侯爵家に引き取れたのが私の運の尽きでした。

壱來らい

第1話 侯爵家で暮らすことになりました。


レイシア、15歳の冬。別れは突然訪れた。

最愛の母アルフレイアの急逝。


 美人薄命とはよく言ったものだと思う。


 絹糸のように細くて鮮やかなピンクブロンドの髪、透き通った肌に、優しいアクアグレーの瞳。目を伏せると美しさと儚さで幾人もの人が溜息をつくほどの美貌、誰もが振り返る美人。そしてその遺伝子を、レイシアはふんだんに受け継いでいた。


 アルフレイアは、レイシアにいつも話していた。父様のこと、兄様のこと。時折寂しそうな目でレイシアを見つけることもあった。


 息を引き取る直前の「自由に生きてくれればそれで充分よ」と残された言葉にレイシアはついに堪えきれず涙を流した。


 レイシアは、アルフレイアの冷たくなっていく体に強く抱き着いて涙が枯れるまで泣き続けた。


 ある寒い日のとても静かな朝だった。



 *** 



多くの人で賑わう都から少し外れた場所に、ポツンと建つ少し豪華な一軒家。


 離宮と呼ばれるこの家で、レイシアは生まれ、すくすくと育った。


「レイシア様、おはようございます。もう支度はお済みですか?」


 軽くノックをした後、扉からひょいと顔を出したのは5歳年上のメイド―セスだ。年が近く、姉妹のように育ったからか、レイシアととても仲が良い。


「おはようセス。今日の朝ごはん何?」


「カリカリベーコンの入りサラダとオニオンスープを用意してますよ。冷めないうちに食べてくださいね。」


「やった!急いでリビング行くね!」


 レイシアはぱぁっと顔を輝かせた。サラダもスープも大好物だ。


 支度を済ませてリビングへ行く途中。もう一人のメイド―ノーマがおろおろしているのを見つけてレイシアは「どうしたの?」と声をかけた。もう40を超えている大ベテランのメイド様がこんなにうろたえているのは珍しい。


「レイシア様、実は…侯爵様が突然いらしてまして…」


「…侯爵様って、”あの”…?」


「はい、”あの侯爵様”です。ご子息も一緒に…」


「それはまた…突然ね。今はどちらにいらっしゃるの?」


「客間にお通ししました。おそらく御用があるのはレイシアさまでしょうね…」


 どうされますか?と心配そうな顔でのぞき込んでくる。少し待って、の意味で左手を前に出す。



(母様が亡くなって1週間しか経っていないのに突然来るなんて…。)



 ”あの侯爵様”とは、このコルトレット領を治めているユリウス・コルトレット侯爵のことだ。そしてご子息はウルクス・コルトレット小侯爵。つまり時期コルトレット領主である。要するに、とんでもなくすごい方々だ。


 …最も、母であるアルフレイアの前夫と息子、レイシアの実の父と兄なのだからここに来る理由はしっかりとあるのだが。



(実は会ったことないんだよね…。顔すら見たことがない。母様写真なんて持ってなかったし。…どうしよう…。)



 とはいえ、わざわざここまで来てもらっているのに顔を出さないのはかなり失礼な話だ。しょうがない、腹を括ろう。



 ノーマにお茶を準備するよう頼んで、いざ客間へと足を運ぶ。

 こんなに寒い時期に、握りしめる手にじっとりと汗をかくなんて。隠しきれない緊張でボロを出さないか心配になりながら客間に向かった。




 ***




「お待たせしました。」



 客間のドアを開けて中に入る。



「やあレイシア。いい朝だね、よく眠れたかい?」



 低くて心地いい声が私に話しかける。考えなくてもすぐに分かった。ソファに座る2人が父様と兄様だ。座りなさいと促されて2人と反対側のソファに腰掛ける。もうどどど緊張だ。膝の上で握りしめている拳が震えている。



「初めまして。アルフレイアの娘、レイシアと申します」


「ユリウス・コルトレットだ。ずっと会いたかったよ、レイシア。」


「…はい。父様とお呼びしてもいいですか?」


「もちろんだ。できれば敬語もなしで。」



(いや無理。初対面で敬語外すとか無理。流石にそこまで図太くない。)



 肯定も否定も出来ずにニコリと笑う。しばらくは敬語抜けないな、と確信した。


 勝手な想像で怖い人だと思っていたからか、実際は優しすぎて少し毒気を抜かれたというか何というか、安心した。いや、むしろ笑顔で無理難題押し付けてくる辺り逆に怖いのかもしれない。



「ウルクスだ。君に会えるのを楽しみにしていた。兄として頼りないかもしれないが、よろしく」


「よろしくお願いします、兄様。お二人が優しそうな方で安心しました…」


 ほっとして息を吐く。ウルクスの蒼い瞳が濃い金色の髪に見え隠れしている。水面のような、穏やかで静かな力強さを感じた。

まだ少し緊張はするけど、肩の力は抜けてきた。



 ***



「いい香りの茶だな。何の葉を使っているんだ?」

 ゆっくりとティーカップを傾けながらウルクスが言う。


「レジデの葉を乾燥させて煎ったお茶です。仄かな甘みが特徴ですごく美味しいんですよ」


 流石私のお気に入りNO.1の紅茶。小侯爵様を唸らせるとは恐れ入った。



 穏やかな空気が流れている。

 もしかしたら、今がチャンスかもしれないと思ったレイシアは身を乗り出して口を開いた。



「あの、ひとつお聞きしてもいいですか?」


「なんだい?」


「その、…どうして今までお会い出来なかったのか、どうしても気になってしまって」


「…そうだろうな」



 ユリウスがバツが悪そうな顔をする。言いにくい事なんだろうか?幼い頃はきっと私と母様は捨てられたんだ~なんて妄想もしていたけど、やっぱりそういう…?ハッ!もしかして聞かない方が身のためだった!?


 勢いでぶつけた疑問だったが、焦りが出てきた。明らかにおろおろし始めたレイシアにユリウスが「違う、そんなんじゃないんだ」と慌てて言う。



「アルフレイアに来るなって言われていたんだ。君を自由に育てたいからって。彼女にはどうしても逆らえなくて…」


「なるほど…?」


(母様、意外と尻に敷くタイプだったのかしら…)

 意外とっていうか、全く想像出来ない。強かったのね母様。



「ここに来られない代わりに、君の写真を手紙と一緒に送ってくれていたんだ。きっと君が思っている以上に私たちは君のことを知っている。」


「……!?そうだったんですか!?母様は何も…!!」



 言っていなかった。けど思い当たることはあった。確かに事あるごとに写真は撮ってくれていたのだ。まさか父様に送られていたなんて全く知らなかったけど。

それに父様に私の写真は送るのに、どうして私には父様達の写真を見せてくれなかったのか。新たな疑問が生まれた。



「成長記録としてアルバムに残しているよ」


(あああああああああ!!恥ずかしい!!そんなの残さなくていいのに…!!)


 堪えきれずに両手で顔を覆い隠した。顔から火が出そうだ。

 耳まで真っ赤になっているレイシアを見てユリウスとウルクスは同時に微笑んだ。顔はそっくりでも笑い方はだいぶ違う。レイシアがそのことに気が付くのはもう少し後になる。




 ***




「そうだレイシア。君はこれからどうするつもりなんだい?」


「……?どうする、とは…?」

 聞かれた意味を上手く噛み砕けずに聞き返す。


「このままこの家で静かに暮らしていくつもりなのかな、と思ってね」


「はい、そのつもりです。静かに平凡に生きていければ十分なので。」


 にっこりと笑ってそう言った。ユリウスは少し驚いたような顔をして「それは残念だ」と言う。


 こうやってたまに二人が顔を見せに来てくれるのなら、本当にそれだけでいいと思っていた。


首を傾げて「うーん」と考える素振りを見せるユリウスだが、その口から予想のはるか斜めの言葉が飛び出した。




「レイシア、君は今日から私達の屋敷で暮らすことになっているんだよ」




 ………………んん?今なんて??




「1か月くらい前にアルフレイアから手紙が届いてね。何かあればレイシアをよろしくと頼まれていたんだ。大丈夫、最期の別れはちゃんと済ませたし、君を迎え入れる準備は整っている。安心して屋敷においで」


「そういう事だ。行こう、歓迎する」


「えっ?」



それもう決定事項なの?そういう事だ、じゃないです兄様。えっどういう事?私ここでのんびりライフを送るつもりだったんだけど!?ぽかんと間抜けな顔を晒した私に二人は微笑みかける。怖い。


 言うが早いか動くのが先か、ユリウスはすでにジャケットに袖を通しているし、ウルクスは私の手を引いてソファから立ち上がる。ウルクスが何かを思い出したのか、「あ、そうだ」とこちらを振り向いた。



「屋敷に戻ったら弟の紹介もするからな」


「弟もいるんですか!?」


「お前と同い年のな。急いでいたからこのことはまだ言っていないが、まぁ大丈夫だと思う。」



 いやいやいや。どう考えても拗れる予感しかしない。




 未だ混乱するレイシアを連れて、侯爵たちは意気揚々と馬車に乗り込んだ。

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