魔女たちの過去 -2

 レイラ島での暮らしは穏やかで、そして退屈だった。

 数少ない島民同士の関係は良好で、全員が家族のようだからという、どこか無遠慮で、だけど心強い結びつき。

 ライエは幼いうちに両親を亡くしたけれど島の人たちは放っておかなかったし、何よりも魔女であったから、その繋がりの中で育つことになった。と言っても、当時すでに島に棲む魔法使いはトーラスと、あとライエとその姉だけで、家族構成としては色々と足りていなかった気がする。けれどトーラスはライエより十近く年上だったからずいぶんと面倒を見てもらったし、姉妹二人で生きるよりはずっと安定した日々だっただろう。

 

 ライエは姉に頼ったことなど、一度たりとてない。

 いや、頼ってみようとしたことはある。けれど頼ったところでライエと一緒に困惑するか、ただ適当にその場をやり過ごそうかとするかで全く助けにならなかった。

 姉のイリスは、いつもここではないどこかに思いを馳せているような人だった。

 現実が見えていないというか、何も考えずとも生きていけると思っているような。何か特別に、現実から目を背けたくなるようなつらい目にあったとかではない。両親がいないことはライエだって一緒だったし、自分たちは孤児というにはあまりに明るく、恵まれていたのだ。だからただ生まれ持った性格だったのだ、というのが一番しっくりくる気もするし、あまりに乱暴な決めつけだという思いもある。なんにせよ、いつもにこにこ夢だけ見ているような、役立たずの姉。ライエの方がよっぽど年上のようにしっかりと、強く振舞っていたのだった。


「ライエ、どこかへ行くの?」

「ヴェルレステ本島に。島ん中にいるばっかりじゃ、つまんないからね」

 年頃になると、ライエは度々レイラ島の外へと出かけた。小さな島では得られるもの、見られるもの学べるものに限りがあった。見識を広げるためには、どんどん外へと出て行かなければ。

「王都へ行くのね。素敵、王城が美しいのでしょう」

「見たいんだったら、イリスも行けばいいじゃないか」

「海へ出て行くのは怖いわ」

 幼い子供のようなことを口にする姉に、心底辟易とした。

 ずっと島の中に閉じこもったままでは、イリスのように何も見ようとしない人間になってしまう。

「何か綺麗な品や珍しい食べ物でもあったら、お土産に欲しいわ。あ、あと王城がどんなだったか、教えてね。もし王様や王太子様をお見掛けするようなことがあったら、どんな方たちだったかも知りたいな」

「ばっかじゃないの。そんなに欲しいものがあるんだったら、自分で何とかするんだね」

 

 悪気もなく、愛らしい顔でおねだりをする姉だった。同じ親から生まれたとは思えないくらい、顔つきも纏う雰囲気も違う姉妹。多分父方似か、母方似かの違いだけなのだろうけれど、気の強さが顔に出ていると言われるライエと、庇護欲を掻き立てられる可愛らしさがあるイリスと。よく似ているのは、夜の闇のように黒い髪の色だけ。

