パーフェクトな外科医

朝倉亜空

第1話

「先生、どうかお願いします。わたしは、わたしはまだ死にたくないんです」

 ここは、とある小さな病院。末期の大腸癌を患った患者がW医師にすがりつく思いで言った。「先生はどんな怪我や病気でも治せる、パーフェクトなお医者様だと、世間では大変なお噂になっております。それを聞きつけ、やってまいりました。どうかどうか、お助け下さい」

「そんなパーフェクトだなんて、わたしは神ではありませんよ。しかし、お引き受けする以上、全力を尽くして対処させて頂きますよ。完全回復に向けて、一緒に頑張っていきましょう」

「あ、ありがとうございます、先生!」

 患者の男は、もうこれで、自分が元気に治癒することは決定したとばかりの喜んだ声で言った。

 確かに、今、この男の言ったとおり、この病院に入院した重病患者は、皆、元気になって、退院していった。W医師が、たった一人で切り盛りしているのだが、大したものだと、評判になっていた。末期の癌、骨肉腫、腎臓透析、白血病にエイズ、脳梗塞と生命に関わるありとあらゆる病気を完治させていくのである。まさに、現代の奇跡。ゴッド・ハンドであった。面白いのは、このW医師、外科医でありながら、寧ろ、内科的処方が必要であろうもの、上記で言うと、白血病やエイズ、脳梗塞なんかも全快させてしまうのである。これを奇跡と言わず、何と言おうか。

「それではMさん、診察に入る前に、まずは、少しカウンセリングからしていきましょう」

 W医師は、今回の癌による入院患者、M氏に言った。

「なあに、カウンセリングと言っても、単なる日常会話のようなものですよ。食べ物は何が好きか、好きな歌は何か、何に興味があるか、そういったことを、お互いに言い合うんです。そんなことが治療や手術に何の関係があるのか、と思われるかもしれませんが、実は、大有りなんです。これをすることによって、わたしはMさんという人を深く知るようになる。Mさんもまた、わたしという人間のことを親しく知り、それでお互い、いい意味でリラックスして施術に臨むことができるようになる。医者と患者というものは深く信頼しあわないと関係が成り立ちませんし、良い信頼関係が成立しなければ、良い治療も成立しません。わたしは常に患者さんとそのようにやってきました。その結果はどうです。わたしへの、世間からの評価になって表れていると思いますが」

「なるほど。よく分かります。さすがは名医だ。目の付け所が違う」M氏はW医師の説明に感心しきりだった。

「では、早速カウンセリングに入りましょうか」W医師はM氏を心療科室へ連れて行った。


「ハハハ、なんだ、あなたもそうでしたか」

「いやぁ、お恥ずかしい。でも、先生も私のことを笑えませんよ」

「いやごもっとも、ハハハ」

 W医師とM氏はすっかり打ち解けあい、朗らかに談笑していた。子供の頃のあだ名に学生時代の所属クラブ、女性の好みや現在楽しんでいる趣味、そして、つい今しがたは怖いものについて語り合っていたのだ。二人とも、お化けが怖いで一致していた。特にホラー映画を見た後は、お風呂で頭を洗うのが一苦労で、目を瞑ることが怖くて出来ず、シャワーの湯を目に入れながら洗髪せざるを得ない、というところまで同意見であったため、大笑いしていたのだった。

「まったく、大の大人がなんとも情けない。……さあ、今日はこれ位にして終わっておきましょうか」

「分かりました。わたしもパーフェクト・ドクターとはどんなに立派でお堅い人かと思っていましたが、怖いものや弱みが知れて、先生とて人間なんだって、何だかほっとしたような気分ですよ。先生に対する親しみも深まりました。また、語り合いましょう」

「そうしましょう」

 この日以降、二日目、三日目とおしゃべりカウンセリングは続いた。W医師の巧みな話術と聞き上手さによって、二人の会話の内容は本当に多岐にわたった。W医師への、ある種の堅さや一切の警戒もなく、ただ信頼しきり、心を開ききったM氏は、勤め先企業名や年収、細君の名前は普段、人前では呼び捨てにしているのだが、しかしながら、二人きりになると甘えるようにちゃん付けで呼んでいるなんてことまでW医師に打ち明けていた。いやまあ、それ程ふたりは深―く親密になったということである。


「それでさあ、Mさん、わたしらの信頼関係もだいぶ築き上げたと思うんだけどさ、どうだろ、明日あたり手術ってのは」

「おっといけない、そうだった。わたしゃまるで、先生と友達になりにここへ来たような気になってたけど、目的は癌の手術だったね。じゃあ先生、明日お願いしようかな。よろしくー」

