第39話 XXの日記
自然は平等であり無慈悲だ
人間は不公平であり情深い
ある偉大な作家が書いていた、順番が逆でも成り立つ
無慈悲だから自然は平等だ
ココロを持つから社会は不公平だ
人間の社会は不公平の塊だ、公平なものが何一つない
数百年前の作家が楽観的に未来について書いた、科学が進歩して、一日数時間働くだけで十分豊かに暮らせるようになるだろう。
現実はそのノーテンキな作家の予測よりもはるかに複雑だ。
極少数のヒトは何もしなくても王のように豊かに暮らし、50%のヒトは寝てる時間以外はほとんど働きっぱなし、寝て食べて働いて死ぬ。もう半分のヒトは働きたいけど働けなくて、貧困で飢えている。
ほとんどのヒトは誰かの役に立つために働きたいと言っているが、まったく同じヒトが働いてない人間を人間扱いせずに、最低限の衣食住を与えるのも渋る。
どれだけ科学が進歩しても、みんな少しだけ仕事をするだけで、みんなが豊かに暮らせる、ということにはならない。
それでは公平すぎるからだ。
ココロというのは公平を最も嫌う。
誰にでも優しく、それじゃまるでココロが無いみたいだ
自分と自分の好きな人間だけが、幸せになるべきで
他は不幸になるべきだ
幸福は相対的だ、自分より不幸な人間がいるということ
それが幸福だ、公平な社会はココロの無いセカイ
幸せの一番少ないセカイだ
だから社会の最大幸福を実現するには、なるべく多くの人間が自分よりも不幸な人間がいるという幸せを感じられる割合になる。
つまり現代の社会ということだ。半分は働きっぱなし、半分は死にそうに飢えている、そして0.01%の富豪が神の如く支配する。
それでももっと公平な社会を望む人間は現れる。
ワタシがまさにそうだった。本当に子供の頃ワタシは、お金持ちの人たちがバカでかい家に住んで、貧乏な人はボロボロの小さな家に住んでるのが納得出来なかった。今でも本当はやっぱり納得できない。たくさん働いた人が贅沢出来る、それはいい、でも働かない人や働けない人をわざわざ不幸にする必要がどこにある?なんで他人の不幸を望む?
ワタシと同じように感じて、そのまま行動した人はなぜ自分達が公平な社会を作ろうとすると憎まれるのか、意味がわからないと思うだろう、誰かを助けようとしてるのになぜここまで憎悪を向けられるのか?
その憎しみは、最大幸福から減った幸福の分だ。誰かを見下すことによって得られていた安心を埋めるように、公平な社会を望む者への憎悪が発生する
そしてたぶん、あまり遠くない未来、公平な社会を望む天才が生まれる。そのヒトは全てを理解した上で、どうするだろう?
他者の不幸を望む者を抹殺するためにセカイを燃やすだろうか?
あるいは人間の幸福を守るために何もしないで自殺するだろうか?
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