インパチェンス~女ホムンクルス育成記~

勝華レイ

本編


「うおおー!ついに成功したぞー!」


 俺の名前はリドルグ・ランチェスター。歴史に名を馳せる(予定の)偉大なる錬金術師である。


 しかし愚かにも錬金術界は俺様の才能を認められず、予算を打ち切り、最終的には俺の錬金術師としての資格を剥奪しおった。


 だがそんな冷遇にも耐え続け、人里離れた山奥で研究と実験を日夜休むことなく行い続けた。


 その果てなき繰り返しがついに実を結んだ結果が――


「あうあー」


 人体錬成。


 目の前で産声をあげた赤子こそが、世界中の錬金術師が1000年以上かけても成し遂げられなかった偉業であった。


 透明のカプセル越しに語りかける。


「よくぞ形を保ったまま産まれてくれたホムンクルスよ」

「うー」

「俺の声に対して反応を示した! 素晴らしいぞこんなの初めてだ!」


 あまりの喜びについ声が上ずってしまう。


 やはり俺様は天才だった。


 理論はいいから早く結果を出せとうるさかったクソジジイども。だったら論文の内容をひとつでも批判してみろってものだ。誰も理解できてないクセに地位が上だ年齢が上だとあれこれ理由つけて偉そうに言いおって。


 これで俺を馬鹿にし続けたアホどもが口だけのボンクラだと証明された。


「ホムンクルスよ。おまえに名を授けよう……ミリー。祝福を意味する。おまえの誕生は俺様の伝説の足がけとなるだろう。喜ぶがいい!」

「?」

「しばらくはおまえの様子を見ることになるだろう。そのデータを元に完成したホムンクルスの改良を行っていく」


 ボンクラどもの思考パターンは理解している。俺が人体錬成を成功したことを知ったら権力によってその功績をかっさらっていくだろう。


 だからこの研究を世間に発表するのはまだ先だ。


 誰も横入りできないほどの完成作にしてから各国の王族だけに知らせる。そうなれば向こうから途方もない財や地位、そして王女などの美女を手に交渉をしにくるだろう。


 乾ききった人生を満たすであろう潤いの存在に、言葉の意味も分からず首を横へ傾げているミリーの目の前で俺は高笑いをあけた。




 春。


 実験の成功から一ヶ月が過ぎた。ホムンクルス・ミリーの観察は順調に行われて――


「やめろミリー!」

「きゃははは」

「大切な書類の山を崩すんじゃないこのバカ! あーもうこっちに行ってやがれ!」


 机の上で四つん這いになっている幼女を抱えて下ろした。


 楽しそうなまま俺の手から離れてどこかへ去っていくのを尻目に、俺は床まで散らばった書類を前にしてひとり頭を抱える。


 通常の人間における6歳ほどの肉体まで成長したホムンクルス。


 異常な成長速度だがもちろん想定内。むしろこれを元に用途次第で増減させるのが最終的な到達点のひとつであるため問題視していない。


 厄介なのは中身のほうだ。


 自分の力が及ばない未知の場所にも行きたがる猫のような好奇心、こちらの都合なぞ構うことなく自分の感情に動かされて泣き叫ぶ、価値も危険性も知らずに実験器具を玩具のように振り回す。


 どうやら人工生命体とはいえ、ホムンクルスは外見の年齢相応の行動をするようになっているみたいだ。

 そのせいで俺はミリーに振り回され、自分の時間なんてものは取れなくなってしまった。


 この天才の頭脳をもってしても都合の良いことばかりというわけではないな人体錬成。


「きゃっきゃっ」

「うわぁあああ! そのインパチェンスの花は人工キメラの餌だ食べるんじゃない!」

「もぐもぐ」

「吐けさっさと吐き出すんだ!」


 赤い花びらをモグモグしているミリー。

 息つく暇もなくトラブル発生。


 四六時中見ていなければ、すぐに実験中止しそうだ。だがこの世紀の大発明をすぐにでも成功させるため、そんな愚行による遅れは許されない。


 なんとしても失敗しないため、今日も俺様はミリーからひと時も離れず傍にいることにした。




 観察開始から三か月後。

 初夏になった。まだ暑さはそこそこで日が延びた恩恵だけを感じている。


「マスター。散歩に行きましょう散歩」

「いてて。分かったから腕を引っ張るなって」


 男女の区別も曖昧な幼児の姿から少女になったミリーは長い黒髪を二尾に結んでいた。


 彼女は俺をマスターと呼ぶようになり、身の回りのことに気を遣うようになった。まあ我が儘なのは相変わらずなため、こうして行動に振り回されているのだが。


 見た目は成長したが、まだまだ注意して見てやらればなかった。


「マスター。やっぱり太陽の下はポカポカしていいですね」

「暑いだけだ。はやく帰っていま携わっている研究の続きをしたい」

「家にじーっと籠ってるより、こうして運動したほうが健康によくて長生きしますよ。それに……」


 ぎゅっ、とミリーは組んでいる俺の腕をより強く締めた。


「こうして外にいれば、フラスコにもレポートにもマスターを取られませんから」

「そ、そうか」


 戸惑いの中、俺たちふたりはミリーの大好きな赤の花々が咲く場所へ向かっていった。




 六か月が経過した。


 これで一年の半分をミリーと過ごしたことになる。暑い夏は過ぎ、紅葉目立つ秋となった。


「マスター。ここに整理したレポートを置いておきます」

「んっ。ありがとう」


 ミリーが隣に立つと、香水の匂いが鼻をくすぐった。


 大人になった少女。以前は奔放な行動が多かったが、今ではすっかり落ち着いて家にいる時間のほうが長い。そして自宅にいる間は俺の研究の助手となってくれた。


 頭が良く、気も効いて俺がなにかを言う前に望みを叶えてくれる。

 歳だけとった学会のボンクラどもよりよほど役に立ってくれた。


「マスター。もうすぐ終わりますか?」

「あとは確認だけだからそうだな。寝るから布団の準備をしておいてくれ」


 食事はミリーが用意してくれたサンドイッチを論文片手に食べた。苦手なピクルスが入っていたが、味付けを俺好みにしてくれたおかげで気にせず皿を空にできた。


 口をモゴモゴしている最中、そっと耳打ちされる。


「分かりました。では今夜は少し冷えていますので、わたしの身体であたためておきますね」


 ガバッ


 言葉の内容を理解した俺は頬を熱くさせながら振り返った。


「おまえな~」

「また床を共にしてくれませんかマスター?」

「あのな言ったろ! おまえは観察対象でできるかぎり傷つけられないって! 必要なことならまだしもそんなこと研究としてはやる意味もない!」

「でも以前はわたしの心臓の上をもげてしまうと思えるほど力強く握りしめて求めてくださって」


 瞳をトロンとさせながら語るミリー。


 彼女の言っていることはまぎれもない事実だが、理由はあった。この女、三日三晩の徹夜を繰り返して意識が朦朧としている俺の飲み物に媚薬を仕込んだのだ。その結果、知らず知らずの内に観察対象であるミリーを俺は抱いてしまった。


 研究すべき相手を自分の欲望優先で想定外の傷を付けるなんて、錬金術師として恥もいいところだった。


 俺が思い出している間に、なんとミリーは前で服をはだけさせはじめた。


「しましょうマスター。一度も二度も同じことですよ」

「全然違うわ!」

「強情な方ですねそこも魅力なんですけれど……そういうことならば実験をいたしましょう」

「は?」

「マスターの好きな錬金術ですよ。ホムンクルスの性器はどうなっているか今度はそれをマスター自らの手で調べましょう。いつもどおり、わたしが助手も兼任しますから」

「う~ん」

「ほら早く。時間を必要以上に経過させないのも実験技術と教えたのはマスターですよ」


 気づけば寝室に招かれていた。


 裸になったミリー。


 女性的な部分に肉が付いて女としての魅力が増した彼女は、俺の本音を言えばとても蠱惑的な女だった。


 手を伸ばすが、それはもう彼女の言う通り研究のためなのかただの自分の肉欲なのか分からなかった。


「わたしマスターとの子供がほしいです」


 ガラスの花瓶に挿れてある一年中咲き続ける花の横で、俺はミリーを抱いた。




 実験から九か月後。季節は冬に戻った。


「……」


 ヒューヒューと寒風が壁の拙い補強跡から屋内に入ってきた。


 揺れる白髪。


 ミリーは皺だらけの顔のままベッドで横に伏せっていた。


 これまでの成長速度から計算して六〇近くの年齢になったホムンクルスとしての肉体。それは多くの人間における寿命だった。


 もっと食べ物に栄養があり、清潔を長時間保て、肉体に負担をかけない補助具のある世界だったら長かったかもしれない。


 だがこの世界においてはここが命の限界だった。


 俺はミリーの隣に座り、彼女を眺め続けた。


「マスター……マスター……」

「……」

「マスター。どこにいますか?」

「ここにいるよ」


 寝言のように俺を呼ぶミリーの手を握る。もう目が駄目になって見えなくなっていた。


 掌が氷と思えるくらい冷たい。


 少しでも暖まるように擦っていると、ミリーはか細くなった声でゆっくり話しかけてくる。


「もう時間なんですね」

「ああ」

「慰めで嘘なんて吐かないでくれてありがとうございますマスター。あなたのそういうところも好きでした」

「……」

「マスター。がんばってくださいね」

「なにをだ?」

「実験ですよ。ホムンクルス試作第一号であるわたしのデータを元に、より良くなったホムンクルスたちを生み出してくださいね」

「――」


 言われるまで気づかなかった。


 そうだった。


 これまでのミリーとの生活は全て研究のためで、人体錬成を完成のための第一歩に過ぎない。


 俺の目的は今度こそ成功し、俺を馬鹿にし続けたボンクラどもの鼻をあかしして地位と財を手に入れることだった。


 ……なのに、思い出したかつての夢の光景は色あせた写真のように薄ぼけていた。


「マスター……今までありがとうございました……わたしに生をくださって……最初から最後までわたしと一緒にいてくださって……あなたといて本当にわたしは」


 声も力もどんどん弱くなっていく。


 眠るように瞼を瞑り、ミリーはその短い生涯の幕を閉じようとした。



 ガシッ!



 ダランと垂れそうになった手を俺は力強く握りしめる。


「……マス……タ……?……」

「まだ終わりじゃない」

「でも……もう肉体が限界で……」

「俺様を誰だと思っている!」


 希代の天才錬金術師。


 歴史に名を残すことが産まれた時から決められたこの俺様に不可能なんてない。


 俺は部屋を一度飛び出すと、急いで研究道具を持って帰ってきた。




 そこからの時間は真冬の流水のように過ぎていった。


 木から葉が全て落ちる頃には、ベッドの周りは豊かな食物に囲まれていた。


 ホムンクルスの研究による副産物で遺伝子という物質を解明した俺は、それを利用して冬には育つはずのない野菜を半日で種から実になるよう遺伝子操作をした。また家畜や魚もすぐに成熟できるようにし、野菜だけでは取れない栄養分を与えた。


 すぐに死にそうだったはずのミリーは今ではすっかり元気になって自分で食事を摂取できるようになっている。


 最適な薬を与え、それに耐えうるよう体力をつける。


 これを徹底すれば人は生き続けられるはずだ。




 雪が降るようになった。


 食事を受け付けなくなってしまったミリー。栄養を解析して、血管から直接採取できるようにした。


 それでも結局は、直接、口から採取できるほうがいいため状態が少しでもいい時は俺が手ずから食わせてやっている。


「ごめんなさいマスター」

「謝るな」

「でも、こんなことさせて……」

「少し前のおまえも同じものだよ。俺はミリーが二本足で立てない時から一緒にいたんだぞ」

「そうでしたね……うふふ……」


 笑うミリー。


 その姿は傍から見ればもはやただの老婆であろう。だが俺からすると感情に純粋な赤子のような笑顔、白い歯を大きく見せる天真爛漫な子供の大笑い、花開いたような少女の笑み、夜を照らす月のような女の微笑み。それら全てと重なって映った。


 ――絶対に死なせてたまるものか。


 この時の俺の頭にはもはやこのホムンクルスと生き続けることしかなかった。




 それから一か月後だったミリーが死んだのは。


 肉体の限界だった。これ以上はなにをしても寿命を伸ばせなかった。


 最期の言葉は、「わたしは……幸せでした」。俺は物言わなくなった彼女を泣きながらずっと抱きしめ続けた。その脇では、一年草である赤のインパチェンスが枯れていた。






 数年後、とある王国が栄えるようになった。

 新たな錬金術によって生産力がそれまでの倍以上になり、また医学が歴史上でもなかったほどの速度で進歩した。これらによって国内での平均寿命は二十年は伸びたとされ、その結果を受けたことで世界中で王国の錬金術が使われるようになった。

 その錬金術の第一人者とされるリドルグ・ランチェスター博士。

 多くの偉業を成し遂げ、後世においても永遠に語り継がれるであろう偉人となった彼だがその生涯において伴侶は誰ひとりとして持つことはなかったそうだ。


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