「ん。OK、OK」

 もう、二人の口調からして変わっていた。カウンセリングの目的は、大いに達成され、M氏は不安や恐怖の微塵もなく、手術を受けることの決心ができた。ただ、W先生に一切を任せていればいいんだと、深い安ど感に包まれながら。

 そして翌日、ふたりは手術室にいた。手術台の上のM氏はとても穏やかな表情で眠っていた。

「では、始めるとするか」W医師はひとり、つぶやいた。

 腹部を切開し、癌を増殖させている部位を大腸から切除。

「ムムッ」

 癌は予想以上に広範囲だった。W医師は大胆にメスを動かす。

「ややや。余計なところまで切りすぎたか」

 手術がうまくいっていないことは、大量の出血がそれを物語っていた。吹き出す血をバキュームで吸い取る。

「吸っても吸っても吸い取れんぞ。えーい」

 切り開いたM氏の腹部が血の海状態になっている中、W医師は大腸のほとんどを切って捨て、手探りで無理やり縫合した。

「……Mさん……」

 M氏はぴくりとも動かない。血の気の引いた、否、血の気がまったく無い、蒼白い顔いろだが、安心しきった表情はそのままだ。

 W医師はおもむろに手術室から外に出て、ある人物に電話を掛けた。

「ああ、わたしだ。今すぐ来てくれないか」


「先生、本当にありがとうございます。あんなに弱っていた主人をこんなに元気にしていただき、まさに奇跡ですわ。何とお礼を申し上げればいいのやら」

 M氏の退院の日、迎えに来た細君がW医師に深々と頭を下げた。

「お礼なんてそんな。患者さんを直して差し上げるのが我々の務めですからな。それより、御主人の様子はいかがです。何か変わったところはありませんか」W医師は細君に訊いた。

「いいえ、何も御座いません。あえて言うなら、むしろ、前よりも元気になったように見えることでしょうか」

「ハハハ、それはよかった」

「じゃあ先生、長い間お世話になりました。これで失礼します」M氏もW医師にお礼を述べた。

「まあ、あなた、先生にじゃあ、なんて馴れ馴れしい」細君がM氏をたしなめた。

「いえいえ、馴れ馴れしくっていいんですよ。何せ我々は、お互いの秘密のあれやこれやを知り合っている、馴れ馴れしい間柄なんですから。ねえ、Mさん」

「そうそう」

「それでは何かあったら、また病院に来てください」

「そうします」

 M氏は細君と共に病院を立ち去って行った。立ち去る間際、W医師はM氏の耳元に小声で言った。「今は細君の名は呼び捨てでいいけど、二人っきりになったらちゃん付けで」

「分かってます」M氏も小声で返した。


 世の中には、どうしてもこの世界から姿を消したい、と願っている人が少なからずいる。

 事業を立ち上げ成功したものの、役員たちに乗っ取られ、世間からの嘲笑を浴びながら追い出された元創業者。

 愛する妻のために一生懸命に働いていたのに、専業主婦の妻は不倫相手とデート三昧、夫である自分のことはATM扱い。

 そんな、やりきれない目にあった者たちが、もう嫌だ、いっそこの世から消えてしまいたい、別の人間に生まれ変わり、違う人生を進んでいきたいといった切実な願いを持ちながらも何もできずに毎日を生きている。

 ある電話番号にダイヤルすれば、その願いは叶えられるらしい。誰が言い出したのか、いつしか、そんな連中の中でまことしやかな噂としてひとつの電話番号が広まっていった。そして、そのうちの幾人かの者たちは実際にダイヤルコールしてくるのであった。

 M氏の手術に大失敗した後、W医師が電話した相手は、その中の一人だった。件の電話番号とはW医師の個人番号だった。W医師は呼びつけたその男をM氏そっくりに整形していった。顔も声帯も身長、手足の長さも、M氏と比べて長い部分は切り取り、短い部分は人工骨を繋ぎ足し、誰がどう見てもM氏にしか見えないように作り替えた。この男にW医師は、カウンセリングで知り得た、M氏のあらゆる個人情報や癖を教え込ませた。カウンセリングをする真の目的は実はここにあった。いくら顔かたちはそっくりでも、言動が違えば、いずれはバレるものだ。

 これであの男も、忌まわしい自分の過去は捨て去り、M氏としての新しい人生を生きていくんだなあと、立ち去るM氏夫妻を見送りながら、W医師はそう思った。

 外科医としては三流以下の腕前しかないW医師だが、外科医は外科医でも、パーフェクトな整形外科医と呼ぶことには差し支えないであろう。







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