 庇護もなにも、世間知らずも良いところだった。王都に行ったからと言って、王族がその辺を出歩いていてたまるものか。


 苛立ちながら船の支度をしていたら、足元に置いていた荷物を踏んづけそうになった。慌てて避けようとしてたたらを踏んだ足が、桟橋から落ちそうになる。

「わ……」

「おっと」

 腕を引かれて、体を陸に引き留められた。

「アデイル」

 ライエの体は、自分よりもやや背丈の低いアデイルに支えられていた。

「ああ、ありがとう」

「どこまで行くの?」

「本島まで。ペルラまで行って客船をつかまえる」

「あ、じゃあペルラまで一緒に良い?私が漕ぐから」

 アデイルは、島内ではほぼつけっぱなしにしている前掛けを外していた。小さな包みを抱えていて、ちょうど出かけるつもりだったらしい。

「いいよ、漕ぎ手は半々ね。緑島で交代」

 二人、手早く船に乗り込む。アデイルとのやり取りは姉と違い、まだるっこしいものがないから楽だ。ライエの操舵で船はすんなりと岸を離れ、安定して海を進んだ。


「ほんっとうに、いらいらするったらありゃしない。あんなのが姉だと思うと」

「のんびりしているからね、イリスは」

「のんびりだとか、そんなもんじゃないよ、あれは」

「まあ、火の扱いくらいはまともに覚えてほしいけどね」

 あんなに立派な焜炉があるんだから、とアデイルは苦笑する。

「アデイルの家にあるの、古い竈だもんね。あれでよく絶妙な焼き加減の料理仕上げるもんだわ」

 昔から、アデイルの手料理はよくご馳走になった。彼女は魔女ではないが、ライエ達と歳が近いこともあってよく気にかけてくれた。特に女同士の繊細な話となれば、トーラスよりもよほど頼りがいのある相談相手である。

「また泊りにでもいらっしゃいよ、イリスも一緒に。ご馳走してあげるから」

「一人で行くよ。イリスがいたんじゃ、邪魔だもの」

「あら、私ライエに独り占めにされちゃうのかしら」

 冗談っぽく言うアデイルに、ライエもわざとらしく返す。

「そうだよ。アデイルは私だけのお姉さまなんだもの」

 それは冗談ではあったけれど、どこかで望んでいたこと。

「あんまりイリスに冷たくしないであげてね。不満があるなら聞くし、困っているなら私も助けるから」

 実の姉であるイリスよりも、アデイルの方がずっとずっと頼りがいのある姉だ。

「ま、見捨てはしないよ」


 緑に茂る小さな島が見えて、そこでアデイルへと漕ぎ手を交代する。正式な名すらついていない無人の島は、レイラ島からペルラ島間のちょうど半分あたりにある目印だった。

「ああそうだ、ヴェルレステで何か買ってきてほしいものとかある?」

 イリスに土産を見繕うつもりは起きなかったが、アデイルが望むものがあるのなら探すのも良いだろう。ライエの問いに、アデイルは考えることもせず答えた。

「必要なものは足りてるわ。私もペルラで買い物するし、そっちで十分揃うだろうし」

「服の流行だって、本島が一番早いよ。仕立て屋もたくさんあるし」

「そんな贅沢しないわよ」

 アデイルは地味な色合いの服をまとっている。けれど島内で日常的に着ているものと比べて、前身頃や首元のひだ飾りが華やかなのをライエは見抜いていた。


「化粧品でも揃えてきてあげようか。良い人に会いに行く時用に」

 アデイルは櫂を漕ぐ手を止める。

「ちょっと。流されてる、流されてる」

 ライエに言われて、アデイルはすぐに操舵を再開した。

「たまには綺麗な服くらい着たって、良いじゃない」

「ペルラの漁師だっけ。なあに、今日はアデイルから会いに行くの」

「いつも向こうからレイラに来てもらうんじゃ、悪いもの」

 アデイルがペルラ島に住む若者といい関係を築いていることは、とっくにライエの知るところだった。直接紹介されたり、話してもらったりしたわけではない。だけどライエとアデイルの信頼関係において隠し立ても何もなかったから、お互い遠慮も誤魔化しもなしに会話を続けた。

「結婚するの?」

「そうね」

 波と船を漕ぐ音は、騒々しいよりもむしろ二人の会話を際立たせるようだった。自然の紡ぐ音しか聞こえない海の上、二人だけのお喋り。


「アデイルもレイラを出て、ペルラに住むようになるのかね」

「でもマシューも、海に出てるかペルラの漁師番屋に寝泊まりするかのどちらか、みたいな生活してるらしいから。もし家庭を持ったとしても、自分のところに呼び寄せるよりも相手のところへ帰る、なんて言ってる」

「ああそう。幸せな野郎だね、帰る家を見つけたってわけか」

 微かに胸を焼く思いがある。それは生涯の伴侶を、自分より友の方が先に見つけたことにではないだろう。多分、帰る港を得た幸せな野郎に対して。

「ライエだって、どこへ行ったって自由だけれど。いつでも帰ってこればいいのよ」

 姉のような、母のような顔で、アデイルが微笑むから。

「そうするよ」

 妹のように、娘のように甘えて、ライエも笑う。

「お幸せに」

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