第9話
《ショックかい、三人共? それはそうだろうね、自分たちはまだしも、他の友人たちは何も知らずに亡くなったり、脳の機能のほとんどを破壊されてしまったりしたのだから》
僕はトニーに振り返った。ミヤマ博士からの情報量を、脳内で処理しきれなくなったからだ。トニーは博士と面識があるようだから、博士の言葉を一旦止めてもらおうと考えた。
しかし、
「ト、トニー?」
トニーは沈黙していた。ぴくりとも動かない。
見上げると、その目は七色に点滅していた。惑星面基地の管理用AIに接続して、データを抜き取るのに全力をかけているのだろう。
どうしたものかと、残る二人の方を振り返ろうとした、その時だった。
「ちょっとあんた!」
フィンが僕の肩を突き飛ばし、博士のホログラムの前に立った。
「あたしたちが何を見て、聞いて、体験したのか、分かってんの? あたしたちが酷い頭痛を感じたのはもういい。けど、死んだ人間は生き返りはしないんだ! 皆にだって、母星に残してきた家族がいるっていうのに……。立派になって帰ってきたあたしたちを出迎える日を夢見ていてくれた人たちがいたのに! あんたら科学者が、皆を不幸のどん底に叩き落したんだ!」
今度はこちらから、機銃掃射のように言葉が発せられた。これには流石の博士も怯んだようで、ぐっと身を引いた様子。
《君がフィン、だね? トニーを造ってくれたポールとは、親密な仲だったとは聞いているよ》
ピシリ、と沈黙の中で音がした。心に関わる何かにひびが入るような音だ。
すると、今度はフィンの方が身を引く番だった。直接ポールの名を博士の言葉として聞いて、頭の中がぐちゃぐちゃになったのかもしれない。
その機を逃さず、博士は僕たちの観察を続ける。
《フィン、君の陰にいるのはレーナ?》
レーナは短い悲鳴と共に、フィンの肩を握ってその背後に身を隠そうとした。
《安心してくれ、私は君たちの味方なんだ。こんな状態で科学者を信用しろ、というのは酷な話だとは思うけれどね》
博士は鼻の頭を掻いてから、ふむ、と一息ついた。
「あ、あの!」
気づいた時には、僕は声を発していた。
《質問かい、アルくん? 遠慮なく訊いてくれたまえ。残酷な答えを与えねばならないこともあるかもしれないが》
僕はごくりと唾を飲み、ぎゅっと目を閉じてから問うた。
「あの部屋――HMDのついたソファが並んでる部屋にいた皆の中でも、生きている生徒はいました。彼らを救うことはできないのですか?」
《……残念だがね、アルくん》
博士は肘掛に腕を載せ、俯いた。
《あの放心状態に陥った生徒たちだろう? 残念だが、彼らの脳は並列高速計算機として起動する部位を残して破壊されてしまった。もう、元には戻れない》
僕が黙り込むと、再び沈黙が訪れた。トニーがハッキングしたり、データをダウンロードしたりする小さな音を除けば。
「こんなこと……」
《ん?》
「こんな酷いこと、止めさせる手段はないのです? 誰かに訴え出ることは? それとも、僕たちは殺されるしか未来が残っていないのですか?」
ふっと顔を上げると、ちょうど博士と目が合った。こともあろうに、温和な笑みを浮かべている。
《その『訴え出る』という言葉――それを成し遂げてもらうために、私は君たちへの協力を申し出たんだ。生憎、私は少数派だがね》
「少数派?」
《科学者の中では、と言う意味だ。あまり気にせんでくれ》
ひらひらと手を振る博士。
何だろう。どこか信用しきれないような、不可解な感覚に囚われる。
しかし、それでもここ以上の地獄はない。僕たちは脱出するのだ。そう信じなければ、意識がへし折られてしまう。
そう思って、僕はこれ以上の追及を止めた。
それよりも僕の気を惹いたのは、『ミヤマ博士が少数派である』という言葉だ。
この言葉を逆手に取れば、人間の脳を破壊してでも優れた演算機を創り出すという考えが多数派に蔓延り、主流になっているようではないか。
学会では、そんなことが議論の種になるほど倫理的な水準が落ち込んでいる、ということか? かつて、自由や平等を歌っていた人間はどこへ行った?
僕が顎に手を遣ると、再びフィンが口を開いた。
「で、博士。具体的にあんたは、どうやってあたしたちを助けてくれるんだ?」
《おお、そうだった。私は個人所有の軌道エレベーターに居を置いている。私の権限で、地球周回中の軍事衛星を遠ざけることができるから、私を訪ねてきてほしい。そうすれば、私が君たちを生き証人として扱うことができる。裁判を起こしたり、地球連合評議会に訴え出たりな》
そのために地球へ行くのか。予想していた目的とは随分異なっている。
しかし、それは些末な問題である。僕にとっては、一石二鳥のチャンスと言えるからだ。
ポールを始めとした友人たちの死を無駄にせず、かつあの憧れの地球に行ける。
どこに躊躇う要素があるだろう?
そんな僕の楽観的な見方は、次の瞬間にひっくり返った。
ズズン、という鈍い音がして、床と壁が振動する。
僕が体勢を崩した先にあったのは、トニーの腕だ。僕を支えてくれたらしい。同時に博士の立体映像が消え、通信途絶のメッセージが出る。
「博士っ! くそっ、皆、無事か!」
慌てて振り返ると、フィンがレーナを半ば背負うようにしてドアから離れるところだった。耐熱使用の強化スライドドアに隙間が生まれ、そこから黒煙が上がっている。
のみならず、がつん、がつんと何かが殴打される音が続く。あのドアは、間もなく破られるに違いない。
「皆様、部屋の奥に。敵が来ます」
『敵』というのは、警備員のことだ。きっとこのドアは防弾仕様にでもなっていたのだろう、爆発物によって破壊することが優先されたらしい。
僕たちを背後に匿うようにしながらも、トニーはケーブルをいじくり回している。一体何をやっているのだろう?
「トニー、早く撃たないと!」
「……」
「何をやってるんだ、トニー! ……トニー?」
「少々お待ちを、アル様」
淡々と答えるトニーの顔を見上げると、目を七色に、しかし互い違いに点滅させながら、『何か』を行っている。
「トニー、急いでくれ! もう一個爆発物を使われたら、あのドアは破られる!」
「残り二十秒」
「に、二十秒?」
どうする気だ? あまりにあっさりとした返答に、僕は意表を突かれた。
「トニー、何でもいいから早くして!」
フィンが叫ぶ。
はっと僕が気づいた時には、二十秒は経過していた。
「処置完了」
先ほどと異なり、非感情的な声音で告げるトニー。
「しょ、処置?」
「皆様、これを」
自らケーブルを引っこ抜き、トニーは細長い足で部屋の反対側へと闊歩した。そこには縦長のロッカーのようなものがあり、その蓋をトニーは呆気なく引き開けた。
「今からガスマスクをお配りします。皆様、きちんと装着してください」
そう言いながら、そっと僕たちに向かってガスマスクを放っていく。
「こ、これは?」
「危険です。お早く」
そう告げられ、理由も分からず装着する。トニー本人は呼吸をしないから構わないのだろうが。
トニーは振り返り、僕たちがきちんとガスマスクを装着したことを確認した。そのまま伏せるよう、腕で指示を出す。本人は首にかけていた自動小銃のセーフティを解除し、その銃口を歪んだドアに向けた。
がつん、がつん、がつん。硬質な音が響く度、ドアが軋み、廊下からの光が差し込んでくる。レーナが僕の肩にしがみついてくる。
がつん、がつん、がつん……。
「ん?」
音が止んだ?
「どうやら片がついたようです。わたくしが先行しますので、皆様はわたくしの背後を離れないでください」
トニーはそう言って、前進を促すようにハンドサインを出した。
僕、フィン、レーナの順で、じりじりと部屋を斜めに横切っていく。その先には、僅かにこじ開けられ、歪んだドア。その向こう側は、全くの無音だった。
「どうやら、無理やり引き開けるしかないようですね」
するとトニーは、隙間に両手を差し入れ、軽々とドアを引き開けた。と同時に、何かがぐらり、と傾いて彼の足元に横たわった。
それは、自動小銃を構えた警備員だった。
「ッ!」
僕は慌てて顔を逸らそうとした。が、違和感がある。
ゆっくり目を開けると、そこにあったのは確かに遺体である。だが、それは血塗れでもなければバラバラでもない。奇妙な言い方だが、綺麗な遺体だった。
僕は、もしトニーが人間だったら肩を竦めていただろうな、などと、根拠のない考えを抱いた。
「トニー、君の仕業なんだろう?」
「左様です、アル様。廊下の空気循環機にアクセスし、二酸化炭素から酸素を取り出す行程を省略して、一酸化炭素を流出させました。この区画の廊下にいた警備員たちは、一酸化炭素中毒で動けません。わたくしが止めを刺していきますので、お三方はもうしばしお待ちください」
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