎖の冷たさに身を凍らせながら。だけどすべてのことを、すべての人を自分の世界から遠ざけて、何も考えずに眠っていればいつか何もかもが終わる時が来ると思っていたのに。
ある日、突然に眠りを揺るがす声がした。
まるでお父さんが島に初めてやって来た時のように、突然に。
その声は初めて聞くのに、どこかお父さんのような懐かしい響きがして。
すぐに声は止むのだと思った。その声と気配はひどく私を惑わすから。だけど声も気配も、一向にレイラ島から遠ざかる様子がない。
寄せては返す波のように、怒っているような、悲しんでるような、まぜこぜになった感情が私をかき乱し続ける。時折、昔から傍にあったような声と気配も混ざるから、余計に乱れた。
ずっと感じられなかった光を、朝日を顔に浴びた気がした。伏せた瞼を透かして、眩しくてたまらない。
誰かが私を起こそうとしていた。
目を覚まさせようと必死になっているのがわかって、私は拒絶する。
目が覚めても、きっと悪い子の傍には誰もいてくれないだろうから。
「痛っ!」
声を上げて、エルダが身をすくめた。駆け寄ろうとしたオリバーも、突如頭を殴られたような痛みに襲われる。頭を抱えて、なんとかその場に立っていた。
「どうしたの、オリバー」
「エルダ王女!」
アデイルとフランチェスカが、子どもたちの様子に顔を青くした。
誰にも触れていないのに、エルダの両腕が呪いに縛り上げられていた。オリバーの額の文字が、じわじわと顔を覆う範囲を広げていく。
「っ!」
アデイルが膝を折った。足首を掴みながら唸る。
「これは、呪いが強まってる……?」
アデイルは何とか息を整えて言った。
「エイミー……」
名を呼ぶ声は、オリバーとエルダで重なった。
額に汗を浮かべたまま二人は顔を見合わせ、頷いた。
「エルダ王女、オリバー!」
呼びかけるレナードの声を背に、二人は走り出した。歯を食いしばって階段を昇り、二階にある部屋に飛び込む。
「エイミー!」
眠り続ける、椅子の上の少女。
体に纏わりつく呪いの文字は、細い体をへし折りそうなほどにきつくエイミーを締め上げていた。
「う……」
エルダがうめき声を漏らす。ぎゅうぎゅうに巻き付いた文字の鎖がエルダの肌を傷つけ、血が流れた。オリバーも朦朧とする意識と戦いながら、こみあげてくる吐き気をこらえる。
「エイミー」
喉元までせり上がってくる塊を飲み込んで、オリバーは声を絞り出した。
近くて遠い、目の前の女の子に届くように。
「俺はお父さんが帰ってこなかったことで、エイミーを責めたんだね。本当は、きみのせいなんかじゃないのに」
過去のことは、人に話してもらったことだけが全てだ。自分の記憶から掘り起こしたものではない。
「だから、俺は君に謝らなきゃならないんだと思う」
父を失った悲しみもエイミーを恨んだ激情も、遠い過去に置いてきてしまった。忘れているからこそ、冷静にエイミーの間違いではないと判断できるのかもしれない。
「だけど。なんにも覚えてないのに謝ることが、良いことかはわからない」
自分の心に残っていない過ちについて謝罪して、心から謝ったと言えるのだろうか。
「エイミーがそうやって自分の体を縛っているのは、自分のしたことを悪いと思っているから?」
罪悪が彼女をさいなんでいる間、自分は何も知らずに生きていて。
「だったら俺にも、自分の言ったことの反省をさせて。償わせて。そのために」
震える喉で、訴える。
「俺の記憶を返して」
何も知らずに、レイラ島から去って行くだけの幼い自分では、もうないから。
床の上に、ぽつりと赤い染みが落ちる。エルダが一歩踏み出して、手首から血が滴った。
「オリバーは悪くない。エイミー、あなたも悪くない。そう思うけれど、思ったところで苦しくないわけじゃないでしょう。私だって、ずっとつらかった、苦しかった」
ずっと心の中で憎んでいたであろう姉を、エルダは真っすぐ見つめた。
「エイミーに痛みを全部ぶつけられたらって思った。殺してしまうかもしれないって、考えた。この気持ち、あなたにわかる?」
唇を震わせながら。吐き出すようにエルダは言葉を重ねる。
「だけど私だって、あなたの言いたいことなんてわからない。だってエイミー、文字で縛ってくるだけなんだもの」
今にもエルダの両腕を折りそうな文字の鎖。
それはきっと、エイミーが言葉に出来なかった想い。
「だから話して。言いたいことを、少しずつでもいいから。私に、オリバーに。アデイルさんや、ライエにも。お父様にも聞かせましょう、難しくても、私も一緒にあなたの想いを伝えるから」
どこまでもひたむきに、懸命に、エルダは言葉を紡ぐ。
「エイミー、あなたは一人きりだと思っているでしょう。私だってずっとそうだった。お父様やお母様から遠ざけられて、誰にも抱きしめてもらえなくて。だけど違った。私はいつだって一人じゃなかった」
触れられなくても、エルダに愛情を注いでくれた人がいた。
一緒に戦ってくれた人がいた。
「ねえだから、エイミーも目を覚ましてよ。あなたを想う人がいるってことに、気づくはずだから」
呪いを解いて足枷が外れても、アデイルはエイミーから離れて行かないだろう。記憶を取り戻したオリバーは、きっとエイミーと向き合っていくだろう。そのことに気付いてほしくて、目覚めを呼びかける。
「それにね、エイミー。私、呪いが解けたら」
エルダは縛られた両腕を、ゆっくりと持ち上げた。
それだけが愛情を伝える手段ではないと知った。今だって形にならない想いを伝えたくて、エルダはこんなにも言葉を尽くしている。
だけど、やっぱり。
「あなたを抱きしめたい」
瞬間。オリバーの額の、エルダの腕の、刻まれた呪いの文字が白く光った。
それは光のかけらとなって、あたりに砕け散る。
エルダはエイミーに駆け寄った。
細い両腕を大きく広げて、エイミーの首元に抱き着く。長い間人肌から遠ざけられていたエルダは、抱擁の仕方など覚えていないのだろう。まるで体当たりするように抱き着いて、エイミーが椅子ごとひっくり返りそうになるが。
エイミーの体が、白く輝いた。
彼女を戒めていた呪いが、今、光となって消える。
エイミーは自由になった両手で、エルダを抱き返した。
「エルダ」
生まれて初めて、妹の名を呼んで。
エイミーは目を覚ました。
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