第4話

 貴種と人間の間にごく希に生まれる半貴種は、一代限りの存在で生殖能力がない。種を超えた交配ではよくある話だ。


 健一郎の年齢は紗代の父とあまり変わらないらしい。彼が自ら語ったところによると、貴種がまだ中河内の別荘などで暮らしていた頃、当主の次男坊と恋に落ちて結ばれた貴種の女性がいた。それが健一郎の母だそうだ。これによって中河内と貴種の結びつきはより一層強いものになったし、中河内の後ろ盾のおかげで健一郎は人間の戸籍を持ち、自由に行動することができたとのことだった。


「ときどきここにも遊びに来るんだよ。可愛い紗代の顔を見るためにね。それと今回は、新しい奴が来たっていうからその顔を拝みに来たというわけだよ」


 健一郎の車に今回は中河内製薬の社員が同乗してここへやってきたという。陽樹が街へ出たいと言うと、駅まで社員を送るついでにと乗せてもらうことができた。今日は泊まっていくという健一郎の言葉で買い物の量を増やし、ふたりで研究所へ戻る間にも健一郎は気さくに陽樹に話しかけた。初対面なのに互いに人見知りをしない性質たちのせいか、長い付き合いの友人であるかのように話すことができる。研究所に着く頃には、ふたりはすっかり打ち解けていた。


「永井の時なんてなあ、初対面であれをやったらいきなり説教が始まって参った参った! その点君は冗談だとわかるところで合格さ」


 余程長い説教をされたのか、健一郎は心底閉口したというように当時のことを語り、陽樹は廊下に正座させられている健一郎を想像して声を上げて笑った。


「お説教か、永井くんらしいな。ところで中河内さんは、普段は何をしてるの?」


「おいおい、他人行儀だなあ。俺のことは気軽に健さんと呼んでくれたまえよ。

 俺は旅をしていることが多いな。日本だけじゃなくて海外もよく行くよ。まあ、それが仕事の一部というわけだ。

 それに、外の話をしてやるのが紗代は一番喜ぶからな。……だけどあの子は、外に出ようという気はないんだ。まったく嘆くべき事だな……」


「えっ? 外に、出る気がない?」


 急に声のトーンを落とした健一郎の言葉に、陽樹は思わず聞き返していた。

 飛行機を見るのだけが楽しみだと言っていた紗代は、間近でそれを見てみたいとは思わないのだろうか。彼女は貴種だからという理由でやむなくここにいるのだと陽樹は思っていた。


「前に一度話を聞いたことがある。あの子は何かを待っているのさ。それが何なのか、自分でもよくわかっていないようなんだがねぇ。待っているから動けない。探しに行く発想はないし、実際無理だろう。だから、より確実に待ち人に出会うために待っているというわけだ」



 紗代が待っていたのは、自分なのではないか。

 ぽかりと胸にそんなことが浮かんでくる。

 初対面の時の紗代が印象深かったとはいえ、自意識過剰だろうと陽樹は頭を振ってその考えを追い出した。

 


「健ちゃんってば、相変わらずいきなり来るんだから。お土産は?」


「神出鬼没が俺のポリシーだよ。いい男は多少ミステリアスな方がいいだろう? 土産はさっき図書室に陽樹が運んでくれたから後で探しなさい」


「面白い本があった?」


「いや、知らん。適当に選んできた」


「もー、本当にいっつも適当なんだから!」


 健一郎の「土産」は本が多いらしい。それは先ほど車の中で聞いていた。ここの「図書室」が妙なラインナップで充実している理由を陽樹はそれで知ったのだ。


 リビングで健一郎と紗代が家族のように親しげに話しているのを遠目に見ながら、一部屋離れた「厨房」と呼ぶ方がふさわしいキッチンで陽樹は料理を始めていた。

 設備は新しいものではないが、十人が暮らしていた頃から使っていただけあって、様々な種類のものが揃っている。


 圧力鍋もあったが型が古すぎて使い方がいまいちわからない。これは買い直そうと心に決めて、陽樹は鍋にいっぱいのカレーを作り始めた。紗代のリクエスト通りに、野菜はいかにも食べ応えがあるようにごろごろと大きく切った。小ぶりのじゃがいもは一度素揚げしてから鍋へ入れる。こうすると、煮崩れせずに大きい形を保つことができるのだ。


 大きなフライパンを熱して、陽樹は今日のメインの食材を取り出した。鉄製のフライパンが十分熱されたところで油を入れ、並べたのはスペアリブだ。ジュウジュウと音を立てて肉が焼けてくると、香ばしい香りが漂い始めた。


「おっ、肉が焼ける匂いがするな!」


 声を弾ませて寄ってきたのは健一郎だった。それにつられて紗代もやってきて、陽樹の手元を覗き込んでごくりと喉を鳴らした。


「ここで料理してるのを見るのは、本当に久し振りだわ」


「らしいよね。ちゃんと設備が揃ってるのにもったいない。今日はスペアリブをカレーに入れようと思って。いいだしも出るし、骨付き肉はロマンだよね」


「おっ、陽樹わかってるな! 骨付き肉はロマンだ! うーん、たまには焼いた肉を思いっきり食べるのもいいな」


「だったら、今度バーベキューでもしようよ。健さんが次に来るときに材料を買ってきてもらってさ」


「それはいいなあ! 中庭でバーベキューくらいならできるだろうしな」


 和気藹々と話す陽樹と健一郎を、紗代が目を細めて眺めていた。なにか、とても懐かしいものを見るような目をしていて、以前ここにもっと人がいた頃のことを思い出しているのかもしれないと思うと、その紗代の表情に陽樹の胸は締め付けられる。


 それでも陽樹は手を止めなかった。表面をしっかりと焼いた肉を鍋に入れて、他の野菜と一緒に煮込む。圧力鍋で煮込めば骨から身がほろりと外れるくらい柔らかくなるが、手で骨を押さえてしっかり食らいつくのもいいだろう。女性受けするかどうかはこの際気にしないで、ミールセットでは食べられないものを作ったつもりだ。


「はいはい、戻って戻って。味見も手伝いもないからね。食べてからのお楽しみにしておいて」


 ふたりをリビングに戻して、カレーに添えるサラダを作り始める。手順だけを考えて無心に手を動かす感覚は久し振りで、最近たまりつつあったストレスがすうっと消えていくような気がした。


 甘口のルーとスパイシーなことで定評のある辛口のルーの二種類を使い、更に買い込んできたスパイスを何種類か足して、陽樹は香りの強いカレーを作った。明日にはこれが落ち着いてまろやかになっていて、同じカレーでも二度楽しめる。

 それを弱火で煮込んでいる間に永井がリビングへやってきた。夕食の時間通りであることを示すように炊飯器がメロディを奏で、ご飯が炊き上がったことを知らせる。

 皿の上に白米をどんとよそい、野菜とルーを上から掛け、最後にスペアリブを米の山の横に存在を主張するように盛り付けた。見るからにボリューミーな男のカレーのできあがりである。


「いい匂いだな。香川のカレーは久し振りだ」


「ああ、そうかもしれない。永井くんと食べるのは十年振りくらいかな」


 永井は大きな盆を取り出して、陽樹が用意したカレーを一気にリビングへ持って行った。リビングからは健一郎の歓声が響いてくる。


「紗代のリクエストの、野菜ごろごろカレー陽樹風だよ。さあ、みんなで食べよう」


「いただきます!」


 健一郎の声に続いて全員が口々にいただきますと続け、陽樹にとっては記念すべき初の手料理がそれぞれの口に入っていった。

 長い髪を束ねて食べる準備万端の紗代は、最初にしげしげと皿をみつめた後にスペアリブに手を伸ばした。見た目にそぐわず豪快にがぶりと肉に食らいつく様は猫のようだ。彼女は繊細な部分がよく表面に現れているが、時折妙にがさつなところもある。そんな紗代らしい食べっぷりだった。

 その手が、ふと止まった。

 口に合わなかったのだろうかと陽樹が心配をしながら見守っていると、紗代の頬に涙がこぼれ落ちてきた。


「紗代、どうしたんだい?」


「泣くほどうまいか?」


 陽樹と健一郎が覗き込むと、紗代は肉を皿に置いてティッシュで指を拭き、わけがわからないといった表情のままで涙を拭う。


「わからない……凄く、美味しいと思う。でも、急に涙が出てきて」


 紗代はスプーンを持つと、たっぷりとルーをすくって口に入れた。それを飲み下して、また涙をこぼす。


「懐かしい……うん、そうだ、懐かしい。おかしいなあ、子供の頃食べたカレーと全然違うのに、陽樹のカレーは懐かしいって感じる」


「不思議なこともあるもんだねえ。俺も陽樹のカレーは口に馴染むというか、慣れ親しんだような味だと思ったよ」


「実家の味とは違うんだが、確かに香川の作る料理は小洒落てる割に何でも安心感があったな。改めて食べると、確かに口に馴染んでる感じだ」


 しみじみとカレーを食べながら三人が口々に語る。


「私、このカレーは好きだな。なんだか、いくらでも食べられそう」


 まだ涙を流しながら紗代が勢いよくスプーンを口に運ぶ。


「カレーは逃げないよ、涙を拭いてから食べなよ」


「どうしてかわからないけど、涙が止まらないの。それに、カレーは逃げないけど冷めるでしょ」


 手の甲で目を拭い、紗代はぱくりと最後の一口を食べてしまうと陽樹に向かって皿を差し出した。


「おかわり」


「はいはい。まだまだたくさんあるから、思いっきり食べていいよ」


 一回目の半分ほどの量をよそって紗代に渡すと、彼女は子供のような笑顔で皿を受け取った。

 その笑顔は陽樹が見てきた中で一番無邪気なものだった。

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