第16話
※
ガシュッ、と音を立ててエアロックの外壁が開かれた。基地内に比べ六分の一という、低重力下に放り出される。僕は慌てて外壁のフックを掴み、身体を安定させた。
深呼吸して、落ち着きを取り戻す。自動小銃を構えるには、軽く感じられて好都合だ。
やや前方を見遣ると、そこにはトニーの姿があった。くるり、と頭部を回転させ、皆の位置を把握している様子。
すると、ザザッ、という雑音の後、トニーの声がヘルメット内に響き渡った。
《申し訳ありません、この通信はわたくしから皆様へ一方的なものとなります》
なるほど。トニーの指示に従わざるを得ないというわけか。
不満はないが、不安はある。万一被弾し、助けを求めてもその手段がない。自分の心までもが不安定になる。心身共に、果てしない虚空に投げ出されたかのようだ。
どこか気遣わし気な感を滲ませ、トニーは言葉を続ける。
《皆様、バックパックに装備されたエアーノズルの使用法はご承知ですね?》
返答のしようがないのは仕方がない。僕は地面に足を着け、左腕を眼前に翳した。手首にある小さなパネルを、右腕で操作する。
音もなく、バックパックの両側から小さなノズルが展開し、軽く体が浮き上がる。空気を噴射することで、姿勢と進行方向を制御するのだ。
基地外部での低重力下での活動訓練は、一応受けている。が、飽くまでも『一応』だ。どれだけ素早く動けるか、警備員の銃撃から逃れられるか、正直自信はない。
《警備員に狙われたら、無理のない範囲でその場を離脱してください。わたくしが皆様のお身体をお守り致します》
どういう意味だ、と口に出そうとして、どうせ伝わらないのだということを思い出す。こうなったら、とことんトニーを信じるしかない。
《では、わたくしに続いてください》
そう言うや否や、僕の眼下で何かが煌めいた。トニーの姿を見下ろすと、しかしそこに彼の姿はない。
彼は、飛んだのだ。水平方向に、自らに内蔵された小型のジェットエンジンで。そのことに気づいた時には、トニーは銃撃を開始していた。
こんな平地で奇襲するなど、実際在り得ることではない。だが、それだけの運動性能がトニーにはあった。いや、ポールから授けられていた、と言った方が正しい。
ポール、君は何の目的で、こんなロボットを創ったんだ?
いや、今はそれを気にしている場合ではない。警備員たちは、僕らにトニーという、極めて強力な仲間がいることを把握している。きっと対策を練っているはずだ。
トニーを援護しなければ。彼の運動機能に障害が出れば、誰もスペースプレーンを操縦できなくなってしまう。
僕はトニーの後に続き、左翼から警備員たちに接敵した。エアーノズルは最大出力だ。
対物ロケット砲を思しきものを抱えた一人に狙いを定め、引き金を引く。しかし、
「うあ!」
僕は上半身を仰け反らせるようにして、その場で縦に一回転してしまった。ぐるりとばら撒かれる弾丸、ふわりと宙を舞う薬莢。
銃撃訓練と低重力下での活動訓練は受けていたが、その二つを組み合わせた訓練は受けていない。
僕はぐるぐる回転する視界の中で、自分が狙われていることに気づいた。
これではやられる。自動小銃で蜂の巣にされてしまう。ぎゅっと目を閉じた、まさにその時だった。
《アル様、ご無事ですね》
淡々とした、トニーの言葉。確かに僕は撃たれたはず。だが、痛みはないし、宇宙服に損傷もない。
ぱっと目を見開くと、異様な光景が目に飛び込んできた。
トニーが、高速で腕を振り回している。元々細かった腕は、関節部から展開してより細長くなり、トニーはその腕を猛スピードで回転させることで、弾丸を弾いていた。
その間に、僕が倒そうとしていた警備員に銃弾が殺到した。振り返ると、フレディさんが弾倉を交換するところだった。僕たちよりも、遥かに手慣れた挙動だ。
フレディさんはハンドサインで、僕に伏せているようにと指示をした。何とか体勢を戻した僕は、我ながら器用に地面に下り立ち、膝を折って寝転がる。ばふっ、と音がしそうな勢いで砂塵が舞った。
僅かに顔を上げると、先ほどの警備員が鮮血の玉を浮かばせながら、滅茶苦茶に飛び回るところだった。
バックパックに被弾し、エアーノズル用の空気が暴発したのだろう。あっという間に視界の外へ飛び出していった。
どうやら、トニーに対抗しうる重火器を準備していたのは、今退場させられた警備員一人だったようだ。
予想外のトニーの身軽さ、機動性能に圧倒されたのだろう。残る警備員たちの銃撃は、てんでばらばらな、統率の取れないものになった。
こうなってしまっては、もはやトニーの独壇場である。自動小銃で二、三名の警備員を倒した後、トニーはそれを放り捨てて、素手での近接戦闘に入った。
ジェットエンジンのお陰で、彼の挙動には、低重力らしさは全く感じられない。ふわふわと浮つく気配がないのだ。
その素早さに、警備員たちは蹴り飛ばされ、殴り倒され、挙句臓器を潰されて、血みどろになりながら宙を漂うことになった。
《さあ、スペースプレーンに搭乗しましょう。非常用エアロックから乗ってください。わたくしはコクピットに直接乗り込みます》
僕は何とか正気を保ち、トニーに頷いてみせたけれど、確認してもらえたかどうかは分からない。
その時、唐突に肩に何かがぶつかった。
「うわっ!」
自分の悲鳴が、宇宙服全体を震わせる。
僕の背後に立っていたのはフィンだった。口の動きから読み取ると、
「レーナ……?」
と、彼女の名前を連呼していた。
振り返ってフィンの指さす方を見る。そこには、両手と両膝を地面に着いたレーナの姿があった。そばにいて後頭部を擦っているのはフレディさんだろう。
「レーナ!」
僕はエアーノズルを微調整しながら、彼女のそばに着地した。軽くヘルメットを小突く。
顔を上げた人物は、果たしてレーナその人であった。
大丈夫か、と口パクで伝える。レーナ本人はもちろん、宇宙服にも損傷は見られない。
それなのに、身体を起こそうとしないのはどういうわけか。
しゃがみ込み、彼女と同じ高さで前方を見遣る。そして、納得した。
「ああ……」
血塗れの肉塊、肉片、そしてそれらに準ずるものが、ふわふわと宙を舞っている。
それらを押し退けて進まなければ、スペースプレーンには辿り着けない。どうしても血塗れになってしまう。
『レーナ、これは仕方のないことなんだ』――そう伝えようとして、今度は僕がフィンに小突かれた。そう、今僕たちの間に、音声通話というものは存在しない。
僕を見上げていたレーナは、再びがっくりと俯いてしまった。
すると、僕を押し退けてフィンがずいっと前に出た。レーナのヘルメットの後ろ襟を引っ掴み、ぐいっとレーナを引っ張り上げる。
そしてそのまま、彼女を真上に放り投げた。
「あっ、おい!」
自分にしか聞こえない、自分の悲鳴。そんな情けない声を上げ上がらも、僕はフィンのヘルメットを思いっきり平手で叩き、レーナの足を掴んで地面に引っ張り下ろした。
一瞬、視界が再び真っ赤になったような気がしたが、気には留めなかった。
僕はレーナの、宇宙服でぶかぶかになった両手を取って、じっと真正面から見つめた。やっと目を合わせてくれたレーナは、既に泣き腫らした顔をしている。
無言で両手をぶんぶん振って、何とかレーナを落ち着かせようと試みる。レーナは目元を拭おうとして、ヘルメットに阻まれた。もう少し我慢してもらわなければ。
僕が何度もヘルメット越しに頷いてやっていた、その時だった。
《こちらトニー、スペースプレーンの管制システムとの連携を確認。あと十分で発進できます。しかしその前に、フィン様はご無事でしょうか?》
フィン? レーナでなくフィンに、何かあったのか?
僕が振り返ると、フィンは宇宙服の腰のポケットに手を伸ばしていた。そこに入っているのは、確か宇宙服損傷時の応急テープだったはず。
顔を上げると、フィンのヘルメットにひびが入っていた。
「ど、どうしたんだ、フィン?」
どうしても声を上げてしまう僕。しかしそれは、トニーにはきちんと伝わっていた。
《フィン様のヘルメットに、損傷が見受けられます。皆様、急いで非常用エアロックからご搭乗ください》
僕はぐいっと自分の腕が引かれるのを感じた。フレディさんだった。
フィンのことは任せろ、と言っている様子だ。しかし、一体どうしてフィンのヘルメットは損傷したのだろう?
「僕が叩いたから? まさかな……」
そう呟く頃には、僕はフレディさんに背中を押され、レーナと共にスペースプレーンの方へと向かわされていